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欲望


「欲望を持つということは生きているということですが、欲望はすべて実現できるとは限りません。責任を持って生きるということは、そのことを知ることです」

「子供が表明する欲望は、たとえ満たしてやれなくとも、また実現不可能であっても、正当なものとして認めてやることが大切なのです。欲望は主体の統一のしるしなのですから」

 これ以上の言葉を、オレは知らない。


身と体 [メモ]


身と体の違いに注意






モルゲンシュテルン


モルゲンシュテルン

1927 「心的緘黙症の一事例」

→1935出版の『小児精神分析』へ掲載

描画を治療に取り入れる








分析治療 [メモ]


真の分析治療は、満たされない欲望やそこから生じる苦痛を象徴化するのを、可能にしてやること。


子供 [メモ]


子供というのは、満たされないことを求めている。




緘黙症 [メモ]


場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)とは、家庭などでは話すことができるのに、社会不安(社会的状況における不安)のために、学校や幼稚園といったある特定の場面、状況では全く話すことができなくなる現象を言う。幼児期に発症するケースが多い。 別名、選択性緘黙症。英語名、Selective Mutism。








座談会 その2 [座談会]


(続き)

<エディプスコンプレックスについて>

(立木)
 重要なのは、幼児のセクシュアリティと成人のセクシュアリティが別々に動いていて、その切れ目にエディプスがやって来ることではないでしょうか。細やかだと思うのは、早期エディプスとフロイトが論じているエディプスを十川さんは少なくとも機能の面では分けて考えていて、その際、早期エディプスは認知的に働く機能で……

(十川)
 早期エディプスは認知的に働く機能だというのは、というのは違っています。私はエディプスを認知的なものと規範的にものの二つに分けています。ここで言う認知的とは、知的な過程ではなく、むしろ情動的な過程です。そして、この認知的な過程としてのエディプス期は、クラインが理論化した早期エディプスと発達時期においてはきわめて近い。しかしクラインはこの過程をまた規範的な過程として理論化してしまう。そのため、私の言う「認知的エディプス」とクラインの早期エディプスはまったく違ったものになっています。それを一緒にしてしまうと大きな誤解が生じてしまう。

(立木)
 そこは誤解しているつもりはありません。「早期エディプス」という言葉を使われていても、概念の内容までクラインと同じだと思っていません。

(十川)
 先ほどもエディプス概念の混乱について話をしましたが、「エディプス」というのは意味の外延が拡散してしまっている概念で、もう少しその意味を明確にしておく必要があると思います。そうでないと、それを批判するにしても展開するにしてもねいったい何を問題にしているのか、いっこうによく分からないという状態になっています。少し要約しておくと、私はエディプスを機能的に「認知的エディプス」と「規範的エディプス」に分けています。認知的エディプスとは、情動過程、より正確には、不快な情動に耐える能力の獲得過程であり、この過程を経ることによって、自己の基盤としての心的空間が形成される。これに相当するものを精神病理学に見出すなら、ドイツの精神病理学者ヴェルナー・ヤンツァーリクの「顕現抑止(Desaktualisierung)」がそれに近い。ヤンツァーリクは、心的外傷というものを想定し、その場における力動と構造を考えることによって精神疾患全体を考えています。その心的場では、力動--これは「欲動」と言い換えたほうが適切でしょう--の逸脱が適切に制御されなければ、心的機能は効率的には働かない。そのような力動を制御する能力こそ、彼が「顕現抑止」と呼ぶ能力です。また、彼は幼年期と思春期に心的場の変容が生じ、顕現抑止能力が高まると論じているのですが、このプロセスの記述は、私が認知的エディプスと規範的エディプスという概念で理論化したことと一致しています。

(立木)
 規範的なもののほうで強調されているのは、欲動に対する規制ですよね。社会的なもの。

(十川)
 両方というか、すべてに関してでしょうけれどもね。規範はわれわれの欲動のみならず、情動や感覚の領域においても働くと考えた方がいいでしょう。

(立木)
 エディプスについてもう少し質問させていただくと、50頁から51頁のあたりで、去勢の問題とエディプスの問題がくっついてしまっている印象があります。男根への関心が高まってくる。それで男の子はみんながペニスをもっていると想像する。ところが、女性にペニスがないのを発見して、自分もいつかペニスを失うのではないか、という不安を抱くようになる。ここからは去勢の話だと思うのですが、十川さんは問題を父・母・子の三者関係の還元してしまうのはよくないと言われ、もっとあとのほうではファミリアリズムを批判なさっています。そういうレベルで捉えるのではなく、エディプスは欲動の問題として捉えなくてはならない、ということですね。50頁には「エディプス・コンプレクスとはフロイトの議論の中では、本来は、欲動の水準の問題であり、それが情動の問題と置き換わるのは二次的な過程だということである」とありますが、この「情動の問題」というのは要するに父・母・子の三角形の問題だと言えます。「母親への愛着」と「父親への憎しみ」という言葉も使われております。しかし、欲動の問題であって情動の問題ではないとすると、エディプスから父・母・子の三角形の問題が脱落してしまうことにはなりませんか? また逆に、このあたりの議論を読ませていただいていると、去勢までエディプス・コンプレックスの内容に含まれてしまっていいんだろうか、という疑問も湧いてきます。十川さんは、ラカンが与えているような重要性を「去勢」という言葉に与えていらっしゃらないようにお見受けするのですが。

(十川)
 与えていないですね。今、立木さんがおっしゃったことは実に的確です。また、それは実に難しい点なのですが……。

(立木)
 それはどうなんでしょう? ラカンでは、エディプスと去勢は同じ平面に載せられていません。エディプスについては、ラカンは神話だと言ってみたり、セミネールの第17巻(1969-1970)では「フロイトが見た夢だ」とまで言ってしまう。ところが去勢については話は別です。主体が主体となるプロセスと深く関わっているから、去勢については神話だとも、フロイトが見た夢だとも言わない。

(十川)
 今挙げられたのはラカンが、おそらく唯一、フロイトのエディプス理論をはっきりと批判している個所ですよね。ところで、また「去勢」というのもエディプスと同様に混乱した概念です。立木さんが「去勢」と言う場合、それは言語の中に入るという意味での去勢を意味しているのですか?

(立木)
 一方ではそうです。しかしラカンの場合、臨床的には母の去勢のほうが重要だという言い方をしている個所もあります。例えば「ファルスの意味作用」(1958年)がそうですね。母の去勢はむしろ大文字の他者の欠如を翻訳するものだから、主体が象徴界に入るということには還元できません。話を元に戻しますと、50頁から51頁のあたりを読んでいて思うのは、去勢の問題をエディプスと分けようとすると、去勢をどう位置づけるかが判然としなくなってしまう、ということです。去勢はなくてもやれますか?

(十川)
 去勢については、それだけをテーマ的に論じてはいませんが、まったく問題にしていないわけではありません。去勢については、それは欲動の問題から論じるか、無意識の観点から論じるか、あるいは治療論の文脈で取り上げるかで異なった議論ができると思います。いずれにしても、私の基本的な考えは、去勢は単数的なものではなく、複数的なものだということです。たった一つの去勢があるのではなく、複数の去勢がある。これを治療論の文脈に置くならば、治療の終結は去勢の問題系として把握することができます。その場合も、私はたった一つの分析の終結があるとは考えません。そうではなく、複数の異なった終結があるということです。完全な終結というものはない。それにもかかわらず、それはそれで終結なのだということです。

<システムについて>

(原)
 「システム」というタームの選択についてうかがいたいと思います。このタームが与える一定のイメージがあって、それが「自己はあくまで効果として成立する」という印象を作り出している気がしました。精神分析のディスクールの特徴があるとすれば、それまで語られなかったものを語るという性格上、存在しなかったターミノロジーを編み出して事柄について語る、というのが基本的なスタイルだと思うんです。ラカンがそうでしたし、フロイトもそうです。これは「悪魔の弁護人」の戦略だ、と。その言葉が使われた本来の文脈をそのまま引き受けるのではなく、別の文脈に投入して語る、というスタイルです。それを十川さんはシステム論を導入する形でなさっていると思うのですが、「システム」という言葉を導入することにはある種の危険があるのではないか、という気がしました。例えば、フロイトが第二局所論で「自我」という言葉を導入したとき、別の文脈、例えば哲学の文脈でもっていた了解を引きつけてしまった。その結果、フロイトが予期していたのとは別の形で了解されてしまった、ということが起きたかもしれない。同じように、システム論の用語を導入することで、それがもともと使われていた文脈のイメージを引きずってしまうことがないのかな、という気がします。

 そこで私がうかがいたいのは、システムと自己の関係について、複数の回路をもつシステムの動作の結果として自己が登場する、という理解でよいのかどうか、ということです。別の言い方をすると、「自己」は主語になれるのか、という疑問をもったということで、例えばラカン派の分析で「主体」という概念は大きな意味をもって使われ、概念的に彫琢されてきたわけですが、十川さんはそこから一定の距離をとって、自動的なシステムの作動の中で出てくるものと考えているように見える。この点をうかがえれば、と思うのですが。

(十川)
 今の原さんの質問に答えるには、私がどうしてシステム論に関心をもつようになったのかということを少し話しておかなくてはなりません。精神分析の経験を語る上で、最も核心となる事柄の一つに「境界」という問題があります。これは、かつてポール・フェダーン(1871-1950)が「自我境界」と呼んだ、自我の内と外という事柄とも関係しています。この自我境界という概念に限らず、フロイトから現在に至るまで、治療論としての精神分析理論はこの自己の内と外、自己と他者の境界をどのように理論化するか、という問いをめぐって展開してきたと言ってもいいでしょう。例えば、分析関係の中で、患者と分析家の関係が変化していく時に、微視的にみるならば、そこでは必ず両者の境界が変化しています。また、患者の心的変化が起きる時も、そこでは患者の自己のいろいろなレベルの境界の変化が起きている。こういった境界を正確に記述し、操作する方法があれば、それは精神分析の基礎理論になりうる。私はその可能性をシステム論に探ってみたのです。もちろん、システム論といってもさまざまなシステム論があります。私がとりわけ魅力を感じたのは、河本英夫さんが展開していたオートポイエーシスの構想でした。この経緯は他のところでも話したので今日は詳しくは述べませんが、河本さんの『オートポイエーシスの拡張』(青土社、2000年)に最初のインパクトを受け、そのあとは臨床経験をもっぱら参照しつつ理論を組み立てていったのです。

 ところで、このシステム論という方法をとることの危険性についてですが、これは原さんの指摘どおりかもしれません。システム論に依拠したゆえに記述できた事柄はいくつかあると思っています。しかし、システムという概念がもつ文脈や拘束力に引きずられていなかったかというと、やや心許ない。特にはじめのあたりの自己システムの記述に関しては、システム論のロジックに記述がとらわれてしまっています。これはシステム論が陥りがちな落とし穴です。実際のところは書くという作業の中で、徐々にシステムという概念がもつ文脈や拘束力から自由になることができたのです。

 それから自己は主語になりうるか、という質問については、自己(Sich)は自己(Selbst)を生み出すゆえに、主語となりえます。まず自己の作動(Sich)があって、それに遅れて自己の境界(Selbst)が生み出される。ここで重要なのは自己は動きであって構造ではないということです。したがって、自己の作動の結果、事後的に自己が決定されるようなものではない。これが「主体」という概念との決定的な違いです。この最初の自己(Sich)は後者の自己(Selbst)と一致することはなく、後者の自己の境界が決定される時には、最初の自己は別の作動を行っているのです。

(原)
 ご本の最後に自己の境界の形成という話がありますが、伝統的な精神分析では、その境界を極端なところ、例えば「死」のような問題に設定するのが基本的なやり方だったと思うんです。その中で、ラカンはまず言語というシステムをもってきて、それとのかかわりで境界あるいは限界を設定する、ということを理論的な作業として行った。十川さんがこの新しいシステム論を導入した精神分析で試みていらっしゃるのも、そうした境界ないし限界--英語やフランス語ですと、どちらも「リミット」ということになってしまうのですが--への新たなアプローチとして理解できるように思います。

(十川)
 私は「死」といった事柄を境界としては設定していないんですよね。分析治療で問題となるのは死といった問題ではないですから。だから、分析のセッションの現場で問題になるいくつかの境界しか取り上げていないんです。例えば、自己システムの境界、治療システムの境界などです。それらの境界がどのように動き、変わっていくかを記述するのが目標で、それ以外のものは扱っていない。境界というのは複数の要素の関係によって決定されているので、治療の現場で問題になる境界を取り上げるだけでも、すでに膨大な作業になります。それ以上に問題を広げることはできなかったし、そうする必然性をさほど感じなかったのです。

(原)
 その点が十川さんの構想の美点だと私は思っていて、いきなり極限体験みたいなものを参照項としてもってきて、それとの関わりですべてを位置づけるのではない方向を模索されていることはよく分かるんです。分析の中で起きるさまざまな出来事の緻密な記述から出発するというのはよく分かる。しかし、他方でフロイトは死の欲動のような話をするわけですよね?

(立木)
 境界の問題としての死の欲動ということですか?

(原)
 ええ。境界の問題ですが、先ほどの欲望の話にも関係しています。つまり、何がシステムを作動させるのか、といった点は問題にされないということですか?

(十川)
 動きがあれば、そこにシステムが生まれているんですね。

(立木)
 われわれはどうも起源に遡って考えてしまう思考のパターンをもっているようです。それで、自己というシステムはどのように動いているのかを考える時も、起源は何だろう、と思うわけですね。

(十川)
 あえて起源という問いを立てるなら、コミュニケーションから受けた傷、あるいはそのコミュニケーションによって与えられた形のようなものですね。われわれがコミュニケーションの世界に入っていく時に受けた傷のようなものが自己に作動の形を与え、自己も受け身でそれを受け取るだけではなく、自己生成的に形を与え直すのだと言えます。

(立木)
 コミュニケーションの世界に入る時に受けた傷というのは、先ほどの原光景のお話にあったように、まだ他者のシステムとつながっていない、自分のまわりで他者がコミュニケーションしている、その段階ですか?

(十川)
 先ほども話したように、他者のコミュニケーションの外部にいるというのは人間の最初の疎外状況であり、この状況の再賦活は原光景や結合両親像など、精神分析が取り上げる主な幻想を形成する原動力となっています。

(立木)
 そこにつながった時に……

(十川)
 「つながった時」というのは一つの想定です。実際はどうつながったか分からないまま、われわれはコミュニケーションの中に入っている。コミュニケーションというものは、最初から不可避的に外傷的な性質を帯びているとも言えるでしょう。

(立木)
 ラカンは、傷というより欠如について語りました。主体がシニフィアンの次元に入るとき、それとひきかえに失うものがある、と。このことは、実は、われわれはどうして話すのか、という問題と深く結びついています。僕はそのレベルで、このシステムのモーターは何か、原因は何か、と問いたい気がするのですが。

(十川)
 モーターは何か、ということですか? それは--誤解を招く表現かもしれませんが--「生命」と呼ぶしかないものでしょう。しかも、その生命はみずからで完結するものではなく、社会(他者)との関係の中でしかみずからを維持できないものです。言い換えれば、人間という生命体の生存の条件には、コミュニケーションが含まれている。そして、そのコミュニケーションが暴力的な性質を帯びたものであることは先ほど言ったとおりなのですが、それにもかかわらず人間がコミュニケーションに入れるのは--原さんのおっしゃる言語に対する信とは少しニュアンスが異なりますが--世界に対する信があるからです。世界に対する信がなければ、コミュニケーションの世界に入っていけない、あるいはコミュニケーション・システムを形成しない形で言語や情動と関わりをもつしかない。それは生存の一つの病理的なあり方です。

(原)
 「foi(信)」ですね。ただ、それには穏やかな「信じきっている」というあり方と切迫した「信じるしかない」というあり方の二つを区別することができるように思います。先ほど言及した情動と言語の接点では、むしろこの後者のあり方が問題になっていたわけですが。

(立木)
 人間が言語と関係をもつと、それとひきかえに失うものがある。ラカンはそう考えます。そういうレベルのことは、システム論ではどう位置付けたらいいのでしょうか?

(十川)
 欠如とひきかえに成立する自己の構造ということは……基本的に問題にしていないんです(笑)。議論の方向が違いますから。

(立木)
 要りませんか、その次元は? もっともラカンにしても言葉以前の世界といったものを実在的にとらえているわけではありません。そこが問題なのではない。われわれはいかにしても言語の外になど出られないわけだから。しかし、われわれが言語にとらわれている、というこの状態は、ラカンにとって何らかの喪失抜きにはありえない。ラカンが1953年に「物の殺害」と言ったのもそのことです。言語は物を殺す。同様に、言語は人間も殺す。主体が一つのシニフィアンに同一化すれば、他方ではその存在が欠如とならざるをえない、という疎外の理論も、まさに欠如とひきかえに言語の中へ入っていくという思想です。

(十川)
 世界の根源に欠如や喪失を想定し、そこから理論を構築していくという方法論があります。例えばラカンのフロイト読解などはその最たるものだと思います。このような方法を「否定神学的」といって批判する人もありますが、これはこれで私たちの思考を遠くまで導いてくれる力をもっています。一方で、欠如や喪失を最初に想定するのではなく、生成する力やその際に獲得する能力に力点を置いて論理を展開する方法があり、私はこの後者の論と親和性があります。欠如や喪失というのは、見方を変えれば別の側面の過剰や新たな形での獲得ということなので、これは物事の二つの異なった側面ということになります。しかし、ここで重要なのは、欠如を埋める形で獲得がなされているのではない、また喪失の場所に何かが生成しているわけではないということです。そのように考えると、やはり欠如や喪失が起源にあるという考えになってしまいます。おそらく精神分析経験を考える際には、欠如と生成という二つの問題系を視野に入れることが必要なのだと思います。言うまでもないことかもしれませんが、生成という問題系に焦点をあてることは、自分の無力さや現実の悲惨さを見ようとしないということではありません。これはまた違った光の下で現実を深く見据える方法なのです。

(立木)
 僕も、オートポイエーシスの理論に欠如は要らない、というのは分かります。要するに、今も十川さんが言われたように、根源的な欠如のようなものを考える思想の系譜とそうでない系譜がある、ということでしょうか。

(原)
 そして、それが「抑圧概念の機能不全」の裏面なのかもしれない。

(立木)
 ドキッとするご指摘ですね! そう捉えることができたら、あちこちで視界がぐっと開けてきそうです。

 「境界」の概念に戻りますが、精神分析の臨床で境界ということを考えるとき、やはり転移の問題は避けて通れない。転移の境界をどう設定したらいいでしょう? あるいはその外側、例えばアクティング・アウトなどをどう考えたらよいか、ということですが。

(十川)
 アクティング・アウトも転移の中で起きることなので、転移の外部にあるとは言えないでしょう。分析関係が深まると、セッションで起きていることは、微細に見るならば、ほとんどすべて転移現象として捉えることができます。しかし、転移概念をこのように拡大すると、「転移の外部はない」という常套句とあまり変わらなくなる。むしろ、転移という文脈で理解した方がいいコミュニケーションと、そうではないコミュニケーションがある、といったふうにプラグマティックな観点から考えたほうがいいと思いますね。

<死の欲動について>

(立木)
 先ほど原さんから「死の欲動」も境界概念だ、というお話がありました。

(原)
 分析経験の土台というか、そこに達するとある意味で分析がその岩盤に達したと言えるようなものとしてフロイトは死の欲動を考えていたと思うんです。

(十川)
 死の欲動は、フロイトとラカンにおいて最も重要な概念だと思いますね。ラカンはある時期、フロイトのこの概念を生かすためにみずからの理論を構築していったようなところがあります。しかし、死の欲動は臨床の中で生き延びてきた理論ではないんです。それは、むしろテクスト解釈の中で洗練されてきた概念です。『快感原則の彼岸』(1920)は、ラカン派ないしラカンの影響を受けた研究者にとって特権的なテクストになっています。そして、現在もラカン派は『快感原則の彼岸』の読解を行っている。しかし、私はそういう形での概念の洗練の仕方に以前から疑問をもっています。現在の臨床現場から死の欲動を考えるなら、それは外傷性障害や解離といったトピックと直接的に結びついています。フロイト自身も、そもそも死の欲動という概念を、外傷神経症者が反復して見る悪夢をどのように考えればいいか、という問題意識から導き出している。とすれば、死の欲動の問題は、最近研究が進んでいる外傷性記憶、あるいは幼児性記憶システムといった観点からも捉えられるのではないか、というのが私の問題提起です。

 このような論点が、これまで行われた『快原理の彼岸』に関する豊かな読解の成果を十分に汲んだものではないということはよく分かっています。死の欲動という概念が持つ可能性を狭めている、という批判もあるでしょう。しかし、私はこれまでのテクスト主義からは決して出てこないような、臨床的な一つの読解を提示してみたかったのです。

(立木)
 死の欲動の問題に記憶の問題から迫っていくのは正しいやり方なのだろうか、というのが僕の疑問です。これもテクスト主義になってしまいますが、原さんがおっしゃったことも関係していて、『快原理の彼岸』でフロイトが災害神経症の人の夢を扱っているところは、実は死の欲動の議論とは直接つながっていません。災害神経症においてなぜ反復強迫が起きるかというと、大きなショック体験で心的システムが麻痺してしまって、エネルギーが拘束できない状態に陥ってしまうからです。エネルギーが拘束できない状態に陥ると、快原則は働くことはできません。だから災害神経症者の患者さんは夢を通じて、最初のショックで心的システムが麻痺したところをやり直し、何とかシステムの中でエネルギーを拘束できるようにしようとするわけです。そこに思い至った時に、フロイトは初めて「快原則の彼岸」があるんじゃないかと考える。ところが、フロイトの議論はここでいったん切れています。そのあと死の欲動に移っていくとき、フロイトはそれまでとは別の議論を始めている。災害神経症の反復強迫は外から来る刺激に対する反応だけれども、外から来る刺激と同じくらい破壊的な効果を及ぼすかもしれない刺激源が内部にもある、それが欲動だ、というわけです。そこで初めて欲動の話になってくるんです。

(十川)
 マゾヒズムの問題に入っていくわけですね。

(立木)
 『快原理の彼岸』でマゾヒズムがフロイトの念頭にあったかどうかは分かりません。ただ、いずれにせよ、外からくることによる外傷体験があるなら、内から起こってきた刺激でもショック体験が起きるのではないか、というところでいったん仕切り直しになる。だから、記憶の問題から死の欲動を論じるのは違和感があるんです。かといって「じゃあお前はどう捉えるんだ」と言われると……

(十川)
 困ってしまう。フロイトのテクストを精読することは必要ですが、テクスト主義者は、おおむねフロイトのテクストに答えが書かれているという前提に立ってしまっている。しかし、フロイトのテクストの破綻や跛行(はこう)ばかりに思考の可能性を見るのは、それはどうかと思う。フロイトの議論で救いようがないと思われるのは、エネルギー論的な議論です。この考えを現在われわれが引きずる必要はまったくない。

(立木)
 僕もフロイトの欲動論をエネルギー論的に読むのは自体錯誤に近いと思います。しかし、これをどう扱っていいのか、実はいまだによく分かりません。できることなら無視してしまいたい。とはいえ、僕は最近、臨床的なレベルで「ああ、これが死の欲動なのかな」と思ったことがあるんです。ECFが作ったCPCT(2004年創立の「精神分析相談・治療センター」)という施設で研修しているとき、ある精神病のケースが報告されました。患者さんは有名な雑誌で写真を撮っているカメラマンなのですが、この人の作品にはいつも何かしら死を暗示するようなもの、例えば髑髏のイマージュが入っている。まるでオランダ絵画のメメント・モリですね。でも、仕事はうまくいってました。ところがカメラマンとしての自分の成功を評価してもらいたいと思って母親に会いに行ったとき、期待していた言葉とは裏腹に、何かきついことをガツンと言われた。それでこの人は仕事ができなくなってしまうんですね。それだけではありません。仕事ができなくなると、彼は文字どおり死んだようになってしまいました。もちろん生きて生活はしているのだけれど、まるで死体のようになってしまった。その状態でCPCTに来談したわけです。担当した分析家はうまくやりました。適切な介入をして、カメラマンは徐々に元気を取り戻していきます。すると、元気になってから撮った写真に、また死を暗示するオブジェが入っている。そういう写真を彼は分析家にも見せました。どの写真にも髑髏やその類いのオブジェが入ってるんだそうです。

 どうやらこのカメラマンは、作品の中に死を間接的に写し込むことで、言わば死の欲動に対するバリアを張っていたのでしょうね。それが、母親にガツンとやられ、写真が撮れなくなってしまうと、彼自身が直接的に死の欲動にアフェクトされて、まるで死体のように、まるで髑髏のようになってしまったんです。彼のお母さんというのは、めちゃくちゃキッチュな家に住んでいるそうですが、自分だけの享楽、それも他者を圧倒するような享楽をもっている人で、カメラマンはそこからうまく身をもぎ離すことができずにいました。そう考えると、死の欲動とは--ラカンのタームで申し訳ないですけれども--「大文字の他者」の享楽に対して無媒介な関係に置かれた主体が死体化してしまうこと、というか、そのように主体を死体化させる何かなのだという気がします。大文字の他者の享楽に圧倒される主体に作用するある種のモルティフィカシオン(死体化)。死の欲動というのはそういうものでないでしょうか。

(原)
 母親の享楽と直接つながることという立木さんの死の欲動の理解は、十川さんのご本の104頁で紹介されていますね。「死の欲動は母親との直接的な関係(享楽=「もの」)と等価であり」と、ラカン的な死の欲動の定義として提示されています。そのあとで、これは言語によってのみ可能なのかもという点を指摘されている。その話がさらにイメージの話、あるいは象徴の話、象徴化の話とリンクして展開されるのですが、いわゆる言語と象徴の区別を概念的には立てていらっしゃらないように見えます。これはどう理解すればいいんでしょうか?

(十川)
 象徴化作用は言語特有のものではなく、イメージにもあるということです。この点については、すでに1970年代に、実験心理学者のアラン・ペイヴィオが象徴化形式における「二重符号化説」という議論を行っています。イメージにおける象徴化を考える上で重要なのは、そこに情動が関与しているということです。情動がうまく協働することによって、イメージの象徴化機能は十分なものになる。

(立木)
 イメージには情動が関わってくるという点が重要ですね。

(十川)
 そうですね。今、立木さんが挙げられたケースの場合も、イメージによる象徴化が起きています。それによって対象との距離が生まれている。

(原)
 ラカンの理解では、言語、象徴界の中で初めて不在が問題になります。それではイメージのほうに認められる象徴化作用は、どのように考えればいいんでしょう?

(十川)
 一部の自閉症者に、写真的な記憶力(直観像記憶)をもった人がいます。直観像記憶それ自体は、病的現象ではないのですが、映像が目をつぶっても出てくる場合、苦痛を感じることが多いようです。このような人は、対象が常に現前化していて、消えないために苦しんでいる。つまり対象が、自己が操作可能なイメージに変換されていない。進化心理学の領域では、ニコラス・ハンフリーが旧石器時代の洞窟壁画の研究などから、人間は進化の過程で写真的記憶力を喪失する代わりに、イメージや言語などの象徴化機能を獲得した、という大胆な仮説を提示しています。それはともかく、われわれがイメージをもつことには、対象から距離をとり、それを操作するという働きがあります。これがイメージによる象徴化です。母親が目の前にいて、目の前からいなくなったとしても、母親をイメージとして扱うことはできますね。これを言葉によって「母」を象徴するのとは違った形の象徴化ということができます。今、立木さんが話されたケースに関しても、イメージによって対象との距離をとっていたと言うことができるかもしれません。この対象がなんであるかは、もっと症例の細部を見ていかないと分かりませんが、外傷的な対策、自己システムの作動を強く病理形成的に向かわせる対象だと考えられます。こういった対象を、ラカン的なコンテクストでは対象aと等価だと言うことができますが、それをあえて「死の欲動」と言う必要はあるでしょうか? イメージによっても象徴不可能な「死」であることは確かでしょうが……。

(立木)
 いえ、対象と死の欲動は別です。それに、精神病の主体にとって問題になるのは対象というより他者ですね、他者の享楽です。他者の享楽に無媒介的にさらされてしまうとき、ある種のモルティフィカシオン(死体化)が起こる。このカメラマンの場合は、写真の中に死を囲い込むことで、そのモルティフィカシオンから距離をとっていたのだと思います。写真は、だから症状なんです。現実界から主体を守ってくれるものとしての。

(十川)
 この人の場合、それが創造性と結びついているわけでしょう? 自己の精神病的な部分を、写真を撮るという行為によって別様に作動させていた可能性はありますよね。また、そこには何らかの形で母親の関与があったのでしょう。

(立木)
 たぶん、そうなんです。写真という形で創造性を発揮できたことが、この患者さんにとっては大きかった。それがなかったら、彼はまっとうな社会生活を送れていなかったかもしれません。ただ、その創造性が母親の一言であっけなく崩れてしまったとき、本人の存在が死にさらされてしまった。言い換えれば、他者の享楽に圧倒されてしまったとき、主体はそれまで何とか写真の中に封じ込めてきた破壊的なものにダイレクトにとらわれてしまったのだろうと思うんです。

(十川)
 うまく距離が取れていたのが、象徴化機能が効かなくなって、それに直接触れてしまった。分析家はそこでは、言葉によって介入し、言語というもう一つの象徴化の働きを高めるように機能したのでしょう。それによって「死」は二重の象徴化を施されることになる。

(立木)
 そして、そのために分析家は主体が母親から距離をとれるように導いただろうと思います。CPCTでの治療期間は四ヵ月と決められていますから、その短い期間で分析家が最も力を入れなければならなかったのは、おそらくそこでしょう。

<精神分析にとっての理論とは?>

(十川)
 ところで、ラカン派ほどテクスト解釈に熱心な学派は他にありません。この10年の動きはきちんとフォローしてないけれど、私がパリにいた1990年代前半は、ラカン派の研究会では、多くの人がフロイトではなくラカンのテクスト解釈--というより、ラカンを正確に理解するための勉強会でしたが--を行っていました。ミレールの講義などが人気があったのも、ラカンの理論を明快に説明してくれるからです。

(立木)
 その状況は今でも変わっていないんじゃないでしょうか。カルテル(少人数のメンバーによるグループ・ワーク)ではラカンのテクストを読むことが主流でしょう。

(十川)
 ラカン派では、テクストを読むことが臨床研究に劣らず重要な意味をもっている。このことを少し考えてみたいんですよ。確かに、フロイトとラカンは見事なテクストを書いた人です。このようなテクストの書き手は、精神分析の歴史の中では類を見ない。この二人のテクストに比べると、クラインやビオン、ウィニコットなどは、臨床家としての能力は格段に優れていたとしても、彼らの書いたテクストは、どうひいき目に見ても見劣りがしてしまう。哲学や文化批評の領域で、フロイトやラカンは読まれるけれど、その他のテクストがほとんど読まれないのは、このようなテクスト自体の優劣という問題が大きい。

 このテクスト読解と臨床実践の相互関係は難しい問題を孕んでいます。私は「テクストを読むよりも臨床経験が大切だ」といった当たり前のことを言いたいのではありません。その両者の関係をもっと突きつめて考えておく必要があると思うのです。

 もちろん、テクストを読むことは、分析家にとって重要な作業です。多くの批評家がいまだに分析の仕事が終わったあとにフロイトのテクストを読み返しています。このテクストという概念をもっと広く拡大してみるなら、分析家の仕事のかなりの部分がテクスト読解と解釈だと考えることができます。例えば、患者の夢の報告は一つのテクストだし、分析家はセッションのあとに記録を書きますが、それはセッションをテクスト化する行為とも言える。こう言うと、テクストという概念をやや拡大しすぎるかもしれませんが……。もう少し限定して、どの学派でも重要とされるスーパーヴィジョンのあり方を考えてみても、あれは一つのテクスト解釈とも言えるのです。日本だと大部分、症例はテクスト(文章)として、患者を実際に治療した分析家(スーパーヴァイジー)がスーパーヴァイザーに示し、それに対してスーパーヴァイザーがコメントする。その際、スーパーヴァイザーは直接患者に接しているのではなく、基本的にはテクストからコメントを加えます。もちろん、この作業は分析家(スーパーヴァイジー)の実際の分析行為に効果を及ぼすゆえに、現実に繰り広げられている治療との相互作用をもつという点において、分析治療と純粋なテクスト解釈は異なっている。とはいえ、分析家が臨床体験と考えていることのかなりの部分は広義のテクスト解釈と関係している……。

(立木)
 そこはエクリとパロールの違いという問題が入ってくるので、微妙なところでもあります。ラカンは「スーパーヴィジョン」というタームに反対して、なぜ「スーパーオーディション」と言わないのか、と言っている。患者さんやスーパーヴァイジーの話(パロール)を聞くことと、フロイトのものにせよ、ラカンのものにせよ、書かれたテクスト(エクリ)を読むことは、どこまで同じ平面に置いていいことなのか、僕は今すぐにはお答えできません。ただ、ラカン派一般の傾向として、ラカンのテクスト読解に割く時間が大きいことは確かですね。

(十川)
 いろいろな学派の研究会を見渡してみても、ラカン派だけがテクストの読解に莫大なエネルギーを費やしている。しかも、グループを作ってテクストを読む。他の学派では、このような傾向は見られません。症例検討会はグループで行うにせよ、テクストは--例外はあるにせよ--各自が一人で読むでしょう。

(立木)
 ラカンがカルテルでのグループ・ワークを勧めたことの影響のもあるでしょうね。ただ、それとは別に根こういうことは言えると思います。先ほどお話したCPCTでは、ものすごく臨床の会合が多いんです。特に、グループ・スーパーヴィジョンがが多いんですが、あれだけの数をこなそうと思ったら、メンバーのあいだに共通の理論的な参照枠がないと難しいと思う。僕はテクストを絶対視するつもりもないし、いつも言ってますけど、理論というのは臨床によって覆されるためだけに存在していると思っているくらいですから……。

(十川)
 しかし、ラカンの理論は臨床によってほとんど覆されていはない。ラカン自身はそのように理論を壊しながら進んでいったところはありますが、その後の分析家にはその傾向は見られない。やはりラカンの理論は参照枠としてあまりに強く作用しすぎているのではないか。そのために臨床経験の深化が妨げられてしまっているような気がしますね。

(立木)
 確かに、ラカンに続いた人たちは、ラカン本人ほどラカン理論を脱構築してはいないかもしれない。しかし、ラカン派の分析家たちが主に依拠するラカン理論の断面はどんどん変わってきています。先ほど、「普通の精神病」という概念がECFで使われるようになった頃、臨床の中心がセマンティックからプラグマティックに移った、という話をしましたが、プラグマティックな臨床のモデルは何かというと、ボロメオ臨床(1970年代のラカンは、現実界、象徴界、想像界をそれぞれ一つの輪に見立てたボロメオ結びに注目する。「ボロメオ結び」とは、三つ以上の輪を、そのうちのどれが脱落しても全部がばらばらになってしまうように結び合わせるやり方である。ラカンは、精神病を現実界、象徴界、想像界から成るボロメオ結びに間違いが生じたケースと捉え、その間違いを取り繕うように介入する四つ目の輪を「症状」と位置づけるようになる。このような観点に立つ臨床は、症状を「解読すべきもの」と捉える従来の臨床とはおのずと異なる方向性をもつ。この新たな臨床のコンセプトは「ボロメオ臨床」と呼ばれる)です。1980年代、90年代までラカン派にとっての精神病のパラダイムはシュレーバーだった。それが90年代の途中から、がぜんジェイムズ・ジョイスに変わってきた。『サントーム』のセミネール(1975-76年)でラカンの語っているジョイスが本当のジョイスかどうかは別として、とにかくラカンのジョイスをラカン派は重視するようになったわけです。これは大きなパラダイム転換でした。だからラカン派の中でラカンは覆されていないかもしれませんが、ラカンのどの理論と付き合っていくかは大きく変わってきたと思います。

(原)
 ラカン派の教育活動がテクスト解釈に偏重しているというのは、私もパリにいた人間として分かるんですが、それとは別に、理論的な議論が臨床との関わりでもっている価値がある気もするんですね。集団でテクストを読まなくても、一人でテクストを読みこんでいくことはある、とおっしゃいましたが、理論的な議論が臨床を深めるということはないのでしょうか? その場合に理論的な思考がもつ意味はどう位置づけられるのか。分析が展開される時間や空間を新しい形で提示するのが理論の役割で、それをそれぞれの分析家が--ラカンであれば言語という枠組みを使って、ビオンであればアルファ・エレメントやベータ・エレメントという用語を使って--行うわけですが、分析に座標軸を与えるという役割は、やはりあるんではないでしょうか。

(十川)
 症例を検討する場合、そのような用語を使わない方が理解が進みますね。日常語で具体的な考えていくほうが新たな発見があります。概念を用いた場合、起きていることの理解が還元的なものになっていく。そうなると、もはや現実そのものからどんどん遠ざかってしまう……。

(原)
 そうすると、精神分析における理論の役割というのは何なのでしょうか?

(十川)
 理論は精神分析的な知の伝達や洗練のために必要なのです。理論がなければ、精神分析的な知は雑多な経験知以上のものではなく、みずからを論理的に基礎づけることができません。それは今、原さんが言われたとおりです。しかし、一度作られた理論とは、臨床の現場からみれば、脱皮した後の抜け殻程度のものでしかなく、新たな臨床経験においては、ほとんど意味をもたないのです。よくありがちな誤解は、理論を実際の症例を分析するための道具と位置づけてしまうことです。それは臨床経験を単にある理論の枠組みで切り取っているだけのことでしょう。でも、そういった還元的な理解の方法が、一般に流通している精神分析のイメージなんですね。分析家は理論とそのようなプラグマティックな関係をもってはいません。もし分析家がセッションの中で何かの理論に依拠してしまっている時は、だいたい分析が行きづまって、うまくいっていない時です。その経験の中に入り込み、経験を理解できなくなってしまうと、理論に頼ってしまうのです。

(立木)
 おそらく十川さんがおっしゃっているのは、ラカン派はリジッドに(硬直的に)理論を参照しすぎるきらいがある、ということですよね?

(十川)
 そのリジッドさが強みでもあり、弱点にもなっているんだけどね。

(立木)
 そういう可能性はなきにしもあらずだと思います、確かに。

III 実践篇

<「事後性」について>

(立木)
 十川さんは「前エディブス」の概念を問題になさっている138頁から139頁で、それは「エディプス概念から見て、「事後性」という(時間の)論理によって発見される段階でもない」とおっしゃっています。ここで「事後的」という言葉が使われているのは単に、エディプス段階から事後的に前エディプスを発見することに対する批判だけでなく、「事後性」という概念そのものに対する批判の意味もあると思うのですが、いかがでしょうか? これは時間論に関わってくる問題ですね。

(十川)
 そうですね。精神分析の理論は基本的に空間論として構想されることが多い。私のシステムや境界という構想も空間的な発想に基づいています。それゆえ、精神分析理論では時間に関する考察はきわめて乏しい。しかし、臨床の現場において、時間の問題というのは重要な位置を占めています。患者が今まで生きてきた歴史というのは時間経験です。そして、セッションの中での時間の流れも、患者が今まで経験してきた歴史の形と何らかの形で結びついていて、人それぞれ、またセッションによって、その流れは異なっています。これまでの精神分析理論の中で最も説得力のある時間論は「事後性」という考え方です。精神分析の時間論は事後性に尽きる、と言ってもいいくらいでしょう。1990年代に、分析家のアーノルド・モデルは脳科学者のジェラルド・モーリス・エーデルマンの考えに依拠しつつ精神分析の時間論を提示しましたが、そこでの中心的なアイデアも事後性という発想に基づいています。しかし、この事後性という考えとは異なる見方もあるのではないかということを、最近、私は考えるようになっています。例えば、前エディプス期は、事後性のロジックからいうと、もうないものですよね? そのものとしてはない。それはエディプス期になって、あとから意味が与えられる……。

(立木)
 「ポワン・ド・キャピトン(クッションの綴じ目)」ですね。

(十川)
 ポワン・ド・キャピトンになってしまうわけですが、今回の本では「前エディプス期はシステムとして顕在化する」という表現を使っています。「事後的に」ではなく……。前エディプス期のコミュニケーションは、エディプス期のコミュニケーションに形を与えています。と同時に、エディプス期のコミュニケーションも前エディプス期のコミュニケーションに形を与えている。それらが接続したときに前エディプス的なものが顕在化するという考えです。

(立木)
 つまり、併存というところから出発する。過ぎ去ったものではなくて。

(十川)
 そうですね。過ぎ去ったものではないですね。想起するというよりも、併存していたシステムが偶然につながってしまうということです。

(原)
 誤作動というか、誤って接続するというイメージは、『ヒステリー研究』の最後で転移の話が出てくるときにフロイトがよく似た表現で述べています。そのかぎりでは、フロイト的な--というと十川さんは嫌がるかもしれませんが--概念装置と言いますか、表現だな、という気がしました。ただ、併存というのはどうなんだろう。そのイメージはあまりうまく湧かない。例えば、二通りの作動の形式が同時に存在する、とイメージすればいいんですか?

(十川)
 イメージとしてはそうですね。私は人間のセクシュアリティのシステムは、いかなる個人においても、幼児のセクシュアルティと成人のセクシュアリティが同時に作動していると考えています。このセクシュアリティのシステムについての理論は妥当性が高いものだと私は確信していますが、この理論のロジックを時間論として展開したものが今の考えです。つまり、時間に関しても、前エディプス期とエディブス期の時間が同時に作動していて、前エディプス期の時間はある出来事とともに賦活される。

(立木)
 要するに、直線の時間軸上に並べるのではなくて、ある時に前エディプス的なものが始まって、それが流れて、途中からエディプスが流れてくる。。並行関係というか、直線上に並べるのではなくて、時間軸そのものが増えてくるイメージですね。

(十川)
 事後性というと、基本的に「今」が優位で、現在主義でしょう? そうではなく、かといって過去主義でもなく、そのどちらでもない立場というか……。

(立木)
 なるほど。現在主義ではなく、過去主義でもない。もちろん精神分析でラカンが事後性を重要なものとして取り出したことの必然性はあります。結果から見て判断しないといけないことは山ほどあって、それで初めていろいろなことの意味が分かってくるという面がある。何かやりたいと言っていても、そう言っているだけでは欲望があることにはならない。そのやりたいことが実現して初めて、そういう欲望をもっていたということが分かるわけですね。少なくともラカンの言う「欲望」はそういうものです。だからこそ、パス(ラカンが提唱した「学派分析家」の認定の仕組み。学派分析家とは、そのときどきの精神分析の枢要な問題についてみずからの経験から証言できる分析家のことであり、一つの精神分析を終えて「分析家の欲望」を担うに至ったことを学派全体から認められた分析家だけがそう名乗ることが許される)にしても、一つの精神分析を終えて分析家の欲望を担うに至ったかどうかを、あとから振り返って見極めるという作業になる。こうした考え方は、精神分析の中で何かを捉えようとする時に重要だし、ある種の必然性をもつとは思うんですが……。

(十川)
 空想レベルではなく、実現が前提になっているということですね。

(立木)
 そう、ファンタジーではだめだということで、事後性はそのことをはっきりさせる上で必然性をもつのだと思うんです。でも、十川さんはそれとは別の必然性を考えておられるのでしょうか?

(十川)
 時間論に関しては、例えばクライン派だったら、妄想分裂ポジションの状態には時間はなく、抑鬱ポジションになって時間が生成していく、という考え方がありますよね。ここにも二つの時間が想定されています。二つといっても、一方は時間以前の時間ですが……。

(立木)
 時間が流れ出すのは抑鬱ポジションに移行できたとき、つまり自分が破壊したので対象が失われてしまったという認識がもてる時ですね。

(十川)
 そうですね。悲しみの時間、生の意味を深く味わっている時間ですね。これは事後性の論理によってではなく、ポジションの変化によって時間が生まれるという考えで、妥当性はあると思います。先ほどの議論の前エディプス期を妄想分裂ポジションと、エディプス期を抑鬱ポジションと置き換えるなら、私の考えとこのようなクライン派の時間論は--「システム」という言葉を使うかどうかを別にすれば--対応関係があります。

(立木)
 その時間は象徴化と重なってきますね。

(十川)
 象徴化された時間とも言えますね。ところが、トラウマや狂気のさなかに時間はない。

(原)
 決定的に過ぎ去ったものがあって初めて成立する時間ということですよね。しかし、意味が未決定なまま残されているシニフィアンがある状態は、ある意味先取りでもあるわけです。先ほどおっしゃった話と関係してくるのですが、ラカンが指摘した先取りの時間性のようなものを事後性との関わりで論ずる余地はないのかどうか。

(立木)
 ポワン・ド・キャピトンは、いちおうその両方をインテグレート(統合)した図式になっています。主体がシニフィアンをつないでいく間、意味は先取りされているにすぎない。一つのパトロールに区切りが打たれて初めて、そこから事後的に意味が確定する、という図式ですね。ただ、「論理的時間」における「先取り」は確実性の先取り、ということはつまり、そこでは真理のことが問題になっていた。それに対して、ポワン・ド・キャピトンは基本的に真理の問題ではなく意味の問題です。僕は「大文字の他者の欠如」が概念化される1950年代末を境に、真理についてのラカンの考えはやはり大きく変わっていったと思うのですが、それ以降ラカンが真理について述べていること、例えば「真理は半分しか言われない」といったようなテーゼにも先取りと事後性という図式をあてはめてよいのかどうか、ちゃんと考えてみないといけないという気はしています。

<自己の変容について>

(立木)
 ところで、自己の変容というのは、システムの事後的な変容であり、コミュニケーションを介して、コモュニケーションによってもたらされる変容ですが、それは自己の可塑性という問題とも結びついて、とても重要だと思います。ただ、自己の変容の例として十川さんが実際に提示されているパラダイムはジャン・ジュネとピエール・ルジャンドルですねるここのところについては、もう少し精神分析のコンテクストに即してイメージをもちたいと思う人も多いのではないでしょうか。

(十川)
 精神分析固有の変容ということですか?

(立木)
 精神分析の中で起こる変容ですね。十川さんはご本の中で精神分析的なコミュニケーションを一つの特異なコミュニケーションとして強調していらっしゃいます。ですから、それに対応して、どういう自己変容を考えることができるのか、ということなのですが。

(十川)
 精神分析があるプロセスを経て終結に至ったとき、「自分は変わったな」と感じるものです。この変わったという程度は人によってさまざまで、劇的な形で生じる場合もありますし、きわめて地味な形で以前とは違った生き方をする人もいます。大部分の分析では、後者の方でしょう。これはまったく人それぞれとしか言いようがありません。では、その変容をどのようなものと考えることができるかといえば、それに関しては理論的な語り口と経験的な語り口の二つがあると思います。理論的な語り口としては、立木さんもご著書で書かれていましたが、「現実的なものとの関係の一部が変化することで自分のあり方が変わる」といった言い方や、私の言葉だと「自己の経験の回路が更新されることで自分のあり方が変わる」といった言い方で変容を表現することができます。経験的な語り口としては、分析経験を小説なり、エッセイなり、何らかの形で出版している人たちがいます。あるフランスのエッセイストは、「私は分析が終わったとき、もはや母を憎まなくなった」と書いています。そのようなことは大したことではないじゃないか、と思う人がいるかもしれませんが、これも変化です。それから、エドワード・サイードは、「私は精神分析のセッションの途中で一種のエピファニー(物事の本質が露呈する瞬間)を経験した」と書いています。こういった記録は、いくぶん自己劇化して書かれる傾向はありますが、精神分析経験における変容を鮮やかに表現しています。

 ところで、今の立木さんの質問で大切なのは「精神分析固有の」という点ですよね。今挙げたような経験ならば、例えば生きる中で大変な苦労をして、そこから教訓を得たといったことや、年齢を重ねることによって物事がよく見えるようになったということと変わりがないように思えますよね。精神分析経験の固有性は、それが自己の病理的な作動--主体と現実界と言い換えてもいいですが--に向けられたものだということです。生きている中で経験する事柄は、そのような病理的な作動を変えるように作用するものではありません。別離や悲しみ、困難な経験などは、その人の病理を改善するどころか、いっそうそれを悲惨な形にすることが多い。一般に人が意図的に変化をもたらそうとする行為--旅やライフ・スタイルの変更といえばやや通俗的ですが、これらは基本的に快に向けられたものです--が自己の病理的な作動をいっそう病理的にする場合だってあります。精神分析は自己のそういう部分を治療システムにおいて取り上げ、変化させていくわけです。この病理的な部分の作動が病理的な作動をいっそう病理的にする場合だってあります。精神分析は自己のそういう部分を治療システムにおいて取り上げ、変化させていくわけです。その病理的な部分の作動が病理解除的に働くことが、精神分析固有の自己の変容を示しています。分析をして最も痛切に感じるのは、人がいかに変化しないかということであるという分析家がいます。私もそう言いたくなる気持ちはよく分かります。しかし、そういう分析家も、それにもかかわらず分析治療を行っているということは、やはり変化が起きることを知っているからだと思います。どんな理論的立場をとっても、精神分析が最終的に目指すものは何らかの変化です。もしそういうことがないならば、精神分析する意味がなくなってしまう。

(立木)
 いずれにせよ、自己変容は自己のシステムの変容ですが、それが精神分析を通じて起こってくるというのは、要するに精神分析という一つのコミュニケーション・システムを通して起こってくる変容だということですね。

(十川)
 そうですね。

(立木)
 そのところはラカン派でももう少し強調されていいのではないか、という気がします。ラカンがはっきりそう言っているのかどうか知りませんが、ラカン派の場合は何が変化するかというと、享楽のモードですよね。ある症状から出発して、その症状を支えている享楽モードを……

(十川)
 それはかなり後期のラカンですよね。前期にそのような考え方はなかった。

(立木)
 確かに、これは「剰余享楽」ということが出てきて以降、つまり「四つのディスクール」以降のラカン理論のパラダイムに即した考え方だと思います。僕が言いたいのは、ある症状を支えている享楽のモードに移ろうという変化、それはレエル(現実的)な変化であるべきですが、精神分析が目指すのは結局のところそれだということです。しかし、精神分析はそこにニュートラルな装置として介在するわけではない。そうではなくて、実は精神分析そのものが一つの享楽モードなんです。つまり、そこで享楽するプロセスが必要なんですね。精神分析が進展するためには、主体が精神分析の中での享楽すること、ごく平たく言えば、精神分析を楽しいと思えることがどうしても必要です。その精神分析の中での享楽を経由して、最終的にそれとは別のモードに移っていける人はそうすればいいし、精神分析の享楽モードが楽しくてやめられない人はそのまま分析家になればいい。ただし、その享楽モードを支える欲望を見つけないといけない。ラカンが「分析家の欲望」と呼んでいるのは、おそらくそれです。そういうふうに考えると、精神分析的なコミュニケーションというのも、ある種のジュイサンスに支えられているんじゃないでしょうか。

(原)
 そういった形で分析的な仕事を規定したとき、やはり他の形で行われる自己変容との境目が分かりにくくなってきてしまう、という気がします。どこで終わりにするのか、という問題と関わってくると思いますが。十川さんのご本では、そのあたりについてはっきりと、治療ないし治癒を目標にして始まるのが精神分析的な自己変容だと述べられていたところがあって……

(十川)
 「治癒」とは言っていないでしょう。医学的に言う場合はあるけれども。

(立木)
 でも、「治療的に」というところがありましたね。

(原)
 そう思ったんですが。

(十川)
 「治療的に」と「治癒」はまったく違うことですよ。「治癒」を目指した治療を行うことは、医学であっても精神分析ではないと思います。「治癒というのは望ましき副作用である」というラカンの言葉は、奇抜な発想ではなく、現在のほとんどすべての学派に共有されている考えだと思います。

(原)
 ちょっと迂闊な言葉の使い方をしてしまいました(笑)。ただ「治療の方向性」という言い方はあったと思うのですが。

(十川)
 方向性は確かにあります。

(原)
 その方向性ですよね。治療の結果としての治癒が現実に起こるか起こらないかは別として、それが目標として設定されているのが、ある意味で分析的な自己変容の特徴ということになるのかな、と思ったんです。

(立木)
 症状との付き合い方が変わるということでしょう。苦しい中でも享楽しているから、そこから自由になれない。いつも同じようなことが起こって、いつまでも離れられない。そういう享楽モードから、分析が楽しい、分析で自分のことを話すのがなんだか楽しくてやめられないという段階を経て、別の享楽モードに移っていくのだと思います。分析というのは、そのプロセスの中にジュイサンスがないとだめなんです。

(十川)
 それは純粋精神分析の場合であって、応用精神分析の場合はないことが多い……。

(立木)
 確かに。すいません、今僕は完全に純粋精神分析のことしか考えていませんでした。応用精神分析、つまり医学的・精神療法的制度の中での精神分析的実践の場合には、やはり症状の改善が一番大きな目標になってきます。ラカンは、それは精神分析にとってある種の「制限」だと考えていた。だから、そういう実践を「応用精神分析」と呼んだわけですね。

<信について>

(立木)
 原さんが言われた言語における「foi(信)」に関連して、十川さんの理論では情動の回路の働き方に信頼と不信とがありましたが、原さんのお考えでは言葉の中にあるのでしょうか?

(原)
 そう思います。立木さんのご本の最初に書かれていた、言葉というシステムはかくも不完全なものなのに、どうしてわれわれは語るのかという問題がある。他者に対する信がないと語ることはありえない。それはそもそも分析関係が成立するために必要な条件だと思いますし、そういった形で言語行為に内在する信があるとすれば、例えばデリダは『友愛のポリティクス』(鵜飼哲・大西雄一郎・松葉祥一訳、みすず書房、2003年)の中で、あらゆる言語に内在する「おお、友よ」という呼びかけがある、と言っていますが、それがそうした次元に対応しているんだと思います。そうした他者の次元の問題は、フロイトではそれほど前面に出てきていないけれども、ラカンでははっきりと前面に出てくる。十川さんの構想では、それが消えてしまっている気がしたんですね。システムの作動というターミノロジーとの関係もあると思います。言語を語ることに内在する信を受けとめるような他者の次元は、十川さんの構想の中では、最終的にどこに位置づけられるのでしょうか?

(十川)
 私の構想には、ラカンが言うような「大文字の他者」というものはありません。とはいえ、他者論が無いわけではありません。自己システムはそれ自体で完結せず、社会システムを媒介することによって初めて自己自身を形成するわけで、この場合、社会システムは自己システムにとって他者の次元を形成しています。治療関係では、分析家とのコミュニケーションこそが患者にとっての他者です。このような他者というものを考える場合、他者は前もって存在しているものではない。他者は生成していくものです。おそらく、ラカンの他者論には、他者が生まれてくるという議論はないと思うんです。他者をあらかじめ存在するものとしてではなく、生成するものとしてのみ捉えてみてもいいのではないでしょうか。

(原)
 もしラカンでそういう契機を位置づけられるとすれば、イマジネール(想像的)なファルスを導入するところだと思うんです。つまり、何かを欲望する他者が存在することを先取り的に断言する、という契機です。自分と同じように存在する他者がいて欲望をもっている、このことを事実として確認するのではなく、むしろそれ自体望ましい事態として要請しながら、その他者との関係を調整していくというシナリオが、例えばセミネールの第四巻(1956-57年)の理論には内在しているように思います。結局、イマジネールなファルスという想定自体、さまざまな形で手直しされざるをえなくなりますが、そこで他者の生成という契機を考えられるのではないか。

(十川)
 なるほど、確かにその方向を突きつめるなら、他者の生成という問題が内在していると言えるかもしれない。

(原)
 最終的にエディプスの議論をして、父の死が問題になった時に改めてそれが問題になるという、大きな回帰の図式のようなものをラカンのエディプス論はもっているのではないか、という気がしているんです。

(立木)
 欲望する他者の生成ですね。

(原)
 ええ。それが言語の中で考えうる「foi」で、「信仰」とは違った意味での「foi」です。モーリス・メルロ=ポンティが『見えるものと見えないもの』(1964)のなかで、「foi perceptive(知覚的な信)」という言い方をしていて、目の前に見えるものがそこにあると思ってしまう、抜き難い傾向がわれわれにあると言っていますが、同じように、欲望する他者が目の前に、われわれとは独立した存在としてあると考えてしまう抜き難い傾向があるとするならば、それを「foi perceptive」に倣って「foi linguistique(言語的な心)」と言ってもいいのではないか。メルロ=ポンティはこの「foi perceptive」の中に、物だけではなく、人間の存在を信じてしまう傾向をも含めて考えるのですが、いずれにしてもこのレベルで生成を考える可能性があるのではないか、ということなんです。

(立木)
 一方で、ラカンの中に「foi」の議論が出てくるのは、やはり真理との関係においてだということも思い出しておきたい点です。大文字の他者が真理の保証者として現れるとき、「bonne foi」(正しいと思うことを真理として告げることができること)は守られます。しかし、それは大文字の他者の第一段階でしかない。ラカンにおいて、この大文字の他者はいわば二重化されます。つまり、「メタ言語はない」という事実によって、真理の保証者としての大文字の他者は「欠如をもつ他者」へと転落してしまうんですね。そうすると、今度はその大文字の他者について、ラカンは「sans foi de la ve'rite'」という言い方をします。つまり、真実(へ)の信がない状態です。信を保証してくれる他者から、保証してくれない他者へ--これはラカンにおいて「A」に斜線が引かれることによって表わされるわけですが、この大文字の他者の二重性はもっと強調されてよいと思います。

<日本の精神分析>

(立木)
 最後に「今、精神分析とは何か」という大きな問いについて考えてみたいと思います。

(十川)
 やはり、この問いがラカン派の臨床の中心に位置する問題になりますね。ラカンは「精神分析とは一人の分析家から期待される治療である」と『エクリ』に書いてありますが、とすると、そこから分析家とはどのような存在か、そして患者は分析家に何を期待するのか、という問題が派生してくる。

(立木)
 そうですね。そもそも「精神分析家」とは何かといのが、とりわけラカン派において、実はいちばんの大問題です。ラカン派の基本は、昔も今も、新たなる精神分析家を誕生させたプロセスが精神分析である、という考え方です。しかし、それでは精神分析家とは何なのかというと、それは一つの精神分析を終わりまで推し進め、分析主体から分析家への「通り抜け」を果たした人だ、ということになる。一見すると堂々めぐりです。パスが必要なのはそのためです。つまり、自分は一つの分析を終えて分析家になったと思う人の証言を聞きとり、この証言が真正なものであるのか、学派全体で共有できるものであるかどうかを判定しなくてはならない。それが真正なものだと認められたとき新たな精神分析家と新たな精神分析が同時に誕生します。これがパスの仕組みです。先ほど、フランスでは分析家の再生産ばかりやっているとポンタリスが批判している、というお話が出ました。一部は当たっている指摘だと思いますが、分析家がちゃんと生み出されないと精神分析はまわっていかないという面があることも事実です。フロイトが最初に日本人に言ったのもそれです。日本で分析家を作りなさい、と。僕は同じことをピエール・ブリュノにも言われたことがあるし、僕の分析家にも言われています。もちろん治療という側面は、いかなる精神分析にとっても社会的に存在する条件だと思いますが、分析家が生産されることもおろそかにできません。

(十川)
 いろいろな条件から、日本ではわずかしかなされていないことですけどね。

(立木)
 十川さんはいかがですか。

(十川)
 もちろん僕は教育分析も引き受けるし、それによって分析家になる人が出てくることも歓迎はしますが、ことさら分析家を再生産したいという欲望はないですね。それよりも、実際の臨床において起きていることをもっと厳密に理解し、それに対していかに多様な治療的介入ができるのか、またある局面において、どういう働きかけが患者の心的なあり方を変えるか、といった具体的な問題のほうに関心があります。結局、そういった具体的な問題を考えることによってでしか、理論の更新はありえないでしょうから。ところで、結局、分析家が再生産の欲望によって組織を作る場合、多くの場合は、最初に述べたように「教団」になっていくんですね。精神分析はマイナーな言説でしかないのに、それをメジャーな言説にしょうと思うと、たいていは奇妙なことになる。それでも精神分析は滅びることはないと思うんですよね。わずかでも精神分析的な知や真理に対して情熱を抱き、それとともに生きていく人はどのような時代や社会にも一定数はいるものです。

(立木)
 再生産の欲望は最初からあるというのでなくてもいいのかもしれません。僕もフランスのようになればいいと思っているわけではないし、そもそもそんな必要があるのかどうかすら分かりません。ただ、精神分析という営みはやはり分析家によって支えられているものなので、時々は日本でも分析家が生産されてほしい。あらかじめ目的論的に分析家を育てるように設定しなくても、一つの精神分析の結果として分析家が誕生するという営みが細々とでも続いていけば、さしあたりはいいんじゃないでしょうか。

(原)
 一方でビオンの議論に戻ると、教団みたいなものの必然性を強調するわけですよね?

(十川)
 いや、ビオンはそうは言っていないでしょう。

(原)
 ええ、確かに自分の利益や患者の利益を超えた分析集団に対する、「忠誠」という言い方まではしなかったと思うんですが、とにかく分析集団とその作業を優先的に考えるのが大事なんだ、と言ってしたところがあったと思います。分析に内在的な次元としてグループを作らなくてはいけない、グループが必要なんだと。

(十川)
 孤立してはいけない、ということですよね。常に他者に開かれていなければいけないし、自分一人でものを考えていると、独断的になるか行きづまるかなので、自分が思考の自由を保つためにも、逆にグループと関係をもつことは必要です。しかし、それは「教団」とは別のことです。

(原)
 その集団は、まずは分析家の集団であるということですね。

(十川)
 そうじゃないと意味がないと思います。経験を共有できる人と関係をもっておくことですね。

(立木)
 ただ、集団を作ってしまうと集団にも症状が出てきてしまうことがよくある。

(原)
 ハインツ・コフート(1913-81年)も『自己の治癒』(本城修次・笠原嘉監訳、みすず書房、1995年)の訓練分析に関する部分で指摘してしますよね。

(立木)
 だから、おそらく十川さんのお話は集団の問題とも関係していて、グループを作る必要はあるけれども、グループ全体やそれに参加する個人の可塑性を奪うようなものはいかん、ということですよね。

(十川)
 私が今回の本の最後で、ジャン・ジュネの政治行動を媒介にした共同体について考えてみたのは、そこに当然、分析家の組織のことも意識してのことです。同一性やアイデンティティと無関係なものだけで結ばれているような共同体、それはラカンが学派を考える上で構想した共同体ですが、そういうものが実際可能であれば、その中で精神分析の経験が共有され、また検証される。これはいわゆる共同体ではない共同体であって、集団としての症状なき共同体とも言えます。フロイトの共同体論--これは精神分析運動論でもあるのですが--は基本的に父の死によって結ばれている共同体です。そこにはサクリフィス(生贄)があり、サクリフィスとの関係が個人と共同体を結びつけている。しかし、ジュネを通して考えてみたかったのは、各人が自分の無意識との関係で他者と関係をもちうるような共同体は可能だろうか、ということでした。これは単に精神分析の組織の問題だけではなく、一般に共同体というものを考える際に重要なポイントとなると思います。

(立木)
 共同体の問題は本当に難しくて、いつも頭を痛めるところですね。

(十川)
 それから、日本であまり流行らないのは、やはり料金が高いというのがありますよね。分析をするのは、料金が高いし、時間がかかるし、労力もすごく要る。ラカン派はそういった敷居を下げた。ラカン派があれだけ分析家を生み出したのは、やはり安いんですよね。時間は短い代わりに--当然、その功罪は問われるべきですが--安かった。立木さんの頃は高かったかもしれませんが、私の時は比較的安かった。一セッション4000円から5000円くらいでしたね。

(立木)
 そうですか。いいなあ、それは(笑)

(十川)
 学生でもできるわけです。分析家のところへ電話をしたら「明日いらっしゃい」という感じで、とてもオープンなんです。

(立木)
 そうそう。

(十川)
 あれが魅力的なところで、他の学派だと例えば、予備面接に半年かかって、始めるのが一年後といったように、敷居が高い。ところが、ラカン派の場合、電話したら翌日からもうセッションが始まっていることがある。

(立木)
 もちろん、最初は予備面接をしますけれども。

(十川)
 もちろんやるけれども、予備面接で徹底的に患者をセレクトし、厄介な人をふるい落とそうという感じはない。そういう自在さ、寛容さは魅力だと思いますね。それが、あれだけの分析家を生み出した原動力にもなっていると思うんです。

(立木)
 そういうことの見本を、自分の分析家の待合室で見たことがあります。待合室に来ていた男性が実は分析家で、彼の電話が鳴って話しているのを聞いていると、新しい患者さんのアポをその場で作っていました(笑)。彼は分析家なんだけど、自分の分析を続けている。その彼のところへまた新しい分析主体がやって来るんです。

(原)
 そういうカジュアルさは、理論から入っていく日本の分析のイメージからは想像しにくいかもしれませんね。

(立木)
 そうですね。フランスで若い人が精神分析に興味をもつと、ままず分析家のところに行くでしょう? ラカンを読むよりも先に。日本の精神分析は特殊で、IPA(国際精神分析協会)の資格をとってきた日本人はすでに1930年にいたわけです。矢部八重吉(1874-1945年)という鉄道省の人ですが、国費留学でイギリスに行って、エドワード・グローヴァーの分析を二ヵ月受けて、どうもアーネスト・ジョーンズに気に入られたらしく、IPAの資格をもって日本に帰ってきて「日本精神分析協会」というのを始めた。そのあと、東北帝国大学の丸井清奏(1886-1953年)--古澤平作(1897-1968)のボスです--が嫉妬して駄々こねて、自分もIPAの組織をやると言いだしたので、日本の組織は二つになりました。戦争中はいずれも休眠状態になりましたが、戦後になると矢部の組織は完全に消滅し、仙台にあった丸井の組織を古澤さんが東京にもってきて再開したのが1955年だったと思います。そのとき、改めて「日本精神分析協会」が始まったわけです。ところが、古澤さんは同時に「日本精神分析学会」というのを作って、それ以降はなぜかこの「学会」のほうが日本で精神分析を代表する組織になってしまった。そして、それが1990年代まで続いていたわけです。古澤さんはウィーンでリヒャルト・シュテルバに分析を受けたあと、東北帝国大学の助教授の職をなげうって精神分析家として開業した人ですね。1934年のことです。そこまでは偉かった。それなのに、戦後、彼は自分のまわりに大学人を集めて、分析家の養成ではなく、分析理論の普及を優先させるようになった。だから、分析家の再生産は1990年代まで日本のIPA組織ではやっていなかったんです。こんな例はヨーロッパにはありません。古澤さんはIPAの基準を無視して、最初から週に一度の面接で、寝椅子も使わなかったらしい。当然、それではだめだという声がどこかからあがってもおかしくなかったのに、日本の分析はずっとそれでやってきたところがあって、こういう事情が日本における精神分析の距離の遠さを決定づけていると思います。実践としての精神分析はなんだか遠いものだなという……。

(原)
 ただ、実践が身近になる環境は少しずつ準備されているようにも思います。「鬱は心の風邪」ではありませんが、心の病を感じて専門家に会いに行くことが社会的に後押しされている状況がありますよね。もちろん分析家のところに来るとは限らないわけですけれども。

(立木)
 それは多くの場合、薬をもらいに行くことと一緒にされていないですか? 今の鬱をめぐる状況は、薬屋に支配されている感じが強くします。けれども、一方では鬱を治療するには薬だけではなく心理療法も同時にやったほうが効果的だというデータもあるようです。実際、鬱状態になって、病院へ薬をもらいに行くだけでなく、分析家のところへ、例えば十川さんのところへ話を聞いてもらいに行く人もいるでしょう。そういう人たちが分析家のもとでいかに自分の無意識と出会うのか、というところに期待したいですね。

<分析家のスタイル>

(立木)
 自分のスタイルを構築して初めて分析家だと僕は思っています。だから、分析家固有のスタイルとは何かを考えていかなければならない。そこでは分析家自身の無意識の問題が大きくて、分析家の仕事の多くの部分は無意識ですよね。もちろん、解釈をするときには意識のレベルで話をしますが、解釈を始めた時点で多くのことがすでに無意識のうちで決定されている。だから、分析家がスタイルを獲得するということには、自分の無意識をどれだけあてにできるかということが含まれている気がするんです。極端なことを言うと、ラカンの「分析家は自分自身にのみ拠って立つ」というのは、分析家は自分の無意識に恃む(たのむ)、という意味じゃないかと思ったりもしますが、いかがでしょう?

(十川)
 無意識というか、自分のパーソナリティや気質、自分が生きて経験したことなども含めて、自分で自分のやり方を見つけるしかないですよね。人のやり方を真似することは必要なくて、自分が最もいいと思うスタイルでやっていけばいい。ラカンが短時間セッション(時間変動セッション)をしたのは、ラカンの気質や彼自身が自分の無意識との関係で作り上げていったもので、誰もがそのような方法をとる必要はまったくないと思うんですよね。

(立木)
 僕もそう思います。短時間セッションだからラカン派だ、ということでもない。

(十川)
 しかし、ラカン派の分析家はやたら短時間セッションにこだわりをもつ。短時間セッションは始まった頃は、セッションに独特のテンションとダイナミズムを持ち込むことに成功したのでしょう。しかし、その後のラカン派が行った短時間セッションが、そのような力をもちえていたかは疑わしいと思います。むしろ、分析の力点をセッションの区切りに置くことによって、治療をステレオタイプ化したのではないでしょうか。ラカン派の分析家たちは、自分がはたして治療状況を的確に見据えた解釈を行えているかどうか、またどうすれば分析治療本来のダイナミズムを再び取り戻すことができるか、全面的に見直ししてみるべきです。もっとも、このことはあらゆる学派の治療スタイルにも言えることです。どの学派もその学派なりのステレオタイプな思考パターンを持っています。その点に対する批判的な視点を失ってはならない。

(立木)
 僕は十川さんのご本全体を通じてナルシシズム批判があると思うんですよ。

(十川)
 病者においても、いわゆる健康者においても、ナルシシズムは自己が創造的に生き始めるために最終的に克服する課題となるものと言えるでしょう。

(立木)
 別の言葉で言うと、自己の可塑性を高めることだと思います。だから、十川さんはニーチェを引いて、分析の一つの目標は成熟に向かうことだと……

(十川)
 いや、「成熟」というと誤解が生じてしまう。「健康」のほうがいい言葉ですね。

(立木)
 要するに、可塑性の高まった状態のことですよね。ナルシシズムは可塑性を失わせる、というモチーフが全編に流れている気がします。それが精神分析にも返ってきて、精神分析のナルシシズムはやめよう、何々学派みたいなナルシシズムはもうやめようと、そういうメッセージが込められているんじゃないかと思うんです。十川さんの反ナルシシズムが明らかになったところで、そろそろお開きにしたいと思いますが、十川さん、最後に一言いかがですか。

(十川)
 やはり分析家の仕事は、患者の話を最大限の注意を払って聞いて、そこに生じていることを正確に読み取っていく作業にしかない。その際に頼るべきものは何一つないわけです。自分の過去の経験も理論も役立たない。しかし、そこから何か解決法が生まれてくる。解決法が前もってあったわけではなく、セッションの中で生まれてくる。この経験が分析家の思考や経験のあり方を変える。別の言い方をするなら、分析家のスタイルを生み出していくわけです。このスタイルは人に教えることはできません。せいぜい理論として理解してもらう程度のことです。このようなスタイルを構成していくことを、ビオンやラカンは一生涯かけて、何度も修正を繰り返しながら行ったのです。そのようなスタイルこそが精神分析という実践を動かす原動力であり、それが続くかぎり、精神分析は生き残っていくのではないでしょうか。

(2009年5/29、岩波書店)


座談会 その1 [座談会]


(座談会)
来るべき精神分析のために

(2009/05/29 岩波書店)

・十川幸司
・原 和之
・立木康介

はじめに

(立木)
 昨年(2008年)、十川幸司さんの『来るべき精神分析のプログラム』(講談社選書メチエ)が出版されました。前著『精神分析』(岩波書店、2003年)で書かれていたことをより深く踏み込んで構築されたという部分はあると思いますが、大変インパクトのあるご本で、僕は、もしジャック・デリダ風の言葉遣いをしてよければ、応答すべく呼びかけられている気がしていました。それで、その応答の機会がどこかにないものかと思っていたところ、『思想』で座談会の企画が持ち上がり、ほかでもない十川さん、そして『ラカン 哲学空間のエクソダス』(講談社メチエ)などのご著書があり、ジャック・ラカンやミシェル・フーコーなどの翻訳も手がけられておられる原和之さんにお集まりいただくことになりました。今日は精神分析の歴史を簡単に振り返った上で、十川さんのご本を中心に現在の精神分析と臨床実践の問題を検討し、「来るべき精神分析」を展望できれば、と考えています。

 十川さんの理論の基本線は、自己を一つのシステムとして捉えるということです。それは感覚、情動、欲動、言語の四つの回路から構成され、それらの回路とのカップリングにおいても機能している。その自己というシステムが、コミュニケーションを通じて社会のシステムとつながる中で、さまざまに変化していく。そのとき自己の回路が病理的に作動すると、社会的にも病理として認知されるような諸現象が生じる。しかし、他方では、自己がコミュニケーションのシステムを持っていることが精神分析にとっての掛け金です。精神分析も社会的なコミュニケーションである以上、分析家はみずからの自己システムを通じて、患者の自己システムに働きかけることができる。それまで病理形成的に作動していたシステムを病理解除的に作動させるチャンスを精神分析の臨床が与えうる、ということです。このようにシステム論的な観点で多くの部分が構築されている点が、十川理論の大胆で新しい点だと思います。

I 歴史篇

<現状の概観>

(立木)
 この十川さんの理論を位置づけるためにも、まずは歴史的なパースペクティヴの下で精神分析をふりかえる作業をしておきたい。

 ここ二、三〇年のあいだに、精神分析と精神分析を取り巻く精神医学や心理臨床の分野で起こった変化や転換を考える大きな出来事として、1980年にDSM-III(『精神疾患の分類と診断の手引き』第III巻)というアメリカ精神医学会の診断マニュアルの改訂版が出されたことが挙げられます。そこでは「ヒステリー」という診断が消え、「神経症」というカテゴリーが解体されてしまった。これはとても大きな出来事だったと思います。精神分析は神経症と歩みをともにしてきました。それがアメリカの精神医学で解体されてしまった。このことは、おそらく、アメリカの精神医学の中で精神分析の影響力が弱まったことと関係しているのでしょう。僕はラカン派、とりわけフロイトの大義派(ECF)の状況しか知りませんが、僕がフランスに留学した1994、5年頃だと、ECFの分析家たちのあいだにはまだ、DSM-IIIのもたらした変化などどこ吹く風、という感じがありました。

 DSM-IIIで神経症概念が解体されたあと、それに取って代わるかのように、一方では、症状がより局在化された形で現れる摂食障害のようなトラブルが増えてくる。他方、1980年代には特にボーダーライン(境界性人格障害)が大きかったと思いますが、各種の人格障害が目立ってきた。北米では同じ時期に多重人格障害がよく報告されるようになりました。それは北米に限った現象で、ヨーロッパの臨床家は1990年半ば頃までほとんど多重人格障害を見たことがない、少なくともフランスの精神分析家たちは多重人格障害の患者にまるでお目にかかったことがない、という状況でした。ですから、ECFの分析家たちは、その時期まで、しばしばこういう言い方をしていました。「多重人格障害はDSM-IIIを中心とするアメリカの精神医学界が抑圧したヒステリーの回帰だ」と。エリック・ローランあたりまでが冗談めかしてそんなことを言っていたように記憶しています。

 ところが、1990年代後半になると状況が変わってきて、フランスの分析家たちも自分たちが臨床で相手にしている患者さんが今までと違ってきているのではないか、という感触を持ち始める。それがはっきりとした形で出てきたのが、1998年にECFの大きな会合で精神病の問題が扱われた時でした。ジャック=アラン・ミレールが「普通の精神病(psychose ordinaire)」というタームを掲げて、それがまたたくまにECFの中で広まり、今では普通名詞のように、あるいは診断名のように使われています。明らかに神経症ではない構造をもつ主体なのに、はっきりと発症した精神病にも見えない。シュレーバーのようなパラノイアや古典的な統合失調症(分裂病)のタイプにもあてはまらない緩い形、精神病の状態がいわば「普通に」生きられているように見える主体の問題は、妄想や幻覚といった具体的な病理現象というより、おうおうにして、ある種の社会的不適応、つまり社会の中に場所をもてないという形で現れてきます。こうした患者さんに分析家が接する機会が増え、たちまち臨床の前景を占めるようになってきた。20世紀から今日まで、ずっとそれが続いています。実はECFでは今世紀初頭から、制度の中での精神分析の実践を見直そうという動きが始まったのですが、それと呼応し合う形で現在の臨床の中に「普通の精神病」が踊り出てきたというのは興味深いですね。非定型とは言わないまでも、古典的な神経症と精神病の構造的な差異を揺るがすような現象だと思いますが、「普通の精神病」はポスト神経症時代の臨床の中心的な概念になってきたと思います。

 ただ、フランス全体、ラカン派全体の状況で言うと、ECFが「普通の精神病」という形でポスト神経症時代の臨床の中心に精神病をもってくるのに対して、シャルル・メルマンらのALI(国際ラカン協会)は「倒錯」という概念を前面に出してきました。最近では、ジャン=ピエール・ルブランという分析家がミレールの二番煎じで『普通の倒錯』(2007)という本を出した。彼らは心的経済全体が以前と同じようには動いておらず、抑圧の経済から享楽中心の、享楽を見せびらかすような経済へ移った、という議論をしています。このようにポスト神経症時代の主体の支配的な構造を精神病と見るか倒錯と見るかによって、フランスの二大ラカン学派の主張が分かれているのは注目に値します。

 もう少し事実を挙げておくと、先ほど制度の中での分析が見直されていると言いましたが、そこでは当然のことながら、古典的な分析の進め方を見直さざるをえません。いや、これは単に制度の中での精神分析的実践だけではなく、いわゆる「純粋精神分析」、つまり精神分析家の再生を行う分析にもあてはまることです。ECFでは、症状の「意味」を読み取る従来のセマンティックな作業から、プラグマティックな作業に、つまり、語用論的とは言いませんが、「症状使用論的」な作業に分析のあり方が変わってきたという認識が今では一般的です。症状の「意味」よりも、症状が現実界あるいは享楽との関係でどういう役割を果たしているかという点、つまり症状の機能が問題になるわけですね。

<精神分析の危機>

(立木)
 これらの現象の共通分母として、ここでは「抑圧」の問題を考えてみたい。フランスで起こっていることを見ていると、抑圧というものが精神分析の前面から後退しているように感じられます。僕が留学した1990年半ば頃、すでに、僕の師匠であるピエール・ブリュノが、パリ第八大学精神分析学科のDEA論文のテーマとして「無意識」や「抑圧」を取り上げる学生がとみに減っている、と言っていました。しかし、僕が精神分析の歴史を振り返るときによく引き合いに出す1914年の「精神分析運動の歴史のために」で、フロイトは抑圧こそが精神分析の基礎柱だと述べています。実際フロイトが神経症の治療から精神分析の理論を組み立てていくとき、最初に碁盤に打った手が抑圧の理論だったといってもいい。神経症の病因論においてセクシュアリティが不可欠な役割を果たしていること、ただしそれは抑圧されたセクシュアリティであることをフロイトはまず発見したわけです。

 同じ論文で、フロイトは他にも精神分析の基本概念を挙げています。「抵抗」、「転移」、そして「子供のセクシュアリティ」ですが、この三つは抑圧と直接にリンクしている。抵抗とは、抑圧されたものが想起されそうになる時に自我が自分で待ったをかけることです。転移も、フロイトは最初から症状と同じものとみなして、抑圧されたものが回帰してくる一つの契機と考えていました。そして、子供のセクシュアリティは抑圧されたものの内容です。だから、フロイトが挙げている四つの概念すべてが最終的には抑圧に行きつく。まさに抑圧は精神分析理論の中心だったのです。ところが、どうも今はそうではないように見える。神経症概念が解体されてしまっただけでなく、まるで神経症的な症状形成のメカニズムそのものが成り立たなくなってしまったかのように、神経症が臨床の中心から退いてしまった。これは裏を返せば、抑圧を中心にした心的経済がもはや重きをもたない状況が現れているということです。

 しかし、こうした状況は本当に1980年代に始まったのでしょうか。抑圧ということで言えば、そもそもラカンには抑圧についての固有の理論が存在しません。ラカンに従って抑圧を定義しようと思えば、可能性は主に二つです。一つは「シェーマL」で、想像的なコミュニケーションが象徴界のコミュニケーションを遮る、つまり無意識の、大文字の他者からのメッセージが主体に届かない、というものですね。もう一つはソシュールのアルゴリズムを転倒させた、分子にシニフィアンが、分母にシニフィエがある図式で、ラカンは分母と分子を隔てる横棒を「意味の抵抗のバー」と呼んでいます。この図式は基本的にメタファーのそれと同じです。ラカンは症状をメタファー(隠喩)で説明するとともに、症状とは抑圧されたものの回帰だというフロイトの考え方を前面に押し出していますから、メタファーの構造は抑圧の構造と同じものと言ってよいと思います。しかし、これ以外にラカンには抑圧を理論的に説明したものがないのです。しかも、シェーマLの図式は、セミネールの第五巻(1957-1958年)あたりで、つまりラカンが「欲望のグラフ」の構築に乗り出すに及んで力を失うことになり、メタファーの図式も「対象a」が出てきた時点でいわば廃れていく。だから、ラカンの理論で現実界の問題がいっせいに出てくるとき、抑圧の概念は事実上ほぼ打ち捨てられたようにさえ見えます。

 さらに言うと、実はフロイトでも「死の欲動」が出てきたあと、抑圧の相対的な理論的重要性は減少していると思います。フロイトは例えば死の欲動の抑圧ということは言っていないのではないか。死の欲動については「抑圧」という言葉を使いにくいと思ったのか、そういう箇所は見たことがありません。自我が死の欲動から身を守る時には抑圧と異なるメカニズムが働く、とフロイトは考えていたのです。ということは、実は第一次世界大戦後から、抑圧はもう精神分析の実質的な中心ではなくなっていたのかもしれない。それが1980年代の神経症の解体を受けて、前面に出てきただけなのかもしれません。

 とはいっても、精神分析はやはり抑圧理論に依存していたわけで、例えば神経症と精神病と倒錯を構造の違いとして分ける時にも抑圧理論は大きな役割を果たします。精神病は抑圧とは違う図式で説明される。倒錯もそうです。だから、今はそういったカテゴリーそのものが揺らいでいる。十川さんの今度のお仕事はこうした状況に呼応していると思うんですね。抑圧に関しては、ご本の113頁、コミュニケーションの形の話のところで、コミュニケーションが受け取った形、そこから生まれるコミュニケーションのシステムをフロイト的な意味で「無意識」と呼ぶことができるとおっしゃったあと、「これはフロイトの無意識概念を、抑圧といった問題系からではなく、システム論的観点から捉えなおしたものである」という一言を挿入されている。これは大変重要な点だと思います。抑圧を中心とした議論からシステム論へ、という転換がはっきりと描き出されている。1980年代以降、精神分析が経験している大きな変化の中で、提出されるべくして提出された新しい理論だと感じます。つまり、精神病、神経症、倒錯というカテゴリーや構造的な分類が立ちゆかなくなって、精神分析の枠組みが大きく揺らいでいる時に十川さんの理論が現れたと思うんです。これはわれわれにとって大きな希望の光、いや啓蒙の光と言えるかもしれません。

(原)
 精神分析そのものが解消してしまいかねないような危機についての診断を立木さんがしてくださいましたが、確かに抑圧理論の立ちゆかなさはすでにフロイトから始まっていて、それがフランスでも白日の下にさらされたのが1990年代だったということかもしれません。そうした長いスパンをもつ変化を西洋の思想のコンテクストに位置づけようとする場合、おそらくミシェル・フーコーの議論が一つの手がかりを与えてくれるのではないかと思います。

 精神分析の営みをフロイトをもって始まるものとし、フロイトによる切断を強調するのが一つの支配的なスタイルだったわけですが、その中でももう少し大きな歴史的パースペクティヴの中に位置づける努力が、例えばアンリ・エレンベルガー(エランベルジェ)によって力動的な精神医学の歴史(『無意識の発見』原著1970年、木村敏、中井久夫監訳、弘文堂、1980年)という形で行われていました。これはあくまで精神医学の系譜の中で精神分析を位置づけようとしたものですが、フーコーはもう少し違ったところからこの問題にアプローチしています。フーコーはある時期に、彼のいわゆる「思考の歴史」を考えるにあたって抑圧の枠組みそのものを捨てたところがあって、それがはっきり表れているのが1976年の『知への意志』(渡辺守章訳、新潮社、1986年)です。1970年に来日した時の講演では、まだ西欧の狂気の歴史を「排除」というタームほ使って位置づけようとしていましたが、78年に再来日した時にはもう完全に問題系が変わっていた。そうして抑圧は大事ではないのだと言うことによって初めて、フーコーは精神分析を西欧思想史の連続性の中に位置づけることができたのです。

 この試みに対する評価としてはいろいろな立場があります。例えば『知への意志』が発表された直後、フーコーはジャック=アラン・ミレール、アラン・グロリシャールといった Cahiers pour l'analyse (ミレール、グロリシャール、アラン・バディウら「パリ高等師範学校エピステモロジー・サークル」が1966年に創刊した雑誌)の人たちと座談会をしている(『同性愛と生存の美学』増田一夫訳、哲学書房、1987年)。フーコーはその冒頭で「自分が提案した遊びに付き合ってくれた人は、あなたたちが初めてです」という言い方をしていますが、ミレールの発言には、あくまでフロイトにおける切断を強調しようとする立場が見える。フーコーがやろうとしているのはその切断を否定することだとミレールが捉えていて、それに対する彼の批判的な立場がやり取りの中にはうかがえます。いずれにしても、精神分析を西欧の思考の中に解消してしまうのか、あるいはそこにある特異性を認めるのかということが、その時点ですでに問題として提起されていたのだと思います。

 西欧の思想史の中で精神分析を考えるとき、次に手がかりとなるのは『主体の解釈学』(1981-82年)(『ミシェル・フーコー講義集成11』廣瀬浩司・原和之訳、筑摩書房、2004年)というフーコーのコレ―ジュ・ド・フランスでの講義でしょう。この中でフーコーは「自己への配慮」という長大な歴史的スパンをもつ問題系を構想して、いくつかの時期を区別しているんですね。西欧の歴史では、「汝自身を知れ」の命法に代表されるような自己の認識と並んで、自己への配慮が古典古代の時代から重要な役割をもっていて、そうした自己への配慮と哲学の構想が少なくともデカルトまでは密接に結びついていた、とフーコーは述べています。しかし、デカルトを転回点として--といってもこの言い方には彼自身、大きな留保をつけていますが--そうした結びつきに大きな変化が生じた。この変化をフーコーは、「霊性」(スビリチュアリテ)と「哲学」を対立させる形で定義した上で、「霊性」から「哲学」へのシフトとして理解しています。フーコーの言う「霊性」とは、真理に到達するには自己を変容させなくてはいけないという立場でさまざまな実践を行う活動です。これに対して彼は「哲学」を、真理への到達がもっぱら認識を介してなされるとする考え方として規定します。そして、古典古代からデカルトまでは「自己への配慮」と「自己の認識」という二つの軸をもっていた思考の営みが、デカルト以降、認識のほうにシフトした。「霊性」から「哲学」へのシフトが生じた。つまり、自己に変容を加えなくても認識によって真理に到達できるという考え方が一般的になってきた--このような整理の仕方をしています。

 その上で、フーコーはデカルト以降の歴史の中で、特殊な地位をラカンに与えている。つまり、ラカンは主体と真理の問題を分析知の中から立ち上げる形で初めて結びつけた、主体の真理の問題を立てたのはハイデガーとラカンだけだ、という強い断言をしているのですが、これは、いったん認識のほうにシフトした哲学が徐々に自己への配慮に回帰するようなファクターを持ち始めた、という流れの中で理解できるように思います。『ラカンと哲学』(原著1984年、高橋哲哉他訳、産業図書、1991年)の著者として知られているアラン・ジュランヴィルというフランスの哲学者がいますが、彼は2000年の『実存知としての哲学』で、19世紀以降、他者に対して開かれてあることを重要な契機とする哲学が登場したことを強調しています。ジュランヴィルが念頭に置いているのは、まずキルケゴール、それからハイデガー、レヴィナス、そしてラカンなのですが、彼はこの哲学を、自己は単独で成立するのではなく他者との関わりで成立するという根源的なヘテロノミ―を含む哲学という意味で、「実存の思想」と呼んでいます。そこでは他者を前にして、認識には一定の限界が課されることになるわけですが、その中で、認識だけでなく主体における「出来事」を問題にする流れが出てきた。これはつまり、哲学がかつて霊性と呼ばれていた契機を取り戻しつつあるということではないかという気がするんですね。

 そうした変化の中で、今度は19世紀の終わりにある出来事の学として登場してきた精神分析と、新たに霊性に接近するような出来事の契機を取り込むようになった哲学とのあいだで、競合とは言わないまでも、両者の位置づけをどうするかという問題が出てきたのではないか。実際、フロイト自身も、精神分析と哲学はまったく別個のものだと考え--ただし、彼が考えているのはある特定の、体系を構築するような哲学だ、という限定はつきますが--、その区別を際立たせようとしたことがあって、この関係は大変慎重に扱われてきました。しかし、実際にはディスクールとしての近接という状況が生じてきている。他方で、19世紀以来、宗教的なものを参照しながらみずからのうちに霊性という契機、ある種の自己変容という出来事を射程に収めた哲学の潮流が出てきたとき、哲学の側からも、その流れと関わりで精神分析を改めて位置づけることが必要になってきているのではないでしょうか。

(十川)
 今、お二人から、まったく違う角度の論点が提示されたと思います。お二人ともラカンのテクストの優れた読解者であり、そのお仕事からは刺激を受けております。私自身、精神分析にコミットするようになったのはラカンという強いドライブがあったからですが、現在の自分の理論的立場をあえて言うならば、ウィルフレッド・ルブレヒト・ビオン(1897-1979)に代表される対象関係論が最も近い。したがって、今回の本を書く際にも、対象関係論がベースとなっています。先ほど立木さんが私の構想の骨格をまとめてくれましたが、立木さんが注目なさったのは自己論のほうで、私はその一方に対象論を置いています。本の最初のあたりで自己システムの作動を論じる際に、対象についての細かな記述をしたのはそのためです。ただ、対象論においては独自の視点を打ち立てることができなかったという点が自分でも不満に感じているところです。

 まず原さんの問題提起についてですが、原さんがスピリチュアリティという点を問題になさったのは、私が今度の本で、ある種の自己への配慮や自己変容を論じているからだと思います。確かにフーコーは精神分析をスピリチュアリティの点から批判的に取り上げていますが、原さんが言及なさらなかったことの一つに、フーコーがそれを教団と結びついた形での自己鍛錬、自己変容と結びつけている点があります。古代の哲学が教団をもったように、ラカン派も--マルクス主義もそうだと思いますが--教団を持った、というのがフーコーの精神分析に対する批判でした。確かに精神分析は教団というか、運動組織という性質をもっていて、その点を無視して精神分析を考えることはできない。

 スピリチュアリティについては最近いろいろな人が論じています。例えばジャン・アルーシュは、フーコーの発言に応答する形で一冊の本を書いています(Jean Allouch, La psychanalyse est-elle un exercice spiritual? : reponse a Michel Foucault, EPEL, 2007)。アルーシュによれば、真理に到達するために主体がいかなる変容を経由すべきかということを問題にするかぎりにおいて、精神分析はスピリチュアリティと結びついている。しかし、そのスピリチュアリティは宗教的なものとは異なり、むしろ宗教に危機を及ぼし、宗教のセクト的なものに穴を開けるものだとアーシュは強調しています。

 それからクライン派の中では、ネヴィル・シミントンというビオンの影響を受けた分析家が『精神分析とスピリチュアリティ』(原著 1994年、北村婦美・北村隆人訳、創元社、2008年)という本を書いていて、はっきりと「精神分析は成熟した自然宗教である」と言っています。こういうことを分析家が言うのはリスクがあるわけですが、彼はあえてそのような言い方をしています。シミントンが言う「宗教」には二つあって、単純な区別ですが、原始宗教的な側面と成熟宗教的な側面です。フロイトが批判したのは救済のような意味合いを込めた原始宗教--この定義はシミントン独自のものですけども--であって、成熟宗教のほうではない。クライン派の文脈に組み入れるなら、この原始宗教的な側面は、宗教的心性がいまだ妄想分裂ポジションにある状態であるのに対し、成熟宗教的側面においてはそれが抑鬱ポジションに達していることを意味しています。精神分析の営みも、抑鬱ポジションをワークスルーすることによって、成熟宗教における魂の状態と同じ境地を目指している。そういうニュアンスで「自然宗教」という言葉を使っていたと思います。ラカンは精神分析とスピリチュアリティを徹底的に切り離して考えていましたが、最近になって両者を近づけて考える人が--多数派ではないにせよ--出てきているようです。

 それと、先ほどの「抑圧」についての立木さんの話ですが、抑圧という概念は、確かにフロイトがみずからの理論を組み立てていく初期の段階で中心となっている概念です。それは『防衛-神経精神病』(1894年)や、そのころにヴィルヘルム・フリースに宛てた手紙などを読めばよく分かります。そして、この時期に、フロイトはヒステリー、強迫神経症、パラノイアといった精神疾患の病因と症状の機制を、性的外傷を受けた時期、外傷の受け方、抑圧の様式などといった視点から分類しています。これは病因論まで含んだ、非常にスケールの大きい疾病分類です。フロイトは一般には神経症の研究者と捉えられがちですが、彼が全精神疾患を射程に置いた理論の構築を目論んでいたことには注目を向けておきたい。その後、この分類に、不安神経症、倒錯などが組み入れられ、先ほど立木さんが話された神経症、倒錯、精神病という三つのカテゴリーが定着する。この三つのカテゴリーは、精神分析の隆盛期に診断のカテゴリーとして広がり、アメリカの精神医学も長いあいだ、この三つのカテゴリーを維持していた。ところが、フロイトのこのような疾病分類は、検証することができない仮説を前提に置いています。それゆえ、その前提となる考えを共有しない人にとっては、この分類は、実にいい加減なもののように見える。1970年頃のアメリカでよく言われていたのは、アメリカの精神医学は精神分析の影響を受けたせいで、診断学に関しては20年くらい他の国に遅れてしまった、ということでした。その焦りはDSM-IIIに結実することになります。その際に依拠したのが、フロイトと同時代人でありながら、総論的な疾病分類を作り上げたエーミール・クレペリン(1856-1926)です。クレペリンの方法とは、症状の記述と膨大な症例の観察に基づく分類です。そこにはフロイトのような仮説が持ち込まれていないため、、より客観的で科学的であるようにも見える。しかし、フロイトの仮説の是非はともかくとして、現在、フロイトとクレペリンのどちらがより普遍性をもっているかといえば、いまだに抗争中というのが実情ではないでしょうか。このことは精神疾患を分類する作業の難しさをよく示しています。

 さて、今話したのは、抑圧および防衛の疾病分類的な意義についてですが、抑圧という概念の治療論的な意義について言えば、今、この概念を正面きって使う分析家は、自我心理学に属する分析家の一部を除いて、ほとんどいません。無意識的なものを上から押さえつけるという、抑圧という概念がもつイメージが臨床感覚にフィットしないということもあるでしょう。さらに、クライン派の「投影同一化」という概念が浸透したことも大きい。投影同一化という機制は、フロイトが抑圧という概念で説明したことを十分に覆うだけではなく、この概念のほうが、精神病も含めた広い範囲の精神疾患の防衛機制を説明することができます。また、精神医学の領域では、解離というメカニズムが、現代的な主体においては、抑圧よりもよく見られる防衛システムとして捉えられる傾向にあることも、抑圧という概念が背景に退いていった要因となっています。

 精神分析の歴史的な流れについて、立木さんの話に若干の補足を加えておくと、現代アメリカの精神分析の状況を表すものとして、『アメリカにおける今日の精神分析』という本が2006年に出ています。アーノルド・クーパーがアメリカを代表する30人の分析家の主要な論文を集めたものです。その30人の分析家がベストと思う自分の論文を選び、その理由も併記してまとめた論集で、これを読めば、ここ50年くらいのアメリカの精神分析の状況が分かります。その最後に書かれているのが、国際精神分析協会の会長でもあったロバート・ウォーラーステインの「ひとつの精神分析か、あるいは多数の?」という論文です。これは現状を俯瞰する論文ですが、精神分析は理論的には多様化する一方、セッションにおける相互作用に焦点をあてるという点で一つの収束点をもつ、と彼は書いています。このような観点は現代の臨床における一般的な考えですが、この本を読むかぎり、やはり精神分析の新たなパラダイム変換はなくなってしまっているという印象を受けます。結局、フロイトの理論で残っているのは中立性や転移解釈などの技法的なところだけで、フロイトの理論の画期的な更新はメラニー・クライン(1882-1960年)、ビオンで終っている、というのが現状ではないでしょうか。

 フランスでは、2001年にRevue Fransaise de Psych-analyseが、「現代精神分析の動向」という特集を組んでいます。2000年頃にはこういう本がたくさん出版されました。そこにドナルド・W・ウィニコット(1896-1971年)の流派に属する、クリストファー・ボラスという人が「フロイト派精神分析の敗退」という論文を載せていて、精神分析家を養成する制度--先ほどの言葉を使うなら「教団」--を批判しています。もはや多くの人々は高いお金を払って精神分析家のもとに行く価値はないと考えるようになっている。その最大の原因は、何よりも分析家の養成制度が、フロイトの治療論の本質--彼はそれを患者側の自由連想と分析家側の「平等に漂う注意」の創造的な結合に見ています--を伝えることができなくなっているからだ、と彼は書いています。

 さらにもう一つ挙げておくと、『100年後』(1990)というフランスの代表的な分析家のインタビューがあります。その中で印象的なのは、「今、精神分析はどういう状況にあるか」という質問に、ジャン=ベルトラン・ポンタリスが「精神分析は何をやっているかといえば、精神分析家をどんどん作っている。それしかしていない」と言っているんですね。つまり、患者を治療するのではなく、「分析家が分析家を作り、その分析家がまた分析家を作るシステムができあがっていて、分析家の再生産のシステムに変わってしまっている。純粋な患者はいない」ということなのです。実際、立木さんもよくご存じのように、フランスは精神分析家の数が非常に多い。

<精神病理学の消滅と精神分析>

(十川)
 ここで話を少し自分の方へ向けると、私は約10年ほど教育分析を受けて、その後10年は自分のキャビネで患者を診るようになっています。今はほとんどの時間を分析治療に費やしていますが、もともとは精神病理学の仕事をしていて、今も基本的には、精神病理学と精神分析の二本立てで、ものを考え、臨床を行っています。この二つは私にとってどちらも思考の糧となる重要なものです。しかし、精神病理学と精神分析は、一般的にはあまり相性がいいとは言えない。精神病理学のほうでは、精神分析を「精神病を神経症化して理解しているだけで、その本質を把握していない」と言って拒絶反応を示し、精神分析のほうは精神病理学を「治療には役立たないただの理論」と言って見向きもしない。これらはもちろん表層的な批判ですが、まったく見当外れとは言えないでしょう。

 精神病理学は病者の生きていることの全体を考える学です。そこでは、まず患者という存在を把握することが重要であり、治療はそこから導き出される、という発想がある。一方、精神分析は何にもまして治療学です。先に述べたフロイトの疾病分類に関しても、治療的観点に基づいた分類になっています。フロイトは言うまでもなく最初の精神分析家ですが、最初の精神病理学者だった--当時そのような学はまだなかったのですが--と考えることができます。彼の思考方法は、精神分析的であると同時に精神病理学的です。むしろ、この二つの学に区別がなかった、と言ったほうが正確ですね。この二つの学は、その後、主として取り上げる対象疾患の違いによって--つまり精神病理学が精神病をフィールドとし、精神分析が神経症を治療対象にすることによって--分岐していきます。しかし、ハロルド・フレデリック・サールズ(1918-)やハリー・スタック・サリヴァン(1892-1949)など精神病を治療対象とした精神分析家もいて、精神病理学も彼らの仕事から多くのことを吸収していきます。いずれにしても、この二つの学が相互交流を失っていったことは、両者にとってあまり実りのあることではなかったように思えます。

 さて、精神病理学と精神分析を考える上で、ここでラカンに焦点をあててみます。ラカンはその知的遍歴を精神病理学者として始めています。学位論文の『人格との関係からみたパラノイア性精神病』(宮本忠雄・関忠盛訳、朝日出版社、1987年)は、見事な精神病理学の論文です。しかし、彼は、そのあいだも精神分析家としてのトレーニングを受けていました。そして、その後は、もっぱら精神分析家として理論を打ち立てていったのです。このラカンの言説には、精神病理学と精神分析が鮮やかな形で共存しています。このような共存は、クラインやビオン、ウィニコットなど20世紀を代表する他の分析家には見られません。彼らの理論は、どう読んでも精神分析の理論です。一方、ラカンの理論は精神病理学の言説である一方、精神分析家の言説でもある。これはフロイト以降の精神分析の歴史の中では珍しい言説です。ラカンが日本に導入されたのも、精神病理学の理論としてでした。とりわけ精神病の理解の方法としてラカン理論が参照された。このような偏った輸入の方法が可能だったのも、ラカン理論のエッセンスに精神病理学的な思考方法があるからです。一方、クライン派の理論が、精神病の治療に関する議論であっても、精神病理学の側から注目されないのは、その理論に精神病理学的な思考をほとんど読み取ることができないからだと思います。

 とはいえ、ラカンの理論をもっぱら精神病理学の理論として取り扱うのは間違っています。それはフロイトの理論がそうであるように、基本的には治療論なのです。ラカンを理解する上でしばしば忘れがちなのは、彼が少なくとも50歳頃までは、古典的な分析のトレーニングを受け、またみずからそのような分析治療を行っていた分析家だった、ということです。その経験の上に彼独自の理論がある。この点は絶対に忘れてはいけない。この経験こそが彼を分析家にしたのだし、またこの経験が彼の奇抜とも思える理論展開の核となっている。しかし、多くの人は、彼の基礎となる経験を飛ばして、いきなり1953年以降のラカンからその理論を理解しようとするれために、ラカンの本質を見誤っているように私には思えます。

 では、そのラカン理論が治療論として優れているかというと、こう言うのも何ですが(笑)、それはどうかな、と思ってしまう。私の個人的な感想でも、ラカン派の臨床は、症例の面白いところを部分的に取り上げるのはうまくても、全体的には雑駁(ざっぱく)な印象を受ける。特にあの沈黙が極端に多く、解釈が少ないセッションの仕方には疑問を感じます。あれだと単に、自我心理学のセッションの時間設定を少なくしただけのものになりがちです。一方、ポスト・クライン派と呼ばれる人たちの臨床は、分析治療のきめ細かい流れや、そこで働いているダイナミズムの把握が卓越しています。また、症例全体の理解や解釈の方法も素晴らしい。私はこの派の臨床をスーパーヴィジョン体験でしか知りませんが、そのインパクトは強烈なものでした。私が対象関係論に注目し始めたのも、そのような経験がもとになっています。

(立木)
 日本のラカン受容、精神分析受容の中で精神病理学の果たしてきた役割はとても大きいと思いますが、精神分析は本当の意味で根づいてはいないし、病理論で終わっていて、治療論はほとんど入っていないというのも確かです。しかし、いずれにせよ、日本で最初にラカンについてまともな成果を出せたのは精神病理学をやっていた人たちだと思います。それまで現象学的精神病理学のアプローチで分裂病を理解しようとしていたけれども、手づまりになって困っていたところへ、「構造」という概念とともにラカンが入ってきて、彼らはいっせいに飛びついた。しかし、今、日本で精神病理学も死に絶えつつあるというのは深刻な状況です。

(十川)
 精神病理学も1980年までは現象学的な精神病理が中心でしたが、90年代に入ると医学モデルに依拠するようになります。患者には生物学的な脆弱性があり、それが心理学的、社会的要因によって発病するといういわゆる、bio-psycho-social model ですが、こういう発想は生物学的研究ともなじみがいいし、また医学としての社会的役割を果たすことができる。こういうモデルから引き出されるのは、病気をいかに早期に発見し、治療するかといった人間ドック的治療観です。そこで扱われているのは病気であって、個々の病者の生ではありません。90年代以降の精神病理学がどこか浅い印象を与えるのも、病気を扱う医学の一分野になっているからでしょう。

(立木)
 とりわけ統合失調症の精神病理学が最近静かですね。内海健さんの『「分裂病」の消滅』(青土社、2003年)でも示唆されていましたが、スキゾフレニアを「統合失調症」と訳すようになって、単にタームの問題だけではなく、スキゾフレニアの臨床そのものが変わってきたということがあるんでしょうか。あるいは、より広く精神病臨床全体が変わってきたということでしょうか。先ほど神経症の解体という点を強調しましたが、フランスで「普通の精神病」という概念が出てきた背景には、もちろん精神分析の側の変化もあります。フランスの場合、とりわけラカン派にとって、精神病のパラダイムはパラノイアでした。つまり、シュレーバーですね。もちろん、シュレーバーのような人は昔もたくさんはいなかったと思いますが、ラカン派は1980年代までシュレーバーを精神病論のモデルにしてきたわけです。ところが、今やそれとは別の形で精神病を考えざるをえなくなった。それはやはり精神病の臨床像が変化してきたからでしょう。日本の精神病理学はパラノイアではなくスキゾフレニアが引っ張ってきて、安永浩や木村敏といった人たちが燦然と輝くような業績を残してきました。僕が学生の頃にはまだ木村敏が京都大で教鞭を執っていましたから、学生はみんな『分裂病の現象学』(弘文堂、1975年)なんかを読んでいました。あの頃の日本の精神病理学はレベルが高かったですね。それと比べると、ここしばらくはちょっとさびしい感じです。

(十川)
 そこには軽症化の問題が絡んでいると思いますね。精神病理学の知的情熱を突き動かすのは、患者がもたらす謎や問いかけです。そういう謎と、かつては多くの精神科医が格闘していたのが、今は相当感度を上げないと謎の存在さえ読み取りにくくなっている。したがって、思考のドライヴがかかりにくい。また、統合失調症や鬱病にしてもこれほどまでに軽症化し、非定型化すると、本質を考える前に、まずはその領域を明確にするという分類作業が先になってしまう。少なくとも1980年頃の精神分析には、疾患というものに対する共通の前提があったと思います。その前提の下で精神病理学的な議論が可能だった。しかし、今はその前提が崩れてしまっています。

 先ほど「普通の精神病」および「普通の倒錯」という話をされましたが、「普通の精神病」という概念が出てきた背景にも、軽症化という問題が関わっているのではないでしょうか。また「普通の倒錯」は文化との関係におけるセクシュアリティの変容でしょうが、こういう「倒錯」は日本のサブカルチャーでは話題に事欠きません。ところで、精神分析の側からこういう概念が提起されるようになったのも、フロイト以降の精神病、神経症、倒錯といった疾病分類では、もはやうまく病理を考えることができなくなった証拠とも言えるのでしょうね。

(立木)
 そうだと思います。しかし、その一方で、こういう事情もあります。ポンタリスがフランスでは分析家の再生産が中心になっていると論じているというご指摘がありましたが、ラカン派はまさにそれを自覚的にやってきました。ラカンはつまるところ「精神分析とは分析家の再生産だ」と言った人ですから。1990年代までは事実上それが彼らの活動の中心になっていて、「キャビネでの分析」至上主義みたいなものがありました。ところが、それに対する反動とまでは言わないけれども、反省が世紀の変わり目頃に出てきて、もう少し限定された枠組みで行われる治療、とりわけ各精神保健施設での精神分析治療にも光をあてよう、ということになった。そうすると、分析家が精神病的な現象を示す患者さんと頻繁に接していることがはっきりしてきて、たちまちラカン派の臨床の中心に精神病が躍り出た、という流れもあるんです。

(十川)
 一見、健康な人に思えたのが、セッションをしているうちに、精神病的な病理を濃厚にもった人であることが分かるのは珍しくありません。これは古くは「潜伏性精神病」と呼ばれ、その時点で分析治療を中止し、薬物治療に変えるといった方法がよくとられていたようですが、現在は多くの分析家が--若干の治療方針を変更する場合はあるにせよ--キャビネで十分に分析治療が可能だと考えているのではないでしょうか。私もそのような患者を何人か診ています。

 ところで先ほど精神病患者の変化という話をしましたが、精神分析に来る患者も時代とともにずいぶん変わっています。フロイトでも初期に診ていたヒステリー患者と、晩年に診ていた患者とではその間に大きな変化があります。しかし、全般的に言えるのは、フロイトの時代と比べて、今は患者がみずからの生を物語る能力がなくなってきている、ということです。このような現象も病理の軽症化と何らかの関係があるのかもしれません。フロイトの患者たちは物語る能力に長けています。そして、その語りが、患者が秘めた病理に向かって収束されていきます。一方で、現代の患者たちは--ヒステリー患者は貴重な例外です--みずからの生を散漫とした形で、明確な歴史もエピソードも作ることなく生きているように思えます。そういう患者たちの語りは、病理の所在がはっきりせず、また語りが病理の核心に向かうことがない。こういう患者側の変化も精神分析の衰退の一つの要因になっているように思えます。つまり、生が希薄化、断片化していて、しかもそれらが言葉によって歴史化されていないため、言葉を治療手段とする分析治療が鋭角的な手ごたえをもったものとして機能しない。もちろん分析家の側にも責任はあるでしょう。分析家は、患者の側の変化を敏感に感じ取ることなく、いまだに硬直した理論で分析行為を行っています。患者の生のあり方が変わってきたなら、それに即して分析家は新しい臨床を始めていくべきなのです。それがほとんどなされていないのが現状なのです。


II 理論篇

<情動について>

(立木)
 そろそろ理論篇に移りたいと思います。僕が十川さんのご本でまず取り上げてみたいのは、情動の問題とセクシュアリティの問題です。十川さんは欲動が大事だというご意見ですが、最初に情動にも触れておきたい。情動の問題は前著『精神分析』でも大きく扱われていて、それを読んだとき、情動こそが十川さんの構築なさりつつある新しい精神分析の中心になるのかな、という印象をもちました。十川さんが言われる情動というのは「エモーション」のことですか。

(十川)
 いや、「アフェクト」です。

(立木)
 そうですか。それならなおいいのですが、ラカンの言う情動とは、身体がシニフィアンの媒介なしに現実界にアフェクトされることです。その状態のパラダイムは「不安」ですが、それ以外の形で情動にアプローチするのはなかなか難しい。フロイトに遡っても、欲動の代表として「情動」と「表象」が分けられていますが、いずれもきちんと扱えていない感じがします。とりわけ情動の問題をそのものとして取り出した個所がほとんどない。もっとも、不安の場合だけは別ですが。ラカンに戻れば、身体がシニフィアンの媒介なしに現実界によってアフェクトされる。現代思想的な言葉を使すなら、「触発」される。それに対して十川さんの場合は、システムとしての自己が他者のコミュニケーションに触発されるという点が重視されています。十川さんは、子供が両親の会話に耳を傾けていたり、子供が寝ているところで両親がコミュニケーションをしている状況--十川さんは「原風景」と呼んでおられます--に注目なさっていますが、子供はそこまでまさにコミュニケーションにアフェクトされ、触発されている。そこから自己のコミュニケーション回路が徐々に形作られ、情動調律というプロセスを通じて情動的なコミュニケーションが始まっていくわけですね。コミュニケーションとしての情動。そこに焦点があてられています。

(原)
 私もそういう形で情動が理解されているという印象をもちました。ただ、情動のレベルと言語のレベルをきっぱりと分けておられますが、それらは一体となって機能している部分が強いのではないか、という気がしたんです。

(十川)
 それを「カップリング」と呼んでいます。

(原)
 そのカップリングを、一方の作動が他方の作動を引き起こす形で理解する。そのとき、ラカンであれば、おそらく言語という枠組みの中で情動の問題も考えることができる、と言うのではないかと思います。その二つのレベルを分けることが理論的にどういう含意を持っているのか 、うかがいたいのですが。

(十川)
 こういう構想のアイデアは具体的な臨床経験から浮かんだものです。例えば、自由連想において、患者の言語の動きと情動の動きには明らかなずれがある。それゆえ、分析家のほうも、言語という水準と情動という水準の二つのレベルで耳を傾けなくてはいけないことが多い。このずれがもっと明らかになるのは解釈の場面です。明らかに正しいと思われる解釈を行っても、患者は知的に理解するだけで、情動的にはほとんど反応しない場合があります。しかし、それが別の場面では、患者がその言葉を情動を巻き込んだ形で理解し、心的変化が起きることがある。これは従来、抵抗や解釈のタイミングの問題として考えられてきた事柄です。確かに、そういう場面もあるでしょう。しかし、抵抗や解釈のタイミングといった観点からでは、とても理解できない局面のほうが圧倒的に多い。そこから次第に、言語と情動を分けて理論化したほうが臨床的な現象をより的確に把握できると考えるようになったのです。

(原)
 お話をうかがっていて、「言語」ということで何を了解するか、そしてその言語と情動の接点と言いますか、界面をどういうふうに設定するかが問題になってくるという印象をもちました。ラカンが「言語」という時には、この言葉を非常に一般的に、第三者が介在するような主体の他者に対する関係という意味で用いているように思うんです。確かに、この第三者が揺るぎなく関係を媒介する場合、それは言語学で規定されるような言語のイメージに近づくわけで、セミネール初期の言語の了解はまずこの側面を強調しているわけです。ただラカンは同時に、そうした介在が揺らいだり、生成途中だったりする場面についても、第三者の介在が独自の様態をとる場合と考えて、あくまでそこに言語を見ようとするところがある。例えば子供が両親のコミュニケーションを傍らで聞いているのは、ある種の三項関係ですよね?

(十川)
 確かに三項関係と呼べるかもしれませんが、そう言ってしまうと抜け落ちてしまうものがあります。ここが私の構想の中核になる点だと思うので改めて説明しておくと、乳児が両親のコミュニケーションを傍らで聞いているというのは、自己経験の原型となる一つのモデルなんですね。乳児は両親のコミュニケーションに入っていない。それが次第に情動的な反応を示すようになり、言語的コミュニケーションも行えるようになる。最初はコミュニケーションの「外部」にいた乳児が、いつのまにかコミュニケーションを形成するようになっている。その際、重要なことは、子供は言語という構造化された場所に入るのではなく、コミュニケーションという謎と力に満ちた場所に入るということです。したがって、この場所で生じるさまざまな力は子供に傷を与える。また、コミュニケーションの場に入るということは、ある時から入って、あとはその「内部」にいる、といったものではなく、どのように入ったか分からないし、コミュニケーションを生み出し続けなければ、その「外部」に位置することになってしまいます。また、この原初の疎外経験は子供の空想の形式も決定しています。フロイトの「原風景」、クラインの「結合両親像」といったいくつかの外傷的な空想は、このモデルで説明することができます。

(原)
 ラカンですと、言語はあくまで枠組みとしてあって、不安などの情動はその機能ないし機能不全の効果という形で位置づけられると思うんです。要するに、十川さんはそれを独立したレベルとして設定されている。

(十川)
 ラカンは、主体と真理の次元を媒介するものとして言語を想定しています。ところが、対象関係論の立場だと、主体は情動を通して人間のより深い現実に到達する、という考えがあります。この観点からすれば、情動が、主体が真理に達するのを防げるということはない。むしろ、情動の関与なしに真理という次元は出てこないわけです。ラカンの「現実界」とビオンの「О」(originの略)はよく比較対照されますが、前者が言語を媒介にして、言語を超えた次元を表しているのに対し、後者は情動と密接な関係をもっています。

(立木)
 これは僕の印象ですが、ビオンの「ベータ・エレメント」(特に子供や精神病患者において、思考が物のように感じられたり、空想が事実のように語られたりする時の強烈で生々しい経験。自我はそれを外部に排除することによって身を守ろうとする)はラカンの概念に置き換えられません。僕はベータ・エレメントというのは、つまるところ情動のプリミティヴな断片のようなものではないかとぼんやりと考えていて、そこを取り込もうとなさっているのが十川さんの情動論ではないかと思うのですが、そのように理解してよいでしょうか?

(十川)
 私の構想はビオンの理論とは厳密な対応関係はありません。あえて対応させるならば、ベータ・エレメントは、感覚の回路が病理形成的に作動することによって生じる感覚対象のことです。

(立木)
 とすると、べータ・エレメントはむしろ情動と切り離して考えた方がよいのでしょうか? 赤ん坊が死の恐怖を極めて具体的に、というのはつまり、あたかも物のように経験している。ただし、断片的な現実として。赤ん坊はそれを外部に投げつけることしかできない。つまりそれに意味を与えたり、それを理解できる体験としてまとめあげたりはできないわけですね。そういうプリミティヴな経験を情動の次元に関係づけてしまうのは僕の勝手な読みでしょうか? ビオンの場合、情動はアフェクトではなくエモーションになるのでややこしいですが。

(原)
 逆にエモーショナルなエレメントの方がまとめあげる役割をもっていると思うんです。

(立木)
 ということは、情動はむしろ「アルファ・エレメント」(自我が夢や思考の素材として用いることができる心的要素)の次元から入ってくる、と考えるべきだということですね。方向性をもたず、主体を圧倒してしまいかねない感覚、つまりベータ・エレメントを、主体が外に投げ出すことしかできないとき、それを聞き取り、包み込んで、もう少しまとまりのある情動的なもの、アルファ・エレメントに変えて主体に返してやる対象が存在しなくてはならない。この対象の機能をビオンは「アルファ機能」と呼んだわけですが、それによってアルファ・エレメントが夢や思考の材料として使えるようになるわけですね。ゆくゆくは主体自身がこのアルファ機能を内在化しなければならないのですが、これはクラインの言う「抑鬱ポジション」のビオンによる翻訳でしょう。そういう図式は分かるのですが、僕がどうもすっきりと概念的に消化できないのは、やっぱりベータ・エレメントなんです、こういう概念を取り出してみせたところにビオンの真骨頂があるのでしょうが、これはラカンの理論には翻訳できない。もちろん、僕は何でもかんでもラカンと対応させたいと思っているわけではありませんが。

(十川)
 ベータ・エレメントは対象aと等価なものと考えることもできますよね。

(立木)
 僕はそう断言する自信がないんです。現実的なものとの関係はプリミティヴな様相と言えるとは思いますが。

(原)
 情動は、自己を作動させる基本的な条件になる他者とのコネクターにあたる部分、それを介して他者へのアクセスが確保されている部分だという、おおまかな理解でよろしいでしょうか?

(十川)
 はい、おおまかには。

(原)
 そうしたアクセスが成立する初源的な場面として、両親のコミュニケーションを傍らで聞く主体という状況を考えていらっしゃるのは、私にはとても新鮮でした。十川さんが先ほど言及されたように、フロイトの議論ですと、こうした状況はいわゆる「原光景」として、不安を生ずるような外傷的な体験として主題化されるわけですが、十川さんはむしろこれを「コミュニケーション・システムへの参入」の場として積極的な価値を認めようとされている。ある意味で、「原光景」概念の再編、というよりそれが本来持つはずの広がりを回復することがここで目指されているのではないか、という印象をもちました。

 「他者」ならぬ「他者たち」に対峙する主体という状況は、たぶん否定的にも肯定的にもなりうる両価性をもっている。この不安定な両価性を考えようとするとき、フロイトにしてもラカンにしても、情動をまず否定的な側面、例えば「不安」といった側面で捉えた上で、それに動機づけられる形で他者との関係を可能にするような知的構築物が登場する、という転回のドラマを想定することで、これを時間的に分節化しようとしているところがあります。例えば兄弟の誕生、これは父母とは別の形の「他者たち」の成立ですが、これを契機に生じた「子供はどうして生まれてくるのか」という疑問に答えるために、子供はいわゆる「幼児の性理論」を案出するのだ、とフロイトは言います。ラカンが初期の、パラノイアをめぐる議論の中で見出した認識論的な機制も、またおそらく鏡像段階も、同じ「情動」から「言語」--と言っていいように思うのですが--へ、という問題系に連なっているように見える。何よりもセミネールの中で何度か言及される、(拡散し、回避不能な)「不安」から(一つの対象に集中し、そのかぎりで対処可能になる)「恐怖」へという過程の記述は、同じような回避ないし防衛のロジックに従っています。

 ここでビオンに戻りますが、ビオンにもそうした側面がなかったでしょうか。つまり、彼はある混乱した状況、ベータ・エレメントに最初のまとまりを与える営みを、クラインの言う「妄想分裂ポジション」と「抑鬱ポジション」のあいだの出来事(これをビオンは「Ps⇔D」という記号で表します)として位置づけるわけですが、この営みをビオンは同時に、アンリ・ポワンカレ(1854-1912)の「選択された事実」の話を引用しながら、かなり主知主義的な、科学における営みのようなものと結びつけて論じようとしていたと思います。そういった形での情動と言語の接続というエレメントは、十川さんの情動の理解の中にあるんでしょうか?

(十川)
 ビオンが「選択された事実」という用語で何を表現しようとしていたかという点については様々な理解ができると思いますが、未知のものを考えているうちにまとまりが生じて、一つの概念が形成されるということであれば、まさに患者の分裂した経験をまとめ上げるのは、情動や言語の役割です。ところで、「選択された事実」とは患者側だけに生じる出来事ではなく、分析家側にも起きる出来事と考えるべきでしょう。原さんの質問から少し話がずれるかもしれませんが、私の理論構想の最初の段階にもそのような出来事は生じていました。例えば自己システムを考える時に、感覚、欲動、情動、言語という四つの要素を取り出したのは、私の治療経験から引き出された「選択された事実」です。そして、その相互の関係の理論化も、臨床経験の中で思い浮かんだことです。しかし、これを一度形式化してしまうと、その形式自体が経験を拘束するものになってきます。それゆえ、この形成された「選択された事実」は、改めて取り壊す必要があるのです。

(原)
 たぶん、かなりラカンのバイアスがかかったビオンの読み方になると思うのですが(笑)、ビオンが「選択された事実」を参照するとき、確かにその参照は二つのレベルにまたがっているように思うんですね。まず一つめのレベルは、今十川さんのおっしゃったような分析主体に相対する分析家の思考、いわば理論化のレベルで、『精神分析の方法I』(福本修訳、法政大学出版局、1999年)でポワンカレが明示的に言及されている第23章では、まずこのレベルでまとまりの創出という出来事が考えられているように見えます。ただ興味深いことに、「選択された事実」を例に示された出来事は、分析主体における象徴形成ないし記号の成立を考える文脈でも参照されていている。このあたり、福本修さんによる解題(同書、246-251頁)を参考にしてお話しているところですが、ひょっとすると私のほうで読み間違っているかもしれません。ただ、ビオンがこれら二つのレベルで起きていることを多かれ少なかれ相同的なものとして考えているとすると、この一見知的な操作に見える「選択された事実」が「情動」と不可分なものとして扱われているところがとても面白いと思うんです(「選択された事実は、情動的経験すなわちまとまりを発見したという感覚の情動的経験の名前である)(同書、88頁)。これを介して分析家の理論的な営みと分析主体の情動的な経験が重なり合う。「選択された事実」の出来を要請するような情動が一方にあるとすると、他方でその出来によってもたらされる情動もある。もちろん、その後者の情動も、単にポジティヴな「アハ体験」のようなものではない、曲折を孕んだものであるわけですが、いずれにしてもそうした変容の手がかりにして情動と言語の「カップリング」という事態を考えていいんでしょうか。ラカンの議論とビオンや十川さんの議論との接点になりそうなところなので、ちょっと聞いてみたい。

(十川)
 ビオンが患者の経験の中に見ているまとまりの出来事は、一般に「洞察」と呼ばれている体験に近いものだと思います。洞察とは、もちろん単に知的な作業ではなく、情動的経験です。そして、ビオンの場合、洞察という過程は、基本的には妄想分裂ポジションから抑鬱ポジションへの移行の過程です。ビオンの理論は、きわめて単純化して言うなら、フロイトの経験をPs⇔Dという軸から読み直していく試みと言えるでしょうこのPs⇔Dというのが、ビオンが常に立ち戻る参照軸です。このような参照軸は各学派によって異なっています。また、理論化の方法も学派によって大きく違っています。ビオンの理論化は、ラカンと比べるなら素朴なものです。ポワンカレを引用しても、そこに深い哲学的な含蓄はない。したがって、原さんが今言われたような言語や情動という問題について議論するにしても、それぞれの学派間に共通する土台を作ることが難しいため、なかなか議論が噛み合わない。

(立木)
 情動はコミュニケーションに関わる。コミュニケーションに関わる回路は情動と言語だけとされていますが、情動は本来的にコミュニカティヴとなものだと考えてよいのでしょうか?

(十川)
 コミュニケーションといっても、システム論におけるコミュニケーションは、主体が行うコミュニケーションではなく、コミュニケーションが行うコミュニケーションです。これは議論の前提です。その上で、先ほど挙げた四つの要素を見るなら、感覚や欲動はコミュニケーションを行わない。一方、言語や情動はコミュニケーションを行う。おそらく人間だけがこのような誤解と暴力に満ちたコミュニケーションを行う動物ではないかと思います。人間と動物の境界をどこに引くかというのは、きわめて難しい問いですが。少なくとも今言った意味での言語的コミュニケーションは動物にはないでしょう。しかし、情動に関しては、一般的な意味でのコミュニケーションはもちろん、システム論的な意味でのコミュニケーションも動物は行っているのではないでしょうか。

(原)
 言語を介して情動のレベルに働きかけるというテーゼは、ご本の中に繰り返し出てきますが、それがなぜ可能なのかについては、どうなんでしょうか? 二つの切り離されたものがあって、一方が他方に働きかけるイメージにどうしてもなってしまうのですが。

(十川)
 どうして可能なのかと聞かれると、なかなか答えるのは難しい(笑)。言語と情動が最も緊密に結びついているのは、ヒステリー患者です。ヒステリー患者は、みずからの無意識を自由連想によって物語る驚くべき能力をもっています。そして、その話に対して解釈を加えると、その解釈が情動を巻き込んだ形で患者の症状にまで届く。フロイトが『ヒステリー研究』で取り上げているのも、ヒステリーのこのようなメカニズムです。ヒステリー患者が少なくなってきたという話はよく聞きますが、実際少なくなったのは派手な症状を呈するヒステリー患者であって、ほとんど無症状で、一見ありきたりの悩みを抱えているヒステリー患者は今でも数多くいます。そういう人の治療では、言葉の力というものを明確な手ごたえをもって実感できます。

(原)
 それはつまり、言語は常に情動を巻き込んでいるということですか?

(十川)
 強迫神経症者では言語と情動の連動は低い。こういった言語と情動の連動の程度は、神経症選択の問題と深く結び付いています。

(原)
 ただ、連動の程度が低いからといって、言語を介しての働きを諦めて別のルートを探すというわけではないんですね?

(十川)
 もちろん、そうですね。技法的な工夫を凝らすことはできるでしょうが、基本的に言語を通して情動に働きかけていくしかないですね。

(立木)
 でも、分析家がどう働きかけるかを考える時には、分析家の側で情動も作動しないといけませんね?

(十川)
 まずは情動を受けとめ、そこで考える。考えるということは情動的行為です。

(立木)
 「信頼」と「不信」というタームで言えば、患者の回路が開かれないと、どうやっても・・・・・

(十川)
 他者との交流が生じない。インターコース(象徴的水準での性交)が起きないので、新たなものは何も生まれない。

<欲動について>

(立木)
 欲動の問題で僕にとって重要だったのはセクシュアリティの二重性という点です。十川さんは、幼児のセクシュアリティと成人のセクシュアリティは違うとおっしゃっていますが、これは実感としてとてもよく分かる。患者さんの話を聞いていると、それまでわりと現在の日常に近いことが語られていたのに、突然ぽっかりと切り離されたように、子供の頃の快楽の体験が、それも生(なま)の欲動体験に近いようなジュイサンス(享楽)の経験がふと告白されることがあります。連想の中で出てくるのですが、明らかに異質な何かとして入り込んでくる感じです。現在の問題から出発して、そうした幼児期の生々しい、官能的とも言える経験へと患者さんに一貫した話をつないでもらうのはものすごく難しいと思っていただけに、十川さんが二つのセクシュアリティという形で定式化された問題には強く関心を惹かれました。幼児のセクシュアリティと成人のセクシュアリティのいちばん大きな違いは何ですか? 社会化されているかどうか、社会的なシステムにつながっているかどうか、というところでしょうか?

(十川)
 成人のセクシュアリティは社会の変動と密接に結びつきながら、何が正常で何が異常か、という規範性をもちますよね? ところが、幼児のセクシュアリティは、そういう規範性から比較的自由で、生物学的というか、欲動の作動自体によって生じるものです。といっても、欲動の作動自体が養育者との関係から影響を受けるわけですから、ここにすでに社会的なものの萌芽は入り込んでいる。どのような人のセクシュアリティも、この二つのセクシュアリティから形成されています。幼児のセクシュアリティが前景に立っている人は多形的な「倒錯」関係をもつことがあり、また成人のセクシュアリティが過度に規範的な人はその「正常性」こそが何らかの症状を生み出すことがあります。

(立木)
 「倒錯的」と「多形的」を分けていらっしゃいますね。印象的だったのは、正常な人でも欲動の現れ方が倒錯的である場合は、多形的な倒錯者より病理的ではないか、とおっしゃっていたことです。これはどういうことか、もう少し具体的にお聞きできますか?

(十川)
 例えば正常な性関係というものを想定している人は、けっこういますよね? けっこうは……(笑)いないかな?

(立木)
 いや、けっこういると思います。

(十川)
 セックスを何回すべきだとか、あるいはセックスレスはいけないものだとか、何歳に結婚して何人子供を産んで、といったマスコミが作り出した性規範を鵜呑みにしている人たちがいますよね。あれは一種の倒錯と言える。広い意味でのね。

(立木)
 分かります。

(十川)
 本来はどういう形であってもかまわないわけですよね。多形的でいいんです。それは可塑性が高く、自由度に富んだ状態です。しかし、その可塑性を失うと、セクシュアリティは病理的--私の言葉で言うと「倒錯的」--になる、ということです。フロイトは幼児のセクシュアリティを「多形倒錯的」と形容しましたが、病理を生み出すものは「多形」ではなく「倒錯」のほうにあるのです。

(立木)
 倒錯というのは要するに可塑性の貧困化だから、ということですね。ところで、幼児のセクシュアリティと成人のセクシュアリティが異なるシステムだとすると、エディプスにはそのあいだを仕切る役割があると言えるのでしょうか? ご本ではエディプスが最初に登場しますね。

(十川)
 エディプスという概念は、各学派によってその理解が異なり、混乱している概念ですがねエディプスの本質は何よりもセクシュアリティを構造化するものだという点を強調しておきたいと思います。エディプスはまず幼児のセクシュアリティに一定の形を与える。そして、性の潜伏期のあとに、自己は社会的な規範を取り込み、規範との関係においてセクシュアリティが形成されていく。このように規範によって作られるセクシュアリティが成人のセクシュアリティですが、これは社会の性規範の変動にともなって大きく変わっていきます。立木さんは以前「新たなる心的経済とセクシュアリティの運命--フロイト、ラカン、メルマンとともに」(『I.R.S.』第五号、日本ラカン協会、2006年)という論文で、現代の社会では「若者」のセクシュアリティが社会の規範になっていると論じられていましたよね? それは、成人のセクシュアリティのあり方が大きく変わってしまったということではないでしょうか?

(立木)
 そうですね。よく言われるように、社会の規範力が弱まっているということとも関係するのでしょうが。ALIの分析家たちは「集団転移の衰退」という表現を使います。集団転移というのは、理想が共有されている状態、みんなが多かれ少なかれ同じ価値観に従っている状態のことです。ジャン=フランソア・リオタールの『ポストモダンの条件』(小林康夫訳、書肆風の薔薇、1986年)を思い出すなら、最大公約数的なメタディスクールが社会の中で成立している状態だと言ってもいい。今日、そういうものがなくなってしまったことが、われわれの心の仕組みにいろいろな影響を与えているのではないか、というのがメルマンたちの見方ですね。例えば、フランスでは、アドレサンス(フランス語で思春期から20歳頃までの時期を指し、日本語の「青年期」に近い)の問題がここ数年ですっかり社会問題化してしまった。僕の理解では、アドレサンスというのは、幼児のセクシュアリティから成人のセクシュアリティへと移行する、というか、そのあいだで行きつ戻りつが繰り返される時期のことです。今の社会は、そういう時期にいる若者を自我の理想として立てているところがある。最近、あるGAPのお店で60代くらいの女性が我が物顔で買い物しているのを見ましたが、要するに60代の女性もGAPの服を着る、GAPの服を着たいと思うように、アドレサンスが自我の理想として機能していると思うんです。そこにはある種の固着が働いていて、誰もがアドレサンスにとどまろうとする。つまり成長をやめてしまう。このことの意味は重大です。アドレサンスで立ち止まるということは、まさにセクシュアリティが行きつ戻りつしている状態で落ち着いてしまうことだから。セクシュアリティの揺動(ようどう)が永続化されてしまう。そんなところに性的な成熟などありません。

(十川)
 立木さんは、「若者というのは最近出現した人種である」というアラン・フィンケルロールの言葉を引用されていましたね。みんなが若者で、若い者勝ちという規範が現在では普遍化してしまっている。したがって、そこでは老いは否認すべき事実でしかない。若者も老人もいずれも生成していくものでありながら、老いは欠如体としてしか考えられていない。

(立木)
 そうですね。

(十川)
 当然、各個人のナルシシズムとも深く結びついた現象ですが……。

(立木)
 老いというか、老いた自分というのが多くの人にとって対象aの役割を果たしていると言えるのかもしれません。『アンコール』のセミネール(1972-73年)で、ラカンは対象aの機能を「三人の囚人のソフィスム」に出てくる黒いシールの機能に重ねていますが、あれです。つまり、自分がそれであってはならない、ということで、主体を結論へと急きたてる対象ですね。もっとも、「老いた自分」という対象aは主体をある種の退行へと急きたてるのでしょうが。その場合、主体はどうしてもイマジネールに依存せざるをえません。つまり、「若い自分」というイメージですね。そういう意味では、それはナルシシズムの問題だし、逆に言うと、ある種のナルシシズム抜きには成り立たないメカニズムです。

 さて、もう一つうかがいたいのは欲動と現実界の問題ですが、今回のご本では「現実界」という言葉はほとんど使われていませんね。

(十川)
 今回の理論化の参照軸はフロイトであって、ラカンのことはあまり意識していません。したがって、ラカンの概念を用いるつもりはありませんでした。ラカンの現実界という問題系は、私の今の理論化の作業の中では、欲動の回路形成の問題とほぼ重なっています。立木さんも『精神分析と現実界』(人文書院、2007年)で、「ラカンはフロイトの欲動論を明確に意識して現実界を概念化している」と書かれていますね。これは私も賛成で、現実界の概念は欲動の概念で代置可能であるゆえに、別に現実界は必要ない--必要ないと言うと少し言いすぎかもしれないけど(笑)--、たいていのことは言える、と考えています。

(立木)
 ラカンの場合、1964年に一度は現実界としての欲動に接近するけれども、そのあと「享楽」というタームがいわば欲動に取って代わってしまって、問いの本質が見えにくくなってしまっているところがあります。享楽というのは何よりも欲動の満足のはずだからそこで問われているのは本当は欲動のことなのですが……。

(原)
 フロイトでは、いわゆる二大欲動である「生の欲動」と「死の欲動」、それから部分欲動という二つのものが同じ「欲動」というタームで語られてしまっているところがありますが、十川さんが「欲動」とおっしゃる時の欲動概念をフロイトの二つの欲動、つまり生の欲動と死の欲動のレベルと関連させると、どういうことになるんでしょうか?

(十川)
 それはフロイトがかなりあとになって使った欲動の概念ですよね? 私が論じているのはもっぱら『性理論三篇』(1905年)の欲動論で、のちの生の欲動と死の欲動は、厳密には欲動の問題ではないと思いますが……。

(原)
 ただ、死の欲動に関しては言及されていますよね?

(十川)
 死の欲動については、記憶や時間の問題系の中で取り扱っていて、欲動の問題とは考えていませんね。

相互受動性 資料 [ジジェク]

「ラカンはこう読め」より

2.相互受動的な主体   マニ車を回すラカン

 コロスとは何でしょうか。それは「あなただ」という人もいるでしょうし、「それはあなたではない」という人もいるでしょうが、問題はそういうことではありません。ここで問題なのは手段、それも感情の手段なのです。私の言いたいのは、コロスとは感動している人々だということです。

 ですから、劇において浄化されるのは観客の感情だと決めつける前に、劇をもう一度よく見てください。最終的に、劇的効果によって感情だけでなくその他のものも鎮められなくてはなりませんが、その時に感情も浄化します。でもこれは、感情が直接浄化されるということではありません。感情が浄化されることは疑いありませんし、観客は使われる素材の状態になっていますが、同時に、まったく無関心な素材の状態でもあります。あなたは夜に劇場にいるとき、ちょっとしたこと、たとえば昼間なくした万年筆のことや、次の日署名しなくてはならない小切手のことを考えているでしょう。観客なんてその程度のものです。舞台の健康な状態が、あなたの感情の面倒をみてくれます。コロスが面倒をみてくれます。コロスが感情的注釈を与えてくれるのです。(『精神分析の倫理』下 p128)

 
 ラカンがここで描いているのはごくありふれた情景だ。人びとが劇場でギリシア悲劇の上演を楽しんでいる。だがラカンの解釈は、そこではなにか奇妙なことが起きていることを暴露する。すなわち、われわれの心の奥から自然に湧き上がってくる、泣くとか笑うといった感情や反応を誰か他人--この場合はコロス--が引き取り、われわれの代わりに経験してくれるらしい。いくつかの社会でこれと同じ役割を演じているのが、いわゆる「泣き女」(葬儀で泣くために雇われる女性たち)である。彼女たちが、死者の親類たちに代わって、嘆き悲しむという光景を演じてくれるおかげで、親類はもっと有益なこと(たとえば遺産の分割)に時間を使うことができる。チベットのマニ車においても、これと似たようなことが起きている。経文の書かれた紙を車につけて機械的に回せば(もっと実用的なマニ車だと、風や水の力で回る)、マニ車が私の代わりに祈ってくれるのだ。スターリン主義者ならばこう言うだろう--たとえ私の頭は猥褻きわまりない性的空想に耽っていたとしても、「客観的」には私は祈っているのだ。そうしたことが起きるのは、いわゆる「未開」社会だけではない。テレビのお笑い番組の、録音された笑い声を思い出してみよう。おかしな場面に対する笑いの反応が、あらかじめサウンドトラックに録音されている。たとえ一日のツライ労働の後で疲れ果てた私が、笑わずにただ画面をじっと観ていたとしても、番組が終わったときには、サウンドトラックが私の代わりに笑ってくれたおかげで、私はずいぶん疲れがとれたような気になる。

 この奇妙なプロセスを正しく把握するためには、相互能動性=双方向性(interactivity)という最新流行の概念を、その不気味な分身である相互受動性(interpassivity)によって補完しなくてはならない。最新の電子メディアによってテクストあるいは芸術作品の受動的消費は終わったとよく言われる。人びとはもはやたんにスクリーンを眺めているだけではなく、積極的に参加し、スクリーンと対話する(プログラムを選ぶ、ヴァーチャル・コミュニティの討論会に参加する、さらに、いわゆる「双方向小説」では直接に物語の結末を決める)。この新しいメディアの民主主義的潜在力を礼賛する人々はたいてい、まさしくそうした特徴に注目している--サイバースペースにおいては、人々は、他人が演じる見世物をただ観ている受動的観客の役割を脱ぎ捨て、能動的に見世物に参加するだけではなく、見世物のルールを決めることにも参加するのだ、と。

 そうした双方向性の裏返しが相互受動性である。(たんに受動的にショーを見ている代わりに)能動的に対象に働きかけるという状況を裏返せば、次のような状況が生まれる。すなわち、対象そのものが私から私自身の受動性を奪い取り、その結果、対象そのものが私の代わりにショーを楽しみ、楽しむという義務を肩代わりしてくれる。強迫的に映画を録画しまくるビデオ・マニア(私もそのひとりだ)ならほとんど誰もが知っているはずだ。--ビデオデッキを買うと、テレビしかなかった古き良き時代よりも観る映画の本数が減るということを。われわれは忙しくてテレビなど観ている暇がないので、夜の貴重な時間を無駄にしないために、ビデオに録画しておく。後で観るためだ(実際にはほとんど観る時間はない)。実際には映画を観なくとも、大好きな映画が自分のビデオ・ライブラリに入っていると考えるだけで、深い満足感が得られ、ときには深くリラックスし、無為(far niente)という極上の時を過ごすことができる。まるでビデオデッキが私のために、私の代わりに、映画を観てくれるかのようだ。ここではビデオデッキが<大文字の他者>、すなわち象徴的登録の媒体を体現している。今日ではポルノですらますます相互受動的な働きをしている。もはやポルノ映画はユーザーを興奮させ、孤独な自慰行為に駆り立てるための手段ではない。「行為がおこなわれている」スクリーンを観ているだけで充分であり、私の代わりに他人がセックスを楽しんでいるのを観察するだけで、私たちは満足する。

 相互受動性の例をもうひとつ挙げよう。誰かが悪趣味なつまらない冗談を言い、まわりが笑ってくれないと、「こいつは面白い!」とか言いながら自分ひとりで大笑いする、という誰もが知っている気まずい状況だ。その人物は、聴衆に期待された反応を自分でやってみせたのだ。この状況は、あらかじめ録音された笑いと似ているが、やはり違う。どちらの場合においても、たとえ全然面白いと思わなくても、われわれは代理人を通じて笑っているわけだが、ひとりで大笑いする場合はその代理人が無名の<大文字の他者>、すなわち目に見えない人工的な大衆ではなくて、冗談を言った本人だ。彼の強迫的な笑いは、われわれがつまずいたり何か馬鹿げたことをしでかしたりするときに思わず口にする「おっと!」に似ている。この「おっと!」の不思議なところは、私の失態を目撃した誰か他人が私の代わりに「おっと!」と言うことも可能であり、実際それでうまくいくということである。「おっと!」の機能は、私の失態の象徴的登録を実行することであり、私の失態を仮想的な<大文字の他者>に知らせることである。

 次のような微妙な状況を思い出してみよう。閉ざされた集団の全員がある醜悪な事実を知っている(しかも「全員が知っている」ということを全員が知っている)。にもかかわらず、誰かがその事実を不注意に口にすると、全員が動揺してしまう。なぜか。口にされたのは誰にとっても耳新しい事実ではないにもかかわらず、どうして誰もが当惑するのだろうか。それは、知らないふりをする(知らないかのようにふるまう)ことができなくなったから、いいかえれば、いまや<大文字の他者>がそれを知っているからだ。そこにハンス・クリスティアン・アンデルセンの「はだかの王様」の教訓がある。見かけの力をけっして見くびってはならない。うっかり見かけを攪乱してしまうと、見かけの裏にある物自体が壊れてしまうことがある。

 この相互受動性の対極にあるのが、ヘーゲルのいう「理性の狡知(List der Vernunft)」である。そこでは、私は<大文字の他者>を通じて能動的である。私は受動的なまま後ろに下がって座っており、<大文字の他者>が私の代わりになんでもやってくれる。私はハンマーを鉄で打つ代わりに、機械がやってくれる。私が自分で水車を回す代わりに、水がやってくれる。私と、私が働きかける対象との間に、別の自然な対象を挿入することによって、私は目的を達成する。同じことは人間と人間のあいだでも起こりうる。私はじかに敵を攻撃する代わりに、彼と別の人間とのあいだに諍いが起こるように仕向け、彼ら二人が互いを滅ぼし合うのを遠くから眺めていればいい(ヘーゲルによれば、そのようにして絶対的な<観念>は全歴史を通じて支配する。観念は闘争の外側にいて、人間の熱情が互いに闘うよう仕向けている。古代ローマにおける共和制から帝政への移行の歴史的必然性は、ユリウス・カエサルの情熱と野心を道具として用いることで実現された)。それとは反対に相互受動性においては、私は<大文字の他者>を通じて受動的である。私は自分の経験の受動的な側面(楽しむこと)を<大文字の他者>に譲り渡し、私自身は能動的に働き続ける(私が夜遅くまで働いている間に、ビデオデッキが私の代わりに受動的に楽しんでいる。泣き女たちが私の代わりに嘆き悲しんでいる間に、私は死者の遺産の配分を考えている)。これらのことは偽りの行動(false activity)という概念を思い出させる。人は何かを変えるために行動するだけでなく、何かが起きるのを阻止するために、つまり何ひとつ変わらないようにするために、行動することもある。これこそが強迫神経症者の典型的な戦略である。現実界的(リアル)なことが起きるのを阻止するために、彼は狂ったように能動的になる。たとえばある集団の内部でなんらかの緊張が爆発しそうなとき、強迫神経症者はひっきりなしにしゃべり続ける。そうしないと、気まずい沈黙が支配し、みんながあからさまに緊張に立ち向かってしまうと思うからだ。精神分析治療において、強迫神経症者は休みなくしゃべり続け、逸話や夢や思いつきを次から次へと分析家に浴びせる。彼らの絶え間ない活動はその背後にある恐怖、すなわち、もし一瞬でも話すのをやめたら分析家は核心を突く質問をしてくるだろう、という恐怖に支えられている。いいかえると、彼らは分析家を黙らせておくためにしゃべり続けるのだ。

 今日の進歩的な政治家の多くにおいてすら、危険なのは受動性ではなく似非能動性、すなわち能動的に参加しなければならないという強迫感である。人びとは何にでも口を出し、「何かをする」ことに努め、学者たちは無意味な討論に参加する。本当に難しいのは一歩下がって身を引くことである。権力者たちはしばしば沈黙よりも危険な参加をより好む。われわれを対話に引き込み、われわれの不吉な受動性を壊すために。何も変化しないなようにするために、われわれは四六時中能動的でいる。このような相互受動的な状態に対する、真の批判の第一歩が、真の能動性への、すなわち状況の座標を実際に変化させる行為への道を切り開く。

 この偽りの能動性と似たものは、プロテスタントの<予定説>にも見出される。<予定説>の逆説は、われわれの運命はあらかじめ決まっており、われわれが救済されるか否かはわれわれの行為と関わりがないと主張する神学が、資本主義、すなわち人類の歴史において最も狂乱的な生産活動の引き金となった社会システムの合法化として役に立ったということである。物事はあらかじめ決まっているという事実そのものが、すなわち、われわれは運命の受動的な犠牲者にすぎないという事実そのものが、われわれを絶え間ない熱狂的な活動へと駆り立てる。われわれは<大文字の他者>(この場合は神)の不変性を支えるために働き続けるのである。

 このように、われわれが心の一番奥底に秘めている感情や態度を、なんらかの姿をした<大文字の他者>のもとへと移し替えるということが、ラカンのいう<大文字の他者>の概念のいちばんの中核にある。それは感情だけではなく信仰や知識にも当てはまる。すなわち<大文字の他者>はわれわれの代わりに信じたり知ったりすることができる。このような、主体の知を他者の知に置き換えるという行為を説明するために、ラカンは<知っていると想定される主体>という概念を導入した。テレビの「刑事コロンボ」シリーズでは、犯罪--殺人行為--があらかじめ詳細に描かれる。したがって、解かれるべき謎は「誰がやったか」ではなく、刑事がいかにして欺瞞的な表面(フロイトの夢理論の用語を使えば、犯罪場面の「顕在内容」)と犯罪についての真理(その「潜在思考」)を結びつけるか、彼がいかにして犯人にその罪を証明するか、である。「刑事コロンボ」シリーズが大ヒットしたという事実は、刑事の仕事に対する関心の真の源泉が、謎の解明のプロセスそのものであって、その結果ではないことを証明している。

 この特徴よりももっと重要なのは、誰がやったのかをわれわれ視聴者はあらかじめ知っている(じかに目撃するのだから)ということだけでなく、理由はわからないが、刑事コロンボもまたすぐにそれを見抜くということである。犯行現場を訪れ、犯人に出会った瞬間、彼は絶対的確信を得る。犯人がそれをやったのだということを、彼はたんに知っている。彼はその後、「誰がやったのか」という謎を解くためではなく、犯人の罪をいかにして犯人に証明するかをめぐって、努力するのである。普通の順序が奇妙に逆転されているのだが、ここには神学的な意味がある。真の宗教的信仰においては、私はまず神を信じ、それから、自分の信仰を根拠として、自分の信仰の真実性を示す証拠が得られるようになる。ここでもまた、コロンボは、神秘的な、だがそれにもかかわらず絶対的な確信によって、誰がやったのかを最初から知っており、しかる後に、この絶対的な知にもとづいて、証拠を集めていくのである。

 多少の違いはあるが、精神分析治療において、<知っていると想定された主体>としての分析家はそれと同じ役割を演じる。患者は治療を受けることになった瞬間、「この分析家は私の秘密を知っている」という絶対的な確信を得る(これが意味しているのはたんに、患者は秘密を隠しているという罪悪感を最初から抱いており、彼の行動には実際に隠された意味がある、ということだ)。分析家は経験主義者ではない。さまざまな仮説を駆使して患者を探り、証拠を探すわけではない。そうではなく、分析家は患者の無意識的欲望の絶対的確信(ラカンはそれをデカルトの「我思う、ゆえに我あり」に譬えている)を体現しているのだ。ラカンによれば、自分が無意識の中ですでに知っていることを分析家に移し替えるという、この奇妙な置換こそが、治療における転移現象のいちばんの中核である。「分析家は私の症候の無意識的な意味をすでに知っている」と仮定したときはじめて、患者はその意味に到達できる。フロイトとラカンの違いはどこにあるか。フロイトは、相互主観的な関係としての転移の心的力学に関心を向けた(患者は父親に対する感情を分析家に向ける。だから患者が分析家について語っているとき、「じつは」父親について語っている)。ラカンは、転移現象の経験的豊富さにもとづいて、仮定された意味の形式的構造を推定した。

 転移は、より一般的な規則の一例にすぎない。その規則とは、新たな発明というのは、過去の最初の真理に戻るという錯覚的な形式においてのみなされるということである。プロテスタンティズムに話を戻すと、ルターはキリスト教の歴史において最大の革命を成し遂げたが、彼自身は、数世紀にわたるカトリックの堕落によって不明瞭になっていた真理を掘り起こしただけだと考えていた。民族復興についても同じことがいえる。民族集団が国民国家を建設するとき、彼らはふつうこの政体を古代の忘れられた民族的ルーツへの回帰として公式化する。彼らが気づいていないのは、彼らの「回帰」そのものが、回帰すべき対象を形作っているということだ。伝統への回帰とは、伝統を発明することに他ならない。歴史家ならだれでも知っているように、(今日知られているような形の)スコットランドのキルト[巻きスカート]は十九世紀に発明されたものである。

 ラカンの多くの読者が見落としているのは、<知っていると想定される主体>というのは、副次的な現象であり、ひとつの例外にすぎない。つまりそれは≪信じていると想定された主体≫というより根本的な背景の前にあらわれるということである。この≪信じていると想定された主体≫こそが象徴的秩序の本質的特徴である。ある有名な人類学者の逸話によれば、迷信的な信仰(たとえば自分たちの祖先は魚あるいは鳥だという信仰)をもっているとされる未開人が、その信仰について直接尋ねられた際、こう答えたという。「もちろんそんなことは信じていない。私はそんなにばかじゃない。でも先祖の中には実際に信じていた人がいたそうだ」。要するに、彼らは自分たちの信仰を他者に転移していたのである。われわれも子どもに対して同じことをしているのではなかろうか。われわれがサンタクロースの儀式をおこなうのは、子供が信じている(と想定される)からであり、子どもを失望させたくないからだ。いっぽう、子どものほうも、おとなを失望させないために、そして子どもは素朴だというわれわれおとなの信仰を壊したくないために(そしてもちろん、ちゃっかりプレゼントをもらうために)、信じているふりをする。「本気で信じている」他人を見つけ出したいというこの欲求は、同時に、他者に宗教的あるいは民族原理主義者を押したいという欲求を駆り立てるのではなかろうか。なにか不気味なかたちで、ある種の信仰はつねに遠くで機能するように見える。信仰が機能するためには、何かそれの究極の保証者、真の信者がいなければならない。だがその保証者はつねに遠ざけられ、疎んじられ、本人があらわれることはけっしてない。では、いかにして信仰は可能なのか。この遠ざけられた信仰の悪循環はいかにして短絡するのか。むろん重要な点は、信仰がちゃんと機能するためには、素直に信じている主体が存在する必要はまったくないということだ。その主体の存在を仮定するだけでいい、その存在を信じるだけでいいのだ。それは、われわれの現実の一部ではない、神話的な創造者という形であってもいいし、人格を保たない役者であってもいいし、不特定の代理人でもいいのだ。「彼らはこう言っている/そう言われている」。

 少なくともこれが今日の、つまり「ポスト・イデオロギー的」とみずから称している時代における、信仰の支配的な状況だと思われる。ニールス・ボーアは、「神はサイコロを振らない」と言ったアインシュタインに対し、的確な答えを返した(「何をすべきかを神に命令するな」)が、彼はまた、物神崇拝的な信仰否認がいかにしてイデオロギー的に機能するかについて完璧な例を提供してくれる。ボーアの家には蹄鉄が付いていた。それを見た訪問者は驚いて、自分は蹄鉄が幸福を呼ぶなどという迷信を信じていないと言った。ボーアはすぐに言い返した。「私だって信じていません。それでも蹄鉄を付けてあるのは、信じていなくても効力があると聞いたからです」。おそらくこれが、生活と世界の中心的カテゴリーとして「文化」が浮上してきた理由である。宗教に関していえば、われわれはもはや「本気で信じて」はおらず、自分が属している共同体の「ライフスタイル」への敬意の一部として、たんに(さまざまな)宗教的儀式や行動に従っているにすぎない(たとえば、信仰をもたないユダヤ人が「伝統に敬意を表するため」にユダヤの伝統的料理規則に従う)。「本気で信じてはいない。たんに私の文化の一部なのだ」というのが、われわれの時代の特徴である、遠ざけられた信仰の一般的な姿勢であろう。「文化」とは、われわれが本気で信じず、真剣に考えずに実践していることすべてを指す名称である。だからこそわれわれは原理主義的な信者たちを、本気で信じている「野蛮人」だ、反文化的だ、文化への脅威だとして軽蔑するのだ。

 どうやらわれわれがここで論じているのは、ずっと昔にブレーズ・パスカルが描き出した現象のようだ。パスカルは、信仰を持ちたいのに信仰への飛躍がどうしてもできない非信者への助言の中で、こう述べている。「跪いて祈り、信じているかのように行動しなさい。そうすれば信仰は自然にやってくるだろう」。あるいは、現代の「断酒会」はもっと簡潔にこう言っている。「できるふりをしろ。できるようになるまで」。しかし今日、文化的ライフスタイルへの忠誠心から、われわれはパスカルの論理を逆転する。「あなたは自分が本気すぎる、信じすぎると思うのですね。自分の信心が生々しく直接的すぎるために息苦しいのですね。それならば跪いて、信じているかのように行動しなさい。そうすれば信仰を追い払うことができるでしょう。もはや自分で信じる必要はないのです。あなたの信仰は祈りの行為へと対象化されたからです」。つまり、自分の信仰を大事にするのではなく、信仰が侵入してくるのを追い払い、一息つくスペースを確保するために跪くのだとしたらどうだろう。信じる--媒介なしに直接に信じる--という苦しい重荷を、儀式を実践することによって誰か他人に押しつけてしまえばいいのだ。(結婚…愛がなくても結婚的生活によって愛が生まれる・・・ではなく、相手を愛しすぎないように儀式化するために結婚する)

 ここから、われわれは象徴的秩序の次なる特徴、すなわちその非心理的な性質へと向かうことになる。私が他人を通じて信じる時、あるいは自分の信仰を儀式へと外在化し、その儀式に機械的に従うとき、あるいはあらかじめ録音された笑いを通じて笑うとき、あるいは泣き女を媒介して喪の仕事をおこなうとき、私は内的な感情や信仰に関わる仕事を、それらの内的な状態を動員することなく、やり遂げている。そこに、われわれが「礼儀」と呼ぶものの謎に満ちた状態がある。私は知人に会うと、手を差し出し、「やあ(会えてうれしいよ)、元気?」と言う。私が本気で言っているのではないことは、両者とも了解している(もしその知人の心に「この人は私に本当に関心を持っているのだろうか」という疑念が芽生えたら、その人は不安になるだろう。彼の個人的なことに首を突っ込もうとしているのではないか、と。古いフロイト的なジョークを言い換えるとこうなる。「どうして会えてうれしいなんて言うんだ? 会えてうれしいと本気で思っているくせに」)。ただし、私の行為を偽善的と呼ぶのは誤りだ。別の見方をすれば、私は本当にそう思っているのだから。礼儀正しい挨拶は、われわれ二人の間にある一種の契約を更新しているのだ。同様に、私はあらかじめ録音された笑いを通じて「本気で」笑っているのである(それが証拠に、私は実際に気分が楽になる)。

 これが意味するのは、私が自分の選んだ仮面(偽りの人格)を通じて演じる感情は、どういうわけか、自分自身の内部で感じていると思っている感情よりもずっとリアルだということである。自分自身の偽りのイメージを作り上げ、自分が参加しているヴァーチャル・コミュニティでそのイメージを使うとき(たとえば性的なゲームでは、内気な男はしばしば魅力的で淫蕩な偽人格 screen persona をまとう)、その偽人格が感じ、装う感情はけっして偽りのものではない。真の自己(だと自分で思っているもの)がそれを感じているわけではないにもかかわらず、ある意味ではそれは本物の感情である。たとえば私は心の奥底ではサディストで、他の男をぶちのめし、女を強姦することを夢想しているとする。実生活において、他人に対しこの真の自己をあらわすことは許されていない。そこで私はもっと謙虚で礼儀正しい仮面をかぶる。この場合、実生活における態度の方が仮面で、私の真の自己は、私が虚構の偽人格として選んだものの方に近いのではなかろうか。逆説的だが、私がまさにこの事実を実感するのは、サイバースペースで、つまり真の自己をあらわせるような虚構の中で動いている時だ。これこそ、他の何にもまして、ラカンが「真理は虚構のような構造をしている」という言葉によって言わんとしたことである。真理の虚構性によって、われわれはまた「実話」を描くテレビ番組の虚偽を明快に説明することができる。そこで描かれた生活は、カフェイン抜きのコーヒーと同じくらいリアルだ。要するに、たとえそうした番組に描かれたものが「本当のこと」だとしても、人びとはその中で依然として演技している。彼ら自身を演じているのである。小説の標準的な「断り書き」(「この小説の登場人物はすべて架空であり、実在の人物と似ていたとしてもそれはまったくの偶然です」)は、実話ものの出演者にも当てはまる。彼らは、たとえ実際に彼ら自身を演じているとしても、架空の登場人物なのである。あるスロヴェニアの作家が最近用いた、「断り書き」の皮肉なパロディは、実話テレビ番組への最良のコメントになっている。「以下の小説の登場人物はすべて架空であり、実在ではありません。しかし私が実生活で知っている人びともほとんど架空なので、この断り書きには大した意味がありません」。

 マルクス兄弟の映画の一本で、嘘を見破られたグルーチョが怒って言う。「お前はどっちを信じるんだ? 自分の眼か、おれの言葉か?」 この一見ばかばかしい論理は、象徴的秩序の機能を完璧に表現している。社会的仮面のほうが、それをかぶっている個人の直接的真実よりも重要なのである。この機能は、フロイトのいう「物神崇拝的否認」の構造を含んでいる。「物事は私の目に映った通りだということはよく知っている。私の目の前にいるのは堕落した弱虫だ。それにもかかわらず私は敬意をこめて彼に接する。なぜなら彼は裁判官のバッジをつけいてるので、彼が話すとき、法が彼を通して語っているのだ」。ということは、ある意味で、私は自分の眼ではなく彼の言葉を信じているのだ。確固たる現実しか信じようとしない冷笑者(シニック)がつまずくのはここだ。裁判官が語るとき、その裁判官の人格という直接的現実よりも、彼の言葉(法制度の言葉)のほうに、より多くの真実がある。自分の眼だけを信じていると、肝腎なことを見落としてしまう。この逆説は、ラカンが「知っている[騙されない]人は間違える(Les non-dupes errent)」という言葉で言い表そうとしたことだ。象徴的機能に目を眩ませることなく、自分の眼だけを信じ続ける人は、いちばん間違いを犯しやすいのである。自分の眼だけを信じている冷笑者が見落としているのは、象徴的虚構の効果、つまりこの虚構がわれわれの現実を構造化しているというとである。美徳について説教する腐敗した司祭は偽善者かもしれないが、人びとが彼の言葉に教会の権威を付与すれば彼の言葉は人びとを良き行いへと導くかもしれない。

 私の直接的なアイデンティティと象徴的アイデンティティ(私が<大文字の他者>にとって、あるいは<大文字の他者>において何者かであることを規定する、象徴的な仮面や称号)との間のこの落差が、ラカンのいう「象徴的去勢」であり、そのシニフィアンはファロス(男根)である。なぜラカンにとってファロスはたんなる授精のための器官ではなく、シニフィアンなのか。伝統的な即位式や任官式では、権力を象徴する物が、それを手に入れる主体を、権力を行使する立場に立たせる。王が手に錫杖(しゃくじょう)をもち、王冠をかぶれば、彼の言葉は王の言葉として受け取られる。こうしたしるしは外的なものであり、私の本質の一部ではない。私はそれを身につける。それを身にまとって、権力を行使する。だからそれは、ありのままの私と私が行使する権力との落差(私は自分の機能のレベルでは完全ではない)を生み出すことによって、私を「去勢」する。これが悪名高い「象徴的去勢」の意味である。この去勢は、私が象徴的秩序に取り込まれ、象徴的な仮面あるいは称号を身にまとうという事実そのものによって起きる。去勢とは、ありのままの私と、私にある特定の地位と権威を与えてくれる象徴的称号との、落差のことである。この厳密な意味において、それは、権力の反対物などではけっしてなく、権力と同義である。その落差が私に権力を授ける。したがってわれわれはファロスを、私の存在の生命力をじかに表現する器官としてではなく、一種のしるし、王や裁判官がそのしるしを身につけるのと同じように私が身につける仮面である。ファロスとはいわば身体なき器官であり、私はそれを身につけ、それは私の体に付着するが、けっしてその器官的一部とはならず、ちぐはぐではみ出た人工装着物として永遠に目立ち続ける。

 この落差がある以上、主体は自分の象徴的仮面あるいは称号とぴったり同一化することができない。だから主体は自分の象徴的称号に疑問を抱く。これがヒステリーだ。「どうして私は、あなたが言っているような私なのか」。あるいはシェイクスピアのジュリエットの言葉を借りれば、「どうして私はその名前なの?」 「ヒステリー」と「歴史(ヒストリア)」との間の類似性には真実が含まれている。主体の象徴的アイデンティティはつねに歴史的に決定され、ある特定のイデオロギー的内容に依存している。これこそが、ルイ・アルチュセールが「イデオロギー的問いかけ」と呼んだものである。われわれに与えられた象徴的アイデンティティは、支配的なイデオロギーがわれわれにどのように--市民として、民主主義者として、キリスト教徒として--「問いかけ」たかの結果である。ヒステリーは、主体が自分の象徴的アイデンティティに疑問を抱いたとき、あるいはそれに居心地の悪さを感じたときに起きる。「あなたは私のことをあなたの恋人だとおっしゃる。私をそのようにした、私の中にあるものは何? 私の中の何が、私をして私をこんなふうに求めさせるののでしょう」 『リチャード二世』はヒステリー化をめぐるシェイクスピアの至高の作品である(対照的に『ハムレット』は強迫神経症をめぐる至高の作品だ)。王が、自分が王であることに対して次第に疑問を膨らませていく、というのがこの劇のテーマだ。私を王たらしめているのは何か。「王」という象徴的称号が取り去られたとき、私の何が残るのか。


 私には名がない、称号もない。
 洗礼のときに与えられた名前もない。
 それも奪われてしまった。なんと悲しいことか。
 いくたびも冬をしのいできたこの身が、
 今になって、自分を呼ぶ名前がないとは。
 ああ、この身が雪だるまの王であればよかった。
 そうすれば、ボリンブルック[リチャードに退位を迫るヘンリー]という太陽に照らされて
 溶けて、水しずくとなって流れ去ることもできたろうに![第四幕第一場]

スロヴェニア語訳では、二行目が「どうして私は私なのか」と訳されている。これは明らかに詩的に意訳しすぎだが、彼の窮地の核心を表現していることは確かだ。象徴的称号を剥奪されたリチャードのアイデンティティは、陽に当たった雪だるまのように溶けてしまう。

 ヒステリー患者にとって一番の問題は、自分が何者であるか(自分の真の欲望)と、他人は自分をどう見て、自分の何を欲望しているのかを、いかに区別するかである。このことはわれわれをラカンのもうひとつの公式、「人間の欲望は他者の欲望である」へと導く。ラカンにとって、人間の欲望の根本的な袋小路は、それが、主体に属しているという意味でも対象に属しているという意味でも、他者の欲望だということである。人間の欲望は他者の欲望であり、他者から欲望されたいという欲望であり、何よりも他者が欲望しているものへの欲望である。アウグスティヌスがよく承知していたように、羨望と怨恨とが人間の欲望の本質的構成要素である。ラカンがしばしば引用していた『告白』の一節を思い出してみよう。アウグスティヌスはそこで、母親の乳房を吸っている弟に嫉妬している幼児を描いている。

 私自身、幼児が、まだ口もきけないのに、嫉妬しているのを見て、知っています。
 青い顔をして、きつい目つきで乳兄弟を睨みつけていました。[『告白』第一巻第七章]

ジャン=ピエール・デュピはこの洞察にもとづいて、ジョン・ローズの正義論に対する納得のいく批判を展開している。ロールズ的な正しい社会のモデルにおいては、不平等は、社会階級の底辺にいる人びとにとっても利益になりさえすれば、また、その不平等が相続した階層にはもとづいておらず、偶然的で重要でないとみなされる自然な不平等にもとづいている限り、許される。ロールズが見落としているのは、そうした社会が必ずや怨恨の爆発の諸条件を生み出すだろうということである。そうした社会では、私の低い地位はまったく正当なものであることを私は知っているだろうし、自分の失敗を社会的不正のせいにすることはできないだろう。

 ロールズが提唱するのは階層が自然な特性として合法化されるような恐ろしい社会モデルである。そこには、あるスロヴェニアの農夫の物語に含まれた単純な教訓が欠けている。その農夫は善良な魔女からこう言われる。「なんでも望みを叶えてやろう。でも言っておくが、お前の隣人には同じことを二倍叶えてやるぞ」。農夫は一瞬考えてから、悪賢そうな微笑を浮かべ、魔女に言う。「おれの眼をひとつ取ってくれ」。今日の保守主義者たちですら、ロールズの正義の概念を支持するだろう。2005年十二月、新しく選ばれた英国保守党の党首デイヴィッド・キャメロンは、保守党を恵まれない人びとの擁護者に変えるつもりだと述べ、こう宣言した。「あらゆる政治にとっての試金石は、もてない者、すなわち社会の底辺にいる人びとに対して何ができるかということであるべきだ」。不平等が人間外の盲目的な力から生じたと考えれば、不平等を受け入れるのがずっと楽になる、と指摘したフリードリヒ・ハイエクですら、この点では正しかった。したがって、自由主義資本主義における成功あるいは失敗の「不合理性」の良い点は(市場は計り知れない運命の近代版だという古くからのモチーフを思い出そう)、そのおかげで私は自分の失敗(あるいは成功)を、「自分にふさわしくない」、偶然的なものだと見なせるということである。まさに資本主義の不正そのものが、資本主義のもっとも重要な特徴であり、これのおかげで、資本主義は大多数の人びとにとって許容できるものなのだ。

 ラカンは、ニーチェやフロイトと同じく、平等としての正義は羨望にもとづいていると考える。われわれがもっていない物をもち、それを楽しんでいる人びとに対する羨望である。正義への要求は、究極的には、過剰に楽しんでいる人びとを抑制し、誰もが平等に楽しめるようにしろという要求である。この要求の必然的帰結は、いうまでもなく禁欲である。平等に楽しむことを強要することはできない。われわれに強要できるのは、みんなが平等に禁止することである。しかしながら忘れてはならないのは、今日のいわゆる寛容な社会では、この禁欲主義はそれの正反対の形、すなわち「楽しめ!」という一般化された命令の形をとるということである。われわれはすべてこの命令に呪縛されており、その結果、われわれの楽しみはかつてないほど妨害されている。ナルシシズム的な自己実現と、ジョギングをして健康食品をたべるという禁欲的な規律を合体させているヤッピーを思い出そう。おそらく、ニーチェが「末人(ラストマン)(末期の人間)」という概念を発想したとき、念頭にあったのはそういう人間ではなかろうか。今になってようやく「末人」の輪郭が見えてきた。それは広く流布した快楽主義的禁欲主義という姿をしている。現代の市場には、ありとあらゆる種類の、有害物質を除去した食品が溢れている。カフェイン抜きコーヒー、脂肪のないクリーム、アルコールの入っていないビール、等々。ヴァーチャル・セックスというのは「セックス抜きののセックス」、死者(もちろん味方の)を出さない戦争というコリン・パウエルの主義は「戦争抜きの戦争」、政治を専門家による行政力として解釈し直そうという最近の風潮は「政治抜きの政治」、リベラルな多文化主義というのは、<他者性>を抜き去った<他者>の経験ではなかろうか(魅惑的なダンスを踊り、現実に対してエコロジー的に健康的で全人的(ホリスティック)なアプローチをするという理想化された<他者>のイメージばかりが強調され、妻を殴るといった面は表に出されない)。ヴァーチャル・リアリティは、実質を抜き取られた製品を提供するというこの手続きを明快に単純化している。それは実質を、すなわち抵抗する<現実界>の中核を抜き取られた現実(リアリティ)そのものを提供する。カフェイン抜きのコーヒーが本物ではないにもかかわらず匂いも味も本物と同じであるように、ヴァーチャル・リアリティは現実ではないにもかかわらず現実として体験される。すべてが許される。われわれはなんでも楽しめる。それを危険にするような実質が除去されてさえいれば。

 「私が欲するものから私を守って」というジェニー・ホルツァーの有名な宣言は、ヒステリーの立場の根本的な両義性を実に正確に表現している。このフレーズは標準的な男性優位主義者の智恵への皮肉を込めた言及とも読める。その智恵とは、女は放っておくと自己破壊的な怒りに身を委ねる危険性があるので、好意的な男性の支配によって女自身から守らねばならないということだ。つまり、「私の中にあって、私には抑えることのできない、過剰な自己破壊的欲望から、私を守って」。いっぽう、最もラディカルな読み方をすれば、このフレーズは、今日の父権的な社会において女の欲望は根源的に阻害されているという事実を指している。女は、男が望んでいること、つまり男から欲望されることを欲望する。この場合、「私が欲するものから私を守って」という言葉は次のような内容を意味する。「まさに私が自分の本当に心の奥底から望んでいることを表現しているように見えるとき、その『私が欲すること』はすでに父権的秩序によって私に押しつけられたものだ。父権的秩序は私に、何を欲するべきかを指示するのだ。したがって私の解放の第一条件は、私の阻害された欲望の悪循環を断ち、私の欲望を自立的に公式化することだ」。これとまったく同じ両義性が、1990年代初頭にバルカン半島を眺めていた西側のリベラルの視線の中にも、明らかに見てとることができたのではなかったか。一見したところ、西側の介入は、「私の欲するものから私を守って」、つまり民族浄化や輪姦へと導いた自己破壊的な情熱から私を守って、というバルカン諸国の想像上の呼びかけを、右に挙げた後者のように読んだらどうだろう。この欲望の非整合性をまるごと受け入れること、そして欲望自身の解放を妨害しているのは欲望そのものであることをじゅうぶんに受け入れること、これがラカンの苦い教訓である。

 このことはわれわれを再び<知っていると想定される他者>へと連れ戻す。それはヒステリー患者にとって究極の<他者>であり、彼あるいは彼女のたえざる挑発の標的である。ヒステリー患者が<知っていると想定された他者>に期待するのは、ヒステリー的な行き詰まりを打開してくれる解決方法、すなわち「私は誰か。私は、本当は何を欲しているのか」という問いに対する最終的な回答である。分析家はこの罠にはまってはならない。治療の間、分析家は<知っていると想定された他者>の地位を占めているが、分析家の戦略はその地位を掘り崩し、人の欲望に対する保証は<大文字の他者>の中にはないということを患者に気づかせることである。 


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