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座談会 その2 [座談会]


(続き)

<エディプスコンプレックスについて>

(立木)
 重要なのは、幼児のセクシュアリティと成人のセクシュアリティが別々に動いていて、その切れ目にエディプスがやって来ることではないでしょうか。細やかだと思うのは、早期エディプスとフロイトが論じているエディプスを十川さんは少なくとも機能の面では分けて考えていて、その際、早期エディプスは認知的に働く機能で……

(十川)
 早期エディプスは認知的に働く機能だというのは、というのは違っています。私はエディプスを認知的なものと規範的にものの二つに分けています。ここで言う認知的とは、知的な過程ではなく、むしろ情動的な過程です。そして、この認知的な過程としてのエディプス期は、クラインが理論化した早期エディプスと発達時期においてはきわめて近い。しかしクラインはこの過程をまた規範的な過程として理論化してしまう。そのため、私の言う「認知的エディプス」とクラインの早期エディプスはまったく違ったものになっています。それを一緒にしてしまうと大きな誤解が生じてしまう。

(立木)
 そこは誤解しているつもりはありません。「早期エディプス」という言葉を使われていても、概念の内容までクラインと同じだと思っていません。

(十川)
 先ほどもエディプス概念の混乱について話をしましたが、「エディプス」というのは意味の外延が拡散してしまっている概念で、もう少しその意味を明確にしておく必要があると思います。そうでないと、それを批判するにしても展開するにしてもねいったい何を問題にしているのか、いっこうによく分からないという状態になっています。少し要約しておくと、私はエディプスを機能的に「認知的エディプス」と「規範的エディプス」に分けています。認知的エディプスとは、情動過程、より正確には、不快な情動に耐える能力の獲得過程であり、この過程を経ることによって、自己の基盤としての心的空間が形成される。これに相当するものを精神病理学に見出すなら、ドイツの精神病理学者ヴェルナー・ヤンツァーリクの「顕現抑止(Desaktualisierung)」がそれに近い。ヤンツァーリクは、心的外傷というものを想定し、その場における力動と構造を考えることによって精神疾患全体を考えています。その心的場では、力動--これは「欲動」と言い換えたほうが適切でしょう--の逸脱が適切に制御されなければ、心的機能は効率的には働かない。そのような力動を制御する能力こそ、彼が「顕現抑止」と呼ぶ能力です。また、彼は幼年期と思春期に心的場の変容が生じ、顕現抑止能力が高まると論じているのですが、このプロセスの記述は、私が認知的エディプスと規範的エディプスという概念で理論化したことと一致しています。

(立木)
 規範的なもののほうで強調されているのは、欲動に対する規制ですよね。社会的なもの。

(十川)
 両方というか、すべてに関してでしょうけれどもね。規範はわれわれの欲動のみならず、情動や感覚の領域においても働くと考えた方がいいでしょう。

(立木)
 エディプスについてもう少し質問させていただくと、50頁から51頁のあたりで、去勢の問題とエディプスの問題がくっついてしまっている印象があります。男根への関心が高まってくる。それで男の子はみんながペニスをもっていると想像する。ところが、女性にペニスがないのを発見して、自分もいつかペニスを失うのではないか、という不安を抱くようになる。ここからは去勢の話だと思うのですが、十川さんは問題を父・母・子の三者関係の還元してしまうのはよくないと言われ、もっとあとのほうではファミリアリズムを批判なさっています。そういうレベルで捉えるのではなく、エディプスは欲動の問題として捉えなくてはならない、ということですね。50頁には「エディプス・コンプレクスとはフロイトの議論の中では、本来は、欲動の水準の問題であり、それが情動の問題と置き換わるのは二次的な過程だということである」とありますが、この「情動の問題」というのは要するに父・母・子の三角形の問題だと言えます。「母親への愛着」と「父親への憎しみ」という言葉も使われております。しかし、欲動の問題であって情動の問題ではないとすると、エディプスから父・母・子の三角形の問題が脱落してしまうことにはなりませんか? また逆に、このあたりの議論を読ませていただいていると、去勢までエディプス・コンプレックスの内容に含まれてしまっていいんだろうか、という疑問も湧いてきます。十川さんは、ラカンが与えているような重要性を「去勢」という言葉に与えていらっしゃらないようにお見受けするのですが。

(十川)
 与えていないですね。今、立木さんがおっしゃったことは実に的確です。また、それは実に難しい点なのですが……。

(立木)
 それはどうなんでしょう? ラカンでは、エディプスと去勢は同じ平面に載せられていません。エディプスについては、ラカンは神話だと言ってみたり、セミネールの第17巻(1969-1970)では「フロイトが見た夢だ」とまで言ってしまう。ところが去勢については話は別です。主体が主体となるプロセスと深く関わっているから、去勢については神話だとも、フロイトが見た夢だとも言わない。

(十川)
 今挙げられたのはラカンが、おそらく唯一、フロイトのエディプス理論をはっきりと批判している個所ですよね。ところで、また「去勢」というのもエディプスと同様に混乱した概念です。立木さんが「去勢」と言う場合、それは言語の中に入るという意味での去勢を意味しているのですか?

(立木)
 一方ではそうです。しかしラカンの場合、臨床的には母の去勢のほうが重要だという言い方をしている個所もあります。例えば「ファルスの意味作用」(1958年)がそうですね。母の去勢はむしろ大文字の他者の欠如を翻訳するものだから、主体が象徴界に入るということには還元できません。話を元に戻しますと、50頁から51頁のあたりを読んでいて思うのは、去勢の問題をエディプスと分けようとすると、去勢をどう位置づけるかが判然としなくなってしまう、ということです。去勢はなくてもやれますか?

(十川)
 去勢については、それだけをテーマ的に論じてはいませんが、まったく問題にしていないわけではありません。去勢については、それは欲動の問題から論じるか、無意識の観点から論じるか、あるいは治療論の文脈で取り上げるかで異なった議論ができると思います。いずれにしても、私の基本的な考えは、去勢は単数的なものではなく、複数的なものだということです。たった一つの去勢があるのではなく、複数の去勢がある。これを治療論の文脈に置くならば、治療の終結は去勢の問題系として把握することができます。その場合も、私はたった一つの分析の終結があるとは考えません。そうではなく、複数の異なった終結があるということです。完全な終結というものはない。それにもかかわらず、それはそれで終結なのだということです。

<システムについて>

(原)
 「システム」というタームの選択についてうかがいたいと思います。このタームが与える一定のイメージがあって、それが「自己はあくまで効果として成立する」という印象を作り出している気がしました。精神分析のディスクールの特徴があるとすれば、それまで語られなかったものを語るという性格上、存在しなかったターミノロジーを編み出して事柄について語る、というのが基本的なスタイルだと思うんです。ラカンがそうでしたし、フロイトもそうです。これは「悪魔の弁護人」の戦略だ、と。その言葉が使われた本来の文脈をそのまま引き受けるのではなく、別の文脈に投入して語る、というスタイルです。それを十川さんはシステム論を導入する形でなさっていると思うのですが、「システム」という言葉を導入することにはある種の危険があるのではないか、という気がしました。例えば、フロイトが第二局所論で「自我」という言葉を導入したとき、別の文脈、例えば哲学の文脈でもっていた了解を引きつけてしまった。その結果、フロイトが予期していたのとは別の形で了解されてしまった、ということが起きたかもしれない。同じように、システム論の用語を導入することで、それがもともと使われていた文脈のイメージを引きずってしまうことがないのかな、という気がします。

 そこで私がうかがいたいのは、システムと自己の関係について、複数の回路をもつシステムの動作の結果として自己が登場する、という理解でよいのかどうか、ということです。別の言い方をすると、「自己」は主語になれるのか、という疑問をもったということで、例えばラカン派の分析で「主体」という概念は大きな意味をもって使われ、概念的に彫琢されてきたわけですが、十川さんはそこから一定の距離をとって、自動的なシステムの作動の中で出てくるものと考えているように見える。この点をうかがえれば、と思うのですが。

(十川)
 今の原さんの質問に答えるには、私がどうしてシステム論に関心をもつようになったのかということを少し話しておかなくてはなりません。精神分析の経験を語る上で、最も核心となる事柄の一つに「境界」という問題があります。これは、かつてポール・フェダーン(1871-1950)が「自我境界」と呼んだ、自我の内と外という事柄とも関係しています。この自我境界という概念に限らず、フロイトから現在に至るまで、治療論としての精神分析理論はこの自己の内と外、自己と他者の境界をどのように理論化するか、という問いをめぐって展開してきたと言ってもいいでしょう。例えば、分析関係の中で、患者と分析家の関係が変化していく時に、微視的にみるならば、そこでは必ず両者の境界が変化しています。また、患者の心的変化が起きる時も、そこでは患者の自己のいろいろなレベルの境界の変化が起きている。こういった境界を正確に記述し、操作する方法があれば、それは精神分析の基礎理論になりうる。私はその可能性をシステム論に探ってみたのです。もちろん、システム論といってもさまざまなシステム論があります。私がとりわけ魅力を感じたのは、河本英夫さんが展開していたオートポイエーシスの構想でした。この経緯は他のところでも話したので今日は詳しくは述べませんが、河本さんの『オートポイエーシスの拡張』(青土社、2000年)に最初のインパクトを受け、そのあとは臨床経験をもっぱら参照しつつ理論を組み立てていったのです。

 ところで、このシステム論という方法をとることの危険性についてですが、これは原さんの指摘どおりかもしれません。システム論に依拠したゆえに記述できた事柄はいくつかあると思っています。しかし、システムという概念がもつ文脈や拘束力に引きずられていなかったかというと、やや心許ない。特にはじめのあたりの自己システムの記述に関しては、システム論のロジックに記述がとらわれてしまっています。これはシステム論が陥りがちな落とし穴です。実際のところは書くという作業の中で、徐々にシステムという概念がもつ文脈や拘束力から自由になることができたのです。

 それから自己は主語になりうるか、という質問については、自己(Sich)は自己(Selbst)を生み出すゆえに、主語となりえます。まず自己の作動(Sich)があって、それに遅れて自己の境界(Selbst)が生み出される。ここで重要なのは自己は動きであって構造ではないということです。したがって、自己の作動の結果、事後的に自己が決定されるようなものではない。これが「主体」という概念との決定的な違いです。この最初の自己(Sich)は後者の自己(Selbst)と一致することはなく、後者の自己の境界が決定される時には、最初の自己は別の作動を行っているのです。

(原)
 ご本の最後に自己の境界の形成という話がありますが、伝統的な精神分析では、その境界を極端なところ、例えば「死」のような問題に設定するのが基本的なやり方だったと思うんです。その中で、ラカンはまず言語というシステムをもってきて、それとのかかわりで境界あるいは限界を設定する、ということを理論的な作業として行った。十川さんがこの新しいシステム論を導入した精神分析で試みていらっしゃるのも、そうした境界ないし限界--英語やフランス語ですと、どちらも「リミット」ということになってしまうのですが--への新たなアプローチとして理解できるように思います。

(十川)
 私は「死」といった事柄を境界としては設定していないんですよね。分析治療で問題となるのは死といった問題ではないですから。だから、分析のセッションの現場で問題になるいくつかの境界しか取り上げていないんです。例えば、自己システムの境界、治療システムの境界などです。それらの境界がどのように動き、変わっていくかを記述するのが目標で、それ以外のものは扱っていない。境界というのは複数の要素の関係によって決定されているので、治療の現場で問題になる境界を取り上げるだけでも、すでに膨大な作業になります。それ以上に問題を広げることはできなかったし、そうする必然性をさほど感じなかったのです。

(原)
 その点が十川さんの構想の美点だと私は思っていて、いきなり極限体験みたいなものを参照項としてもってきて、それとの関わりですべてを位置づけるのではない方向を模索されていることはよく分かるんです。分析の中で起きるさまざまな出来事の緻密な記述から出発するというのはよく分かる。しかし、他方でフロイトは死の欲動のような話をするわけですよね?

(立木)
 境界の問題としての死の欲動ということですか?

(原)
 ええ。境界の問題ですが、先ほどの欲望の話にも関係しています。つまり、何がシステムを作動させるのか、といった点は問題にされないということですか?

(十川)
 動きがあれば、そこにシステムが生まれているんですね。

(立木)
 われわれはどうも起源に遡って考えてしまう思考のパターンをもっているようです。それで、自己というシステムはどのように動いているのかを考える時も、起源は何だろう、と思うわけですね。

(十川)
 あえて起源という問いを立てるなら、コミュニケーションから受けた傷、あるいはそのコミュニケーションによって与えられた形のようなものですね。われわれがコミュニケーションの世界に入っていく時に受けた傷のようなものが自己に作動の形を与え、自己も受け身でそれを受け取るだけではなく、自己生成的に形を与え直すのだと言えます。

(立木)
 コミュニケーションの世界に入る時に受けた傷というのは、先ほどの原光景のお話にあったように、まだ他者のシステムとつながっていない、自分のまわりで他者がコミュニケーションしている、その段階ですか?

(十川)
 先ほども話したように、他者のコミュニケーションの外部にいるというのは人間の最初の疎外状況であり、この状況の再賦活は原光景や結合両親像など、精神分析が取り上げる主な幻想を形成する原動力となっています。

(立木)
 そこにつながった時に……

(十川)
 「つながった時」というのは一つの想定です。実際はどうつながったか分からないまま、われわれはコミュニケーションの中に入っている。コミュニケーションというものは、最初から不可避的に外傷的な性質を帯びているとも言えるでしょう。

(立木)
 ラカンは、傷というより欠如について語りました。主体がシニフィアンの次元に入るとき、それとひきかえに失うものがある、と。このことは、実は、われわれはどうして話すのか、という問題と深く結びついています。僕はそのレベルで、このシステムのモーターは何か、原因は何か、と問いたい気がするのですが。

(十川)
 モーターは何か、ということですか? それは--誤解を招く表現かもしれませんが--「生命」と呼ぶしかないものでしょう。しかも、その生命はみずからで完結するものではなく、社会(他者)との関係の中でしかみずからを維持できないものです。言い換えれば、人間という生命体の生存の条件には、コミュニケーションが含まれている。そして、そのコミュニケーションが暴力的な性質を帯びたものであることは先ほど言ったとおりなのですが、それにもかかわらず人間がコミュニケーションに入れるのは--原さんのおっしゃる言語に対する信とは少しニュアンスが異なりますが--世界に対する信があるからです。世界に対する信がなければ、コミュニケーションの世界に入っていけない、あるいはコミュニケーション・システムを形成しない形で言語や情動と関わりをもつしかない。それは生存の一つの病理的なあり方です。

(原)
 「foi(信)」ですね。ただ、それには穏やかな「信じきっている」というあり方と切迫した「信じるしかない」というあり方の二つを区別することができるように思います。先ほど言及した情動と言語の接点では、むしろこの後者のあり方が問題になっていたわけですが。

(立木)
 人間が言語と関係をもつと、それとひきかえに失うものがある。ラカンはそう考えます。そういうレベルのことは、システム論ではどう位置付けたらいいのでしょうか?

(十川)
 欠如とひきかえに成立する自己の構造ということは……基本的に問題にしていないんです(笑)。議論の方向が違いますから。

(立木)
 要りませんか、その次元は? もっともラカンにしても言葉以前の世界といったものを実在的にとらえているわけではありません。そこが問題なのではない。われわれはいかにしても言語の外になど出られないわけだから。しかし、われわれが言語にとらわれている、というこの状態は、ラカンにとって何らかの喪失抜きにはありえない。ラカンが1953年に「物の殺害」と言ったのもそのことです。言語は物を殺す。同様に、言語は人間も殺す。主体が一つのシニフィアンに同一化すれば、他方ではその存在が欠如とならざるをえない、という疎外の理論も、まさに欠如とひきかえに言語の中へ入っていくという思想です。

(十川)
 世界の根源に欠如や喪失を想定し、そこから理論を構築していくという方法論があります。例えばラカンのフロイト読解などはその最たるものだと思います。このような方法を「否定神学的」といって批判する人もありますが、これはこれで私たちの思考を遠くまで導いてくれる力をもっています。一方で、欠如や喪失を最初に想定するのではなく、生成する力やその際に獲得する能力に力点を置いて論理を展開する方法があり、私はこの後者の論と親和性があります。欠如や喪失というのは、見方を変えれば別の側面の過剰や新たな形での獲得ということなので、これは物事の二つの異なった側面ということになります。しかし、ここで重要なのは、欠如を埋める形で獲得がなされているのではない、また喪失の場所に何かが生成しているわけではないということです。そのように考えると、やはり欠如や喪失が起源にあるという考えになってしまいます。おそらく精神分析経験を考える際には、欠如と生成という二つの問題系を視野に入れることが必要なのだと思います。言うまでもないことかもしれませんが、生成という問題系に焦点をあてることは、自分の無力さや現実の悲惨さを見ようとしないということではありません。これはまた違った光の下で現実を深く見据える方法なのです。

(立木)
 僕も、オートポイエーシスの理論に欠如は要らない、というのは分かります。要するに、今も十川さんが言われたように、根源的な欠如のようなものを考える思想の系譜とそうでない系譜がある、ということでしょうか。

(原)
 そして、それが「抑圧概念の機能不全」の裏面なのかもしれない。

(立木)
 ドキッとするご指摘ですね! そう捉えることができたら、あちこちで視界がぐっと開けてきそうです。

 「境界」の概念に戻りますが、精神分析の臨床で境界ということを考えるとき、やはり転移の問題は避けて通れない。転移の境界をどう設定したらいいでしょう? あるいはその外側、例えばアクティング・アウトなどをどう考えたらよいか、ということですが。

(十川)
 アクティング・アウトも転移の中で起きることなので、転移の外部にあるとは言えないでしょう。分析関係が深まると、セッションで起きていることは、微細に見るならば、ほとんどすべて転移現象として捉えることができます。しかし、転移概念をこのように拡大すると、「転移の外部はない」という常套句とあまり変わらなくなる。むしろ、転移という文脈で理解した方がいいコミュニケーションと、そうではないコミュニケーションがある、といったふうにプラグマティックな観点から考えたほうがいいと思いますね。

<死の欲動について>

(立木)
 先ほど原さんから「死の欲動」も境界概念だ、というお話がありました。

(原)
 分析経験の土台というか、そこに達するとある意味で分析がその岩盤に達したと言えるようなものとしてフロイトは死の欲動を考えていたと思うんです。

(十川)
 死の欲動は、フロイトとラカンにおいて最も重要な概念だと思いますね。ラカンはある時期、フロイトのこの概念を生かすためにみずからの理論を構築していったようなところがあります。しかし、死の欲動は臨床の中で生き延びてきた理論ではないんです。それは、むしろテクスト解釈の中で洗練されてきた概念です。『快感原則の彼岸』(1920)は、ラカン派ないしラカンの影響を受けた研究者にとって特権的なテクストになっています。そして、現在もラカン派は『快感原則の彼岸』の読解を行っている。しかし、私はそういう形での概念の洗練の仕方に以前から疑問をもっています。現在の臨床現場から死の欲動を考えるなら、それは外傷性障害や解離といったトピックと直接的に結びついています。フロイト自身も、そもそも死の欲動という概念を、外傷神経症者が反復して見る悪夢をどのように考えればいいか、という問題意識から導き出している。とすれば、死の欲動の問題は、最近研究が進んでいる外傷性記憶、あるいは幼児性記憶システムといった観点からも捉えられるのではないか、というのが私の問題提起です。

 このような論点が、これまで行われた『快原理の彼岸』に関する豊かな読解の成果を十分に汲んだものではないということはよく分かっています。死の欲動という概念が持つ可能性を狭めている、という批判もあるでしょう。しかし、私はこれまでのテクスト主義からは決して出てこないような、臨床的な一つの読解を提示してみたかったのです。

(立木)
 死の欲動の問題に記憶の問題から迫っていくのは正しいやり方なのだろうか、というのが僕の疑問です。これもテクスト主義になってしまいますが、原さんがおっしゃったことも関係していて、『快原理の彼岸』でフロイトが災害神経症の人の夢を扱っているところは、実は死の欲動の議論とは直接つながっていません。災害神経症においてなぜ反復強迫が起きるかというと、大きなショック体験で心的システムが麻痺してしまって、エネルギーが拘束できない状態に陥ってしまうからです。エネルギーが拘束できない状態に陥ると、快原則は働くことはできません。だから災害神経症者の患者さんは夢を通じて、最初のショックで心的システムが麻痺したところをやり直し、何とかシステムの中でエネルギーを拘束できるようにしようとするわけです。そこに思い至った時に、フロイトは初めて「快原則の彼岸」があるんじゃないかと考える。ところが、フロイトの議論はここでいったん切れています。そのあと死の欲動に移っていくとき、フロイトはそれまでとは別の議論を始めている。災害神経症の反復強迫は外から来る刺激に対する反応だけれども、外から来る刺激と同じくらい破壊的な効果を及ぼすかもしれない刺激源が内部にもある、それが欲動だ、というわけです。そこで初めて欲動の話になってくるんです。

(十川)
 マゾヒズムの問題に入っていくわけですね。

(立木)
 『快原理の彼岸』でマゾヒズムがフロイトの念頭にあったかどうかは分かりません。ただ、いずれにせよ、外からくることによる外傷体験があるなら、内から起こってきた刺激でもショック体験が起きるのではないか、というところでいったん仕切り直しになる。だから、記憶の問題から死の欲動を論じるのは違和感があるんです。かといって「じゃあお前はどう捉えるんだ」と言われると……

(十川)
 困ってしまう。フロイトのテクストを精読することは必要ですが、テクスト主義者は、おおむねフロイトのテクストに答えが書かれているという前提に立ってしまっている。しかし、フロイトのテクストの破綻や跛行(はこう)ばかりに思考の可能性を見るのは、それはどうかと思う。フロイトの議論で救いようがないと思われるのは、エネルギー論的な議論です。この考えを現在われわれが引きずる必要はまったくない。

(立木)
 僕もフロイトの欲動論をエネルギー論的に読むのは自体錯誤に近いと思います。しかし、これをどう扱っていいのか、実はいまだによく分かりません。できることなら無視してしまいたい。とはいえ、僕は最近、臨床的なレベルで「ああ、これが死の欲動なのかな」と思ったことがあるんです。ECFが作ったCPCT(2004年創立の「精神分析相談・治療センター」)という施設で研修しているとき、ある精神病のケースが報告されました。患者さんは有名な雑誌で写真を撮っているカメラマンなのですが、この人の作品にはいつも何かしら死を暗示するようなもの、例えば髑髏のイマージュが入っている。まるでオランダ絵画のメメント・モリですね。でも、仕事はうまくいってました。ところがカメラマンとしての自分の成功を評価してもらいたいと思って母親に会いに行ったとき、期待していた言葉とは裏腹に、何かきついことをガツンと言われた。それでこの人は仕事ができなくなってしまうんですね。それだけではありません。仕事ができなくなると、彼は文字どおり死んだようになってしまいました。もちろん生きて生活はしているのだけれど、まるで死体のようになってしまった。その状態でCPCTに来談したわけです。担当した分析家はうまくやりました。適切な介入をして、カメラマンは徐々に元気を取り戻していきます。すると、元気になってから撮った写真に、また死を暗示するオブジェが入っている。そういう写真を彼は分析家にも見せました。どの写真にも髑髏やその類いのオブジェが入ってるんだそうです。

 どうやらこのカメラマンは、作品の中に死を間接的に写し込むことで、言わば死の欲動に対するバリアを張っていたのでしょうね。それが、母親にガツンとやられ、写真が撮れなくなってしまうと、彼自身が直接的に死の欲動にアフェクトされて、まるで死体のように、まるで髑髏のようになってしまったんです。彼のお母さんというのは、めちゃくちゃキッチュな家に住んでいるそうですが、自分だけの享楽、それも他者を圧倒するような享楽をもっている人で、カメラマンはそこからうまく身をもぎ離すことができずにいました。そう考えると、死の欲動とは--ラカンのタームで申し訳ないですけれども--「大文字の他者」の享楽に対して無媒介な関係に置かれた主体が死体化してしまうこと、というか、そのように主体を死体化させる何かなのだという気がします。大文字の他者の享楽に圧倒される主体に作用するある種のモルティフィカシオン(死体化)。死の欲動というのはそういうものでないでしょうか。

(原)
 母親の享楽と直接つながることという立木さんの死の欲動の理解は、十川さんのご本の104頁で紹介されていますね。「死の欲動は母親との直接的な関係(享楽=「もの」)と等価であり」と、ラカン的な死の欲動の定義として提示されています。そのあとで、これは言語によってのみ可能なのかもという点を指摘されている。その話がさらにイメージの話、あるいは象徴の話、象徴化の話とリンクして展開されるのですが、いわゆる言語と象徴の区別を概念的には立てていらっしゃらないように見えます。これはどう理解すればいいんでしょうか?

(十川)
 象徴化作用は言語特有のものではなく、イメージにもあるということです。この点については、すでに1970年代に、実験心理学者のアラン・ペイヴィオが象徴化形式における「二重符号化説」という議論を行っています。イメージにおける象徴化を考える上で重要なのは、そこに情動が関与しているということです。情動がうまく協働することによって、イメージの象徴化機能は十分なものになる。

(立木)
 イメージには情動が関わってくるという点が重要ですね。

(十川)
 そうですね。今、立木さんが挙げられたケースの場合も、イメージによる象徴化が起きています。それによって対象との距離が生まれている。

(原)
 ラカンの理解では、言語、象徴界の中で初めて不在が問題になります。それではイメージのほうに認められる象徴化作用は、どのように考えればいいんでしょう?

(十川)
 一部の自閉症者に、写真的な記憶力(直観像記憶)をもった人がいます。直観像記憶それ自体は、病的現象ではないのですが、映像が目をつぶっても出てくる場合、苦痛を感じることが多いようです。このような人は、対象が常に現前化していて、消えないために苦しんでいる。つまり対象が、自己が操作可能なイメージに変換されていない。進化心理学の領域では、ニコラス・ハンフリーが旧石器時代の洞窟壁画の研究などから、人間は進化の過程で写真的記憶力を喪失する代わりに、イメージや言語などの象徴化機能を獲得した、という大胆な仮説を提示しています。それはともかく、われわれがイメージをもつことには、対象から距離をとり、それを操作するという働きがあります。これがイメージによる象徴化です。母親が目の前にいて、目の前からいなくなったとしても、母親をイメージとして扱うことはできますね。これを言葉によって「母」を象徴するのとは違った形の象徴化ということができます。今、立木さんが話されたケースに関しても、イメージによって対象との距離をとっていたと言うことができるかもしれません。この対象がなんであるかは、もっと症例の細部を見ていかないと分かりませんが、外傷的な対策、自己システムの作動を強く病理形成的に向かわせる対象だと考えられます。こういった対象を、ラカン的なコンテクストでは対象aと等価だと言うことができますが、それをあえて「死の欲動」と言う必要はあるでしょうか? イメージによっても象徴不可能な「死」であることは確かでしょうが……。

(立木)
 いえ、対象と死の欲動は別です。それに、精神病の主体にとって問題になるのは対象というより他者ですね、他者の享楽です。他者の享楽に無媒介的にさらされてしまうとき、ある種のモルティフィカシオン(死体化)が起こる。このカメラマンの場合は、写真の中に死を囲い込むことで、そのモルティフィカシオンから距離をとっていたのだと思います。写真は、だから症状なんです。現実界から主体を守ってくれるものとしての。

(十川)
 この人の場合、それが創造性と結びついているわけでしょう? 自己の精神病的な部分を、写真を撮るという行為によって別様に作動させていた可能性はありますよね。また、そこには何らかの形で母親の関与があったのでしょう。

(立木)
 たぶん、そうなんです。写真という形で創造性を発揮できたことが、この患者さんにとっては大きかった。それがなかったら、彼はまっとうな社会生活を送れていなかったかもしれません。ただ、その創造性が母親の一言であっけなく崩れてしまったとき、本人の存在が死にさらされてしまった。言い換えれば、他者の享楽に圧倒されてしまったとき、主体はそれまで何とか写真の中に封じ込めてきた破壊的なものにダイレクトにとらわれてしまったのだろうと思うんです。

(十川)
 うまく距離が取れていたのが、象徴化機能が効かなくなって、それに直接触れてしまった。分析家はそこでは、言葉によって介入し、言語というもう一つの象徴化の働きを高めるように機能したのでしょう。それによって「死」は二重の象徴化を施されることになる。

(立木)
 そして、そのために分析家は主体が母親から距離をとれるように導いただろうと思います。CPCTでの治療期間は四ヵ月と決められていますから、その短い期間で分析家が最も力を入れなければならなかったのは、おそらくそこでしょう。

<精神分析にとっての理論とは?>

(十川)
 ところで、ラカン派ほどテクスト解釈に熱心な学派は他にありません。この10年の動きはきちんとフォローしてないけれど、私がパリにいた1990年代前半は、ラカン派の研究会では、多くの人がフロイトではなくラカンのテクスト解釈--というより、ラカンを正確に理解するための勉強会でしたが--を行っていました。ミレールの講義などが人気があったのも、ラカンの理論を明快に説明してくれるからです。

(立木)
 その状況は今でも変わっていないんじゃないでしょうか。カルテル(少人数のメンバーによるグループ・ワーク)ではラカンのテクストを読むことが主流でしょう。

(十川)
 ラカン派では、テクストを読むことが臨床研究に劣らず重要な意味をもっている。このことを少し考えてみたいんですよ。確かに、フロイトとラカンは見事なテクストを書いた人です。このようなテクストの書き手は、精神分析の歴史の中では類を見ない。この二人のテクストに比べると、クラインやビオン、ウィニコットなどは、臨床家としての能力は格段に優れていたとしても、彼らの書いたテクストは、どうひいき目に見ても見劣りがしてしまう。哲学や文化批評の領域で、フロイトやラカンは読まれるけれど、その他のテクストがほとんど読まれないのは、このようなテクスト自体の優劣という問題が大きい。

 このテクスト読解と臨床実践の相互関係は難しい問題を孕んでいます。私は「テクストを読むよりも臨床経験が大切だ」といった当たり前のことを言いたいのではありません。その両者の関係をもっと突きつめて考えておく必要があると思うのです。

 もちろん、テクストを読むことは、分析家にとって重要な作業です。多くの批評家がいまだに分析の仕事が終わったあとにフロイトのテクストを読み返しています。このテクストという概念をもっと広く拡大してみるなら、分析家の仕事のかなりの部分がテクスト読解と解釈だと考えることができます。例えば、患者の夢の報告は一つのテクストだし、分析家はセッションのあとに記録を書きますが、それはセッションをテクスト化する行為とも言える。こう言うと、テクストという概念をやや拡大しすぎるかもしれませんが……。もう少し限定して、どの学派でも重要とされるスーパーヴィジョンのあり方を考えてみても、あれは一つのテクスト解釈とも言えるのです。日本だと大部分、症例はテクスト(文章)として、患者を実際に治療した分析家(スーパーヴァイジー)がスーパーヴァイザーに示し、それに対してスーパーヴァイザーがコメントする。その際、スーパーヴァイザーは直接患者に接しているのではなく、基本的にはテクストからコメントを加えます。もちろん、この作業は分析家(スーパーヴァイジー)の実際の分析行為に効果を及ぼすゆえに、現実に繰り広げられている治療との相互作用をもつという点において、分析治療と純粋なテクスト解釈は異なっている。とはいえ、分析家が臨床体験と考えていることのかなりの部分は広義のテクスト解釈と関係している……。

(立木)
 そこはエクリとパロールの違いという問題が入ってくるので、微妙なところでもあります。ラカンは「スーパーヴィジョン」というタームに反対して、なぜ「スーパーオーディション」と言わないのか、と言っている。患者さんやスーパーヴァイジーの話(パロール)を聞くことと、フロイトのものにせよ、ラカンのものにせよ、書かれたテクスト(エクリ)を読むことは、どこまで同じ平面に置いていいことなのか、僕は今すぐにはお答えできません。ただ、ラカン派一般の傾向として、ラカンのテクスト読解に割く時間が大きいことは確かですね。

(十川)
 いろいろな学派の研究会を見渡してみても、ラカン派だけがテクストの読解に莫大なエネルギーを費やしている。しかも、グループを作ってテクストを読む。他の学派では、このような傾向は見られません。症例検討会はグループで行うにせよ、テクストは--例外はあるにせよ--各自が一人で読むでしょう。

(立木)
 ラカンがカルテルでのグループ・ワークを勧めたことの影響のもあるでしょうね。ただ、それとは別に根こういうことは言えると思います。先ほどお話したCPCTでは、ものすごく臨床の会合が多いんです。特に、グループ・スーパーヴィジョンがが多いんですが、あれだけの数をこなそうと思ったら、メンバーのあいだに共通の理論的な参照枠がないと難しいと思う。僕はテクストを絶対視するつもりもないし、いつも言ってますけど、理論というのは臨床によって覆されるためだけに存在していると思っているくらいですから……。

(十川)
 しかし、ラカンの理論は臨床によってほとんど覆されていはない。ラカン自身はそのように理論を壊しながら進んでいったところはありますが、その後の分析家にはその傾向は見られない。やはりラカンの理論は参照枠としてあまりに強く作用しすぎているのではないか。そのために臨床経験の深化が妨げられてしまっているような気がしますね。

(立木)
 確かに、ラカンに続いた人たちは、ラカン本人ほどラカン理論を脱構築してはいないかもしれない。しかし、ラカン派の分析家たちが主に依拠するラカン理論の断面はどんどん変わってきています。先ほど、「普通の精神病」という概念がECFで使われるようになった頃、臨床の中心がセマンティックからプラグマティックに移った、という話をしましたが、プラグマティックな臨床のモデルは何かというと、ボロメオ臨床(1970年代のラカンは、現実界、象徴界、想像界をそれぞれ一つの輪に見立てたボロメオ結びに注目する。「ボロメオ結び」とは、三つ以上の輪を、そのうちのどれが脱落しても全部がばらばらになってしまうように結び合わせるやり方である。ラカンは、精神病を現実界、象徴界、想像界から成るボロメオ結びに間違いが生じたケースと捉え、その間違いを取り繕うように介入する四つ目の輪を「症状」と位置づけるようになる。このような観点に立つ臨床は、症状を「解読すべきもの」と捉える従来の臨床とはおのずと異なる方向性をもつ。この新たな臨床のコンセプトは「ボロメオ臨床」と呼ばれる)です。1980年代、90年代までラカン派にとっての精神病のパラダイムはシュレーバーだった。それが90年代の途中から、がぜんジェイムズ・ジョイスに変わってきた。『サントーム』のセミネール(1975-76年)でラカンの語っているジョイスが本当のジョイスかどうかは別として、とにかくラカンのジョイスをラカン派は重視するようになったわけです。これは大きなパラダイム転換でした。だからラカン派の中でラカンは覆されていないかもしれませんが、ラカンのどの理論と付き合っていくかは大きく変わってきたと思います。

(原)
 ラカン派の教育活動がテクスト解釈に偏重しているというのは、私もパリにいた人間として分かるんですが、それとは別に、理論的な議論が臨床との関わりでもっている価値がある気もするんですね。集団でテクストを読まなくても、一人でテクストを読みこんでいくことはある、とおっしゃいましたが、理論的な議論が臨床を深めるということはないのでしょうか? その場合に理論的な思考がもつ意味はどう位置づけられるのか。分析が展開される時間や空間を新しい形で提示するのが理論の役割で、それをそれぞれの分析家が--ラカンであれば言語という枠組みを使って、ビオンであればアルファ・エレメントやベータ・エレメントという用語を使って--行うわけですが、分析に座標軸を与えるという役割は、やはりあるんではないでしょうか。

(十川)
 症例を検討する場合、そのような用語を使わない方が理解が進みますね。日常語で具体的な考えていくほうが新たな発見があります。概念を用いた場合、起きていることの理解が還元的なものになっていく。そうなると、もはや現実そのものからどんどん遠ざかってしまう……。

(原)
 そうすると、精神分析における理論の役割というのは何なのでしょうか?

(十川)
 理論は精神分析的な知の伝達や洗練のために必要なのです。理論がなければ、精神分析的な知は雑多な経験知以上のものではなく、みずからを論理的に基礎づけることができません。それは今、原さんが言われたとおりです。しかし、一度作られた理論とは、臨床の現場からみれば、脱皮した後の抜け殻程度のものでしかなく、新たな臨床経験においては、ほとんど意味をもたないのです。よくありがちな誤解は、理論を実際の症例を分析するための道具と位置づけてしまうことです。それは臨床経験を単にある理論の枠組みで切り取っているだけのことでしょう。でも、そういった還元的な理解の方法が、一般に流通している精神分析のイメージなんですね。分析家は理論とそのようなプラグマティックな関係をもってはいません。もし分析家がセッションの中で何かの理論に依拠してしまっている時は、だいたい分析が行きづまって、うまくいっていない時です。その経験の中に入り込み、経験を理解できなくなってしまうと、理論に頼ってしまうのです。

(立木)
 おそらく十川さんがおっしゃっているのは、ラカン派はリジッドに(硬直的に)理論を参照しすぎるきらいがある、ということですよね?

(十川)
 そのリジッドさが強みでもあり、弱点にもなっているんだけどね。

(立木)
 そういう可能性はなきにしもあらずだと思います、確かに。

III 実践篇

<「事後性」について>

(立木)
 十川さんは「前エディブス」の概念を問題になさっている138頁から139頁で、それは「エディプス概念から見て、「事後性」という(時間の)論理によって発見される段階でもない」とおっしゃっています。ここで「事後的」という言葉が使われているのは単に、エディプス段階から事後的に前エディプスを発見することに対する批判だけでなく、「事後性」という概念そのものに対する批判の意味もあると思うのですが、いかがでしょうか? これは時間論に関わってくる問題ですね。

(十川)
 そうですね。精神分析の理論は基本的に空間論として構想されることが多い。私のシステムや境界という構想も空間的な発想に基づいています。それゆえ、精神分析理論では時間に関する考察はきわめて乏しい。しかし、臨床の現場において、時間の問題というのは重要な位置を占めています。患者が今まで生きてきた歴史というのは時間経験です。そして、セッションの中での時間の流れも、患者が今まで経験してきた歴史の形と何らかの形で結びついていて、人それぞれ、またセッションによって、その流れは異なっています。これまでの精神分析理論の中で最も説得力のある時間論は「事後性」という考え方です。精神分析の時間論は事後性に尽きる、と言ってもいいくらいでしょう。1990年代に、分析家のアーノルド・モデルは脳科学者のジェラルド・モーリス・エーデルマンの考えに依拠しつつ精神分析の時間論を提示しましたが、そこでの中心的なアイデアも事後性という発想に基づいています。しかし、この事後性という考えとは異なる見方もあるのではないかということを、最近、私は考えるようになっています。例えば、前エディプス期は、事後性のロジックからいうと、もうないものですよね? そのものとしてはない。それはエディプス期になって、あとから意味が与えられる……。

(立木)
 「ポワン・ド・キャピトン(クッションの綴じ目)」ですね。

(十川)
 ポワン・ド・キャピトンになってしまうわけですが、今回の本では「前エディプス期はシステムとして顕在化する」という表現を使っています。「事後的に」ではなく……。前エディプス期のコミュニケーションは、エディプス期のコミュニケーションに形を与えています。と同時に、エディプス期のコミュニケーションも前エディプス期のコミュニケーションに形を与えている。それらが接続したときに前エディプス的なものが顕在化するという考えです。

(立木)
 つまり、併存というところから出発する。過ぎ去ったものではなくて。

(十川)
 そうですね。過ぎ去ったものではないですね。想起するというよりも、併存していたシステムが偶然につながってしまうということです。

(原)
 誤作動というか、誤って接続するというイメージは、『ヒステリー研究』の最後で転移の話が出てくるときにフロイトがよく似た表現で述べています。そのかぎりでは、フロイト的な--というと十川さんは嫌がるかもしれませんが--概念装置と言いますか、表現だな、という気がしました。ただ、併存というのはどうなんだろう。そのイメージはあまりうまく湧かない。例えば、二通りの作動の形式が同時に存在する、とイメージすればいいんですか?

(十川)
 イメージとしてはそうですね。私は人間のセクシュアリティのシステムは、いかなる個人においても、幼児のセクシュアルティと成人のセクシュアリティが同時に作動していると考えています。このセクシュアリティのシステムについての理論は妥当性が高いものだと私は確信していますが、この理論のロジックを時間論として展開したものが今の考えです。つまり、時間に関しても、前エディプス期とエディブス期の時間が同時に作動していて、前エディプス期の時間はある出来事とともに賦活される。

(立木)
 要するに、直線の時間軸上に並べるのではなくて、ある時に前エディプス的なものが始まって、それが流れて、途中からエディプスが流れてくる。。並行関係というか、直線上に並べるのではなくて、時間軸そのものが増えてくるイメージですね。

(十川)
 事後性というと、基本的に「今」が優位で、現在主義でしょう? そうではなく、かといって過去主義でもなく、そのどちらでもない立場というか……。

(立木)
 なるほど。現在主義ではなく、過去主義でもない。もちろん精神分析でラカンが事後性を重要なものとして取り出したことの必然性はあります。結果から見て判断しないといけないことは山ほどあって、それで初めていろいろなことの意味が分かってくるという面がある。何かやりたいと言っていても、そう言っているだけでは欲望があることにはならない。そのやりたいことが実現して初めて、そういう欲望をもっていたということが分かるわけですね。少なくともラカンの言う「欲望」はそういうものです。だからこそ、パス(ラカンが提唱した「学派分析家」の認定の仕組み。学派分析家とは、そのときどきの精神分析の枢要な問題についてみずからの経験から証言できる分析家のことであり、一つの精神分析を終えて「分析家の欲望」を担うに至ったことを学派全体から認められた分析家だけがそう名乗ることが許される)にしても、一つの精神分析を終えて分析家の欲望を担うに至ったかどうかを、あとから振り返って見極めるという作業になる。こうした考え方は、精神分析の中で何かを捉えようとする時に重要だし、ある種の必然性をもつとは思うんですが……。

(十川)
 空想レベルではなく、実現が前提になっているということですね。

(立木)
 そう、ファンタジーではだめだということで、事後性はそのことをはっきりさせる上で必然性をもつのだと思うんです。でも、十川さんはそれとは別の必然性を考えておられるのでしょうか?

(十川)
 時間論に関しては、例えばクライン派だったら、妄想分裂ポジションの状態には時間はなく、抑鬱ポジションになって時間が生成していく、という考え方がありますよね。ここにも二つの時間が想定されています。二つといっても、一方は時間以前の時間ですが……。

(立木)
 時間が流れ出すのは抑鬱ポジションに移行できたとき、つまり自分が破壊したので対象が失われてしまったという認識がもてる時ですね。

(十川)
 そうですね。悲しみの時間、生の意味を深く味わっている時間ですね。これは事後性の論理によってではなく、ポジションの変化によって時間が生まれるという考えで、妥当性はあると思います。先ほどの議論の前エディプス期を妄想分裂ポジションと、エディプス期を抑鬱ポジションと置き換えるなら、私の考えとこのようなクライン派の時間論は--「システム」という言葉を使うかどうかを別にすれば--対応関係があります。

(立木)
 その時間は象徴化と重なってきますね。

(十川)
 象徴化された時間とも言えますね。ところが、トラウマや狂気のさなかに時間はない。

(原)
 決定的に過ぎ去ったものがあって初めて成立する時間ということですよね。しかし、意味が未決定なまま残されているシニフィアンがある状態は、ある意味先取りでもあるわけです。先ほどおっしゃった話と関係してくるのですが、ラカンが指摘した先取りの時間性のようなものを事後性との関わりで論ずる余地はないのかどうか。

(立木)
 ポワン・ド・キャピトンは、いちおうその両方をインテグレート(統合)した図式になっています。主体がシニフィアンをつないでいく間、意味は先取りされているにすぎない。一つのパトロールに区切りが打たれて初めて、そこから事後的に意味が確定する、という図式ですね。ただ、「論理的時間」における「先取り」は確実性の先取り、ということはつまり、そこでは真理のことが問題になっていた。それに対して、ポワン・ド・キャピトンは基本的に真理の問題ではなく意味の問題です。僕は「大文字の他者の欠如」が概念化される1950年代末を境に、真理についてのラカンの考えはやはり大きく変わっていったと思うのですが、それ以降ラカンが真理について述べていること、例えば「真理は半分しか言われない」といったようなテーゼにも先取りと事後性という図式をあてはめてよいのかどうか、ちゃんと考えてみないといけないという気はしています。

<自己の変容について>

(立木)
 ところで、自己の変容というのは、システムの事後的な変容であり、コミュニケーションを介して、コモュニケーションによってもたらされる変容ですが、それは自己の可塑性という問題とも結びついて、とても重要だと思います。ただ、自己の変容の例として十川さんが実際に提示されているパラダイムはジャン・ジュネとピエール・ルジャンドルですねるここのところについては、もう少し精神分析のコンテクストに即してイメージをもちたいと思う人も多いのではないでしょうか。

(十川)
 精神分析固有の変容ということですか?

(立木)
 精神分析の中で起こる変容ですね。十川さんはご本の中で精神分析的なコミュニケーションを一つの特異なコミュニケーションとして強調していらっしゃいます。ですから、それに対応して、どういう自己変容を考えることができるのか、ということなのですが。

(十川)
 精神分析があるプロセスを経て終結に至ったとき、「自分は変わったな」と感じるものです。この変わったという程度は人によってさまざまで、劇的な形で生じる場合もありますし、きわめて地味な形で以前とは違った生き方をする人もいます。大部分の分析では、後者の方でしょう。これはまったく人それぞれとしか言いようがありません。では、その変容をどのようなものと考えることができるかといえば、それに関しては理論的な語り口と経験的な語り口の二つがあると思います。理論的な語り口としては、立木さんもご著書で書かれていましたが、「現実的なものとの関係の一部が変化することで自分のあり方が変わる」といった言い方や、私の言葉だと「自己の経験の回路が更新されることで自分のあり方が変わる」といった言い方で変容を表現することができます。経験的な語り口としては、分析経験を小説なり、エッセイなり、何らかの形で出版している人たちがいます。あるフランスのエッセイストは、「私は分析が終わったとき、もはや母を憎まなくなった」と書いています。そのようなことは大したことではないじゃないか、と思う人がいるかもしれませんが、これも変化です。それから、エドワード・サイードは、「私は精神分析のセッションの途中で一種のエピファニー(物事の本質が露呈する瞬間)を経験した」と書いています。こういった記録は、いくぶん自己劇化して書かれる傾向はありますが、精神分析経験における変容を鮮やかに表現しています。

 ところで、今の立木さんの質問で大切なのは「精神分析固有の」という点ですよね。今挙げたような経験ならば、例えば生きる中で大変な苦労をして、そこから教訓を得たといったことや、年齢を重ねることによって物事がよく見えるようになったということと変わりがないように思えますよね。精神分析経験の固有性は、それが自己の病理的な作動--主体と現実界と言い換えてもいいですが--に向けられたものだということです。生きている中で経験する事柄は、そのような病理的な作動を変えるように作用するものではありません。別離や悲しみ、困難な経験などは、その人の病理を改善するどころか、いっそうそれを悲惨な形にすることが多い。一般に人が意図的に変化をもたらそうとする行為--旅やライフ・スタイルの変更といえばやや通俗的ですが、これらは基本的に快に向けられたものです--が自己の病理的な作動をいっそう病理的にする場合だってあります。精神分析は自己のそういう部分を治療システムにおいて取り上げ、変化させていくわけです。この病理的な部分の作動が病理的な作動をいっそう病理的にする場合だってあります。精神分析は自己のそういう部分を治療システムにおいて取り上げ、変化させていくわけです。その病理的な部分の作動が病理解除的に働くことが、精神分析固有の自己の変容を示しています。分析をして最も痛切に感じるのは、人がいかに変化しないかということであるという分析家がいます。私もそう言いたくなる気持ちはよく分かります。しかし、そういう分析家も、それにもかかわらず分析治療を行っているということは、やはり変化が起きることを知っているからだと思います。どんな理論的立場をとっても、精神分析が最終的に目指すものは何らかの変化です。もしそういうことがないならば、精神分析する意味がなくなってしまう。

(立木)
 いずれにせよ、自己変容は自己のシステムの変容ですが、それが精神分析を通じて起こってくるというのは、要するに精神分析という一つのコミュニケーション・システムを通して起こってくる変容だということですね。

(十川)
 そうですね。

(立木)
 そのところはラカン派でももう少し強調されていいのではないか、という気がします。ラカンがはっきりそう言っているのかどうか知りませんが、ラカン派の場合は何が変化するかというと、享楽のモードですよね。ある症状から出発して、その症状を支えている享楽モードを……

(十川)
 それはかなり後期のラカンですよね。前期にそのような考え方はなかった。

(立木)
 確かに、これは「剰余享楽」ということが出てきて以降、つまり「四つのディスクール」以降のラカン理論のパラダイムに即した考え方だと思います。僕が言いたいのは、ある症状を支えている享楽のモードに移ろうという変化、それはレエル(現実的)な変化であるべきですが、精神分析が目指すのは結局のところそれだということです。しかし、精神分析はそこにニュートラルな装置として介在するわけではない。そうではなくて、実は精神分析そのものが一つの享楽モードなんです。つまり、そこで享楽するプロセスが必要なんですね。精神分析が進展するためには、主体が精神分析の中での享楽すること、ごく平たく言えば、精神分析を楽しいと思えることがどうしても必要です。その精神分析の中での享楽を経由して、最終的にそれとは別のモードに移っていける人はそうすればいいし、精神分析の享楽モードが楽しくてやめられない人はそのまま分析家になればいい。ただし、その享楽モードを支える欲望を見つけないといけない。ラカンが「分析家の欲望」と呼んでいるのは、おそらくそれです。そういうふうに考えると、精神分析的なコミュニケーションというのも、ある種のジュイサンスに支えられているんじゃないでしょうか。

(原)
 そういった形で分析的な仕事を規定したとき、やはり他の形で行われる自己変容との境目が分かりにくくなってきてしまう、という気がします。どこで終わりにするのか、という問題と関わってくると思いますが。十川さんのご本では、そのあたりについてはっきりと、治療ないし治癒を目標にして始まるのが精神分析的な自己変容だと述べられていたところがあって……

(十川)
 「治癒」とは言っていないでしょう。医学的に言う場合はあるけれども。

(立木)
 でも、「治療的に」というところがありましたね。

(原)
 そう思ったんですが。

(十川)
 「治療的に」と「治癒」はまったく違うことですよ。「治癒」を目指した治療を行うことは、医学であっても精神分析ではないと思います。「治癒というのは望ましき副作用である」というラカンの言葉は、奇抜な発想ではなく、現在のほとんどすべての学派に共有されている考えだと思います。

(原)
 ちょっと迂闊な言葉の使い方をしてしまいました(笑)。ただ「治療の方向性」という言い方はあったと思うのですが。

(十川)
 方向性は確かにあります。

(原)
 その方向性ですよね。治療の結果としての治癒が現実に起こるか起こらないかは別として、それが目標として設定されているのが、ある意味で分析的な自己変容の特徴ということになるのかな、と思ったんです。

(立木)
 症状との付き合い方が変わるということでしょう。苦しい中でも享楽しているから、そこから自由になれない。いつも同じようなことが起こって、いつまでも離れられない。そういう享楽モードから、分析が楽しい、分析で自分のことを話すのがなんだか楽しくてやめられないという段階を経て、別の享楽モードに移っていくのだと思います。分析というのは、そのプロセスの中にジュイサンスがないとだめなんです。

(十川)
 それは純粋精神分析の場合であって、応用精神分析の場合はないことが多い……。

(立木)
 確かに。すいません、今僕は完全に純粋精神分析のことしか考えていませんでした。応用精神分析、つまり医学的・精神療法的制度の中での精神分析的実践の場合には、やはり症状の改善が一番大きな目標になってきます。ラカンは、それは精神分析にとってある種の「制限」だと考えていた。だから、そういう実践を「応用精神分析」と呼んだわけですね。

<信について>

(立木)
 原さんが言われた言語における「foi(信)」に関連して、十川さんの理論では情動の回路の働き方に信頼と不信とがありましたが、原さんのお考えでは言葉の中にあるのでしょうか?

(原)
 そう思います。立木さんのご本の最初に書かれていた、言葉というシステムはかくも不完全なものなのに、どうしてわれわれは語るのかという問題がある。他者に対する信がないと語ることはありえない。それはそもそも分析関係が成立するために必要な条件だと思いますし、そういった形で言語行為に内在する信があるとすれば、例えばデリダは『友愛のポリティクス』(鵜飼哲・大西雄一郎・松葉祥一訳、みすず書房、2003年)の中で、あらゆる言語に内在する「おお、友よ」という呼びかけがある、と言っていますが、それがそうした次元に対応しているんだと思います。そうした他者の次元の問題は、フロイトではそれほど前面に出てきていないけれども、ラカンでははっきりと前面に出てくる。十川さんの構想では、それが消えてしまっている気がしたんですね。システムの作動というターミノロジーとの関係もあると思います。言語を語ることに内在する信を受けとめるような他者の次元は、十川さんの構想の中では、最終的にどこに位置づけられるのでしょうか?

(十川)
 私の構想には、ラカンが言うような「大文字の他者」というものはありません。とはいえ、他者論が無いわけではありません。自己システムはそれ自体で完結せず、社会システムを媒介することによって初めて自己自身を形成するわけで、この場合、社会システムは自己システムにとって他者の次元を形成しています。治療関係では、分析家とのコミュニケーションこそが患者にとっての他者です。このような他者というものを考える場合、他者は前もって存在しているものではない。他者は生成していくものです。おそらく、ラカンの他者論には、他者が生まれてくるという議論はないと思うんです。他者をあらかじめ存在するものとしてではなく、生成するものとしてのみ捉えてみてもいいのではないでしょうか。

(原)
 もしラカンでそういう契機を位置づけられるとすれば、イマジネール(想像的)なファルスを導入するところだと思うんです。つまり、何かを欲望する他者が存在することを先取り的に断言する、という契機です。自分と同じように存在する他者がいて欲望をもっている、このことを事実として確認するのではなく、むしろそれ自体望ましい事態として要請しながら、その他者との関係を調整していくというシナリオが、例えばセミネールの第四巻(1956-57年)の理論には内在しているように思います。結局、イマジネールなファルスという想定自体、さまざまな形で手直しされざるをえなくなりますが、そこで他者の生成という契機を考えられるのではないか。

(十川)
 なるほど、確かにその方向を突きつめるなら、他者の生成という問題が内在していると言えるかもしれない。

(原)
 最終的にエディプスの議論をして、父の死が問題になった時に改めてそれが問題になるという、大きな回帰の図式のようなものをラカンのエディプス論はもっているのではないか、という気がしているんです。

(立木)
 欲望する他者の生成ですね。

(原)
 ええ。それが言語の中で考えうる「foi」で、「信仰」とは違った意味での「foi」です。モーリス・メルロ=ポンティが『見えるものと見えないもの』(1964)のなかで、「foi perceptive(知覚的な信)」という言い方をしていて、目の前に見えるものがそこにあると思ってしまう、抜き難い傾向がわれわれにあると言っていますが、同じように、欲望する他者が目の前に、われわれとは独立した存在としてあると考えてしまう抜き難い傾向があるとするならば、それを「foi perceptive」に倣って「foi linguistique(言語的な心)」と言ってもいいのではないか。メルロ=ポンティはこの「foi perceptive」の中に、物だけではなく、人間の存在を信じてしまう傾向をも含めて考えるのですが、いずれにしてもこのレベルで生成を考える可能性があるのではないか、ということなんです。

(立木)
 一方で、ラカンの中に「foi」の議論が出てくるのは、やはり真理との関係においてだということも思い出しておきたい点です。大文字の他者が真理の保証者として現れるとき、「bonne foi」(正しいと思うことを真理として告げることができること)は守られます。しかし、それは大文字の他者の第一段階でしかない。ラカンにおいて、この大文字の他者はいわば二重化されます。つまり、「メタ言語はない」という事実によって、真理の保証者としての大文字の他者は「欠如をもつ他者」へと転落してしまうんですね。そうすると、今度はその大文字の他者について、ラカンは「sans foi de la ve'rite'」という言い方をします。つまり、真実(へ)の信がない状態です。信を保証してくれる他者から、保証してくれない他者へ--これはラカンにおいて「A」に斜線が引かれることによって表わされるわけですが、この大文字の他者の二重性はもっと強調されてよいと思います。

<日本の精神分析>

(立木)
 最後に「今、精神分析とは何か」という大きな問いについて考えてみたいと思います。

(十川)
 やはり、この問いがラカン派の臨床の中心に位置する問題になりますね。ラカンは「精神分析とは一人の分析家から期待される治療である」と『エクリ』に書いてありますが、とすると、そこから分析家とはどのような存在か、そして患者は分析家に何を期待するのか、という問題が派生してくる。

(立木)
 そうですね。そもそも「精神分析家」とは何かといのが、とりわけラカン派において、実はいちばんの大問題です。ラカン派の基本は、昔も今も、新たなる精神分析家を誕生させたプロセスが精神分析である、という考え方です。しかし、それでは精神分析家とは何なのかというと、それは一つの精神分析を終わりまで推し進め、分析主体から分析家への「通り抜け」を果たした人だ、ということになる。一見すると堂々めぐりです。パスが必要なのはそのためです。つまり、自分は一つの分析を終えて分析家になったと思う人の証言を聞きとり、この証言が真正なものであるのか、学派全体で共有できるものであるかどうかを判定しなくてはならない。それが真正なものだと認められたとき新たな精神分析家と新たな精神分析が同時に誕生します。これがパスの仕組みです。先ほど、フランスでは分析家の再生産ばかりやっているとポンタリスが批判している、というお話が出ました。一部は当たっている指摘だと思いますが、分析家がちゃんと生み出されないと精神分析はまわっていかないという面があることも事実です。フロイトが最初に日本人に言ったのもそれです。日本で分析家を作りなさい、と。僕は同じことをピエール・ブリュノにも言われたことがあるし、僕の分析家にも言われています。もちろん治療という側面は、いかなる精神分析にとっても社会的に存在する条件だと思いますが、分析家が生産されることもおろそかにできません。

(十川)
 いろいろな条件から、日本ではわずかしかなされていないことですけどね。

(立木)
 十川さんはいかがですか。

(十川)
 もちろん僕は教育分析も引き受けるし、それによって分析家になる人が出てくることも歓迎はしますが、ことさら分析家を再生産したいという欲望はないですね。それよりも、実際の臨床において起きていることをもっと厳密に理解し、それに対していかに多様な治療的介入ができるのか、またある局面において、どういう働きかけが患者の心的なあり方を変えるか、といった具体的な問題のほうに関心があります。結局、そういった具体的な問題を考えることによってでしか、理論の更新はありえないでしょうから。ところで、結局、分析家が再生産の欲望によって組織を作る場合、多くの場合は、最初に述べたように「教団」になっていくんですね。精神分析はマイナーな言説でしかないのに、それをメジャーな言説にしょうと思うと、たいていは奇妙なことになる。それでも精神分析は滅びることはないと思うんですよね。わずかでも精神分析的な知や真理に対して情熱を抱き、それとともに生きていく人はどのような時代や社会にも一定数はいるものです。

(立木)
 再生産の欲望は最初からあるというのでなくてもいいのかもしれません。僕もフランスのようになればいいと思っているわけではないし、そもそもそんな必要があるのかどうかすら分かりません。ただ、精神分析という営みはやはり分析家によって支えられているものなので、時々は日本でも分析家が生産されてほしい。あらかじめ目的論的に分析家を育てるように設定しなくても、一つの精神分析の結果として分析家が誕生するという営みが細々とでも続いていけば、さしあたりはいいんじゃないでしょうか。

(原)
 一方でビオンの議論に戻ると、教団みたいなものの必然性を強調するわけですよね?

(十川)
 いや、ビオンはそうは言っていないでしょう。

(原)
 ええ、確かに自分の利益や患者の利益を超えた分析集団に対する、「忠誠」という言い方まではしなかったと思うんですが、とにかく分析集団とその作業を優先的に考えるのが大事なんだ、と言ってしたところがあったと思います。分析に内在的な次元としてグループを作らなくてはいけない、グループが必要なんだと。

(十川)
 孤立してはいけない、ということですよね。常に他者に開かれていなければいけないし、自分一人でものを考えていると、独断的になるか行きづまるかなので、自分が思考の自由を保つためにも、逆にグループと関係をもつことは必要です。しかし、それは「教団」とは別のことです。

(原)
 その集団は、まずは分析家の集団であるということですね。

(十川)
 そうじゃないと意味がないと思います。経験を共有できる人と関係をもっておくことですね。

(立木)
 ただ、集団を作ってしまうと集団にも症状が出てきてしまうことがよくある。

(原)
 ハインツ・コフート(1913-81年)も『自己の治癒』(本城修次・笠原嘉監訳、みすず書房、1995年)の訓練分析に関する部分で指摘してしますよね。

(立木)
 だから、おそらく十川さんのお話は集団の問題とも関係していて、グループを作る必要はあるけれども、グループ全体やそれに参加する個人の可塑性を奪うようなものはいかん、ということですよね。

(十川)
 私が今回の本の最後で、ジャン・ジュネの政治行動を媒介にした共同体について考えてみたのは、そこに当然、分析家の組織のことも意識してのことです。同一性やアイデンティティと無関係なものだけで結ばれているような共同体、それはラカンが学派を考える上で構想した共同体ですが、そういうものが実際可能であれば、その中で精神分析の経験が共有され、また検証される。これはいわゆる共同体ではない共同体であって、集団としての症状なき共同体とも言えます。フロイトの共同体論--これは精神分析運動論でもあるのですが--は基本的に父の死によって結ばれている共同体です。そこにはサクリフィス(生贄)があり、サクリフィスとの関係が個人と共同体を結びつけている。しかし、ジュネを通して考えてみたかったのは、各人が自分の無意識との関係で他者と関係をもちうるような共同体は可能だろうか、ということでした。これは単に精神分析の組織の問題だけではなく、一般に共同体というものを考える際に重要なポイントとなると思います。

(立木)
 共同体の問題は本当に難しくて、いつも頭を痛めるところですね。

(十川)
 それから、日本であまり流行らないのは、やはり料金が高いというのがありますよね。分析をするのは、料金が高いし、時間がかかるし、労力もすごく要る。ラカン派はそういった敷居を下げた。ラカン派があれだけ分析家を生み出したのは、やはり安いんですよね。時間は短い代わりに--当然、その功罪は問われるべきですが--安かった。立木さんの頃は高かったかもしれませんが、私の時は比較的安かった。一セッション4000円から5000円くらいでしたね。

(立木)
 そうですか。いいなあ、それは(笑)

(十川)
 学生でもできるわけです。分析家のところへ電話をしたら「明日いらっしゃい」という感じで、とてもオープンなんです。

(立木)
 そうそう。

(十川)
 あれが魅力的なところで、他の学派だと例えば、予備面接に半年かかって、始めるのが一年後といったように、敷居が高い。ところが、ラカン派の場合、電話したら翌日からもうセッションが始まっていることがある。

(立木)
 もちろん、最初は予備面接をしますけれども。

(十川)
 もちろんやるけれども、予備面接で徹底的に患者をセレクトし、厄介な人をふるい落とそうという感じはない。そういう自在さ、寛容さは魅力だと思いますね。それが、あれだけの分析家を生み出した原動力にもなっていると思うんです。

(立木)
 そういうことの見本を、自分の分析家の待合室で見たことがあります。待合室に来ていた男性が実は分析家で、彼の電話が鳴って話しているのを聞いていると、新しい患者さんのアポをその場で作っていました(笑)。彼は分析家なんだけど、自分の分析を続けている。その彼のところへまた新しい分析主体がやって来るんです。

(原)
 そういうカジュアルさは、理論から入っていく日本の分析のイメージからは想像しにくいかもしれませんね。

(立木)
 そうですね。フランスで若い人が精神分析に興味をもつと、ままず分析家のところに行くでしょう? ラカンを読むよりも先に。日本の精神分析は特殊で、IPA(国際精神分析協会)の資格をとってきた日本人はすでに1930年にいたわけです。矢部八重吉(1874-1945年)という鉄道省の人ですが、国費留学でイギリスに行って、エドワード・グローヴァーの分析を二ヵ月受けて、どうもアーネスト・ジョーンズに気に入られたらしく、IPAの資格をもって日本に帰ってきて「日本精神分析協会」というのを始めた。そのあと、東北帝国大学の丸井清奏(1886-1953年)--古澤平作(1897-1968)のボスです--が嫉妬して駄々こねて、自分もIPAの組織をやると言いだしたので、日本の組織は二つになりました。戦争中はいずれも休眠状態になりましたが、戦後になると矢部の組織は完全に消滅し、仙台にあった丸井の組織を古澤さんが東京にもってきて再開したのが1955年だったと思います。そのとき、改めて「日本精神分析協会」が始まったわけです。ところが、古澤さんは同時に「日本精神分析学会」というのを作って、それ以降はなぜかこの「学会」のほうが日本で精神分析を代表する組織になってしまった。そして、それが1990年代まで続いていたわけです。古澤さんはウィーンでリヒャルト・シュテルバに分析を受けたあと、東北帝国大学の助教授の職をなげうって精神分析家として開業した人ですね。1934年のことです。そこまでは偉かった。それなのに、戦後、彼は自分のまわりに大学人を集めて、分析家の養成ではなく、分析理論の普及を優先させるようになった。だから、分析家の再生産は1990年代まで日本のIPA組織ではやっていなかったんです。こんな例はヨーロッパにはありません。古澤さんはIPAの基準を無視して、最初から週に一度の面接で、寝椅子も使わなかったらしい。当然、それではだめだという声がどこかからあがってもおかしくなかったのに、日本の分析はずっとそれでやってきたところがあって、こういう事情が日本における精神分析の距離の遠さを決定づけていると思います。実践としての精神分析はなんだか遠いものだなという……。

(原)
 ただ、実践が身近になる環境は少しずつ準備されているようにも思います。「鬱は心の風邪」ではありませんが、心の病を感じて専門家に会いに行くことが社会的に後押しされている状況がありますよね。もちろん分析家のところに来るとは限らないわけですけれども。

(立木)
 それは多くの場合、薬をもらいに行くことと一緒にされていないですか? 今の鬱をめぐる状況は、薬屋に支配されている感じが強くします。けれども、一方では鬱を治療するには薬だけではなく心理療法も同時にやったほうが効果的だというデータもあるようです。実際、鬱状態になって、病院へ薬をもらいに行くだけでなく、分析家のところへ、例えば十川さんのところへ話を聞いてもらいに行く人もいるでしょう。そういう人たちが分析家のもとでいかに自分の無意識と出会うのか、というところに期待したいですね。

<分析家のスタイル>

(立木)
 自分のスタイルを構築して初めて分析家だと僕は思っています。だから、分析家固有のスタイルとは何かを考えていかなければならない。そこでは分析家自身の無意識の問題が大きくて、分析家の仕事の多くの部分は無意識ですよね。もちろん、解釈をするときには意識のレベルで話をしますが、解釈を始めた時点で多くのことがすでに無意識のうちで決定されている。だから、分析家がスタイルを獲得するということには、自分の無意識をどれだけあてにできるかということが含まれている気がするんです。極端なことを言うと、ラカンの「分析家は自分自身にのみ拠って立つ」というのは、分析家は自分の無意識に恃む(たのむ)、という意味じゃないかと思ったりもしますが、いかがでしょう?

(十川)
 無意識というか、自分のパーソナリティや気質、自分が生きて経験したことなども含めて、自分で自分のやり方を見つけるしかないですよね。人のやり方を真似することは必要なくて、自分が最もいいと思うスタイルでやっていけばいい。ラカンが短時間セッション(時間変動セッション)をしたのは、ラカンの気質や彼自身が自分の無意識との関係で作り上げていったもので、誰もがそのような方法をとる必要はまったくないと思うんですよね。

(立木)
 僕もそう思います。短時間セッションだからラカン派だ、ということでもない。

(十川)
 しかし、ラカン派の分析家はやたら短時間セッションにこだわりをもつ。短時間セッションは始まった頃は、セッションに独特のテンションとダイナミズムを持ち込むことに成功したのでしょう。しかし、その後のラカン派が行った短時間セッションが、そのような力をもちえていたかは疑わしいと思います。むしろ、分析の力点をセッションの区切りに置くことによって、治療をステレオタイプ化したのではないでしょうか。ラカン派の分析家たちは、自分がはたして治療状況を的確に見据えた解釈を行えているかどうか、またどうすれば分析治療本来のダイナミズムを再び取り戻すことができるか、全面的に見直ししてみるべきです。もっとも、このことはあらゆる学派の治療スタイルにも言えることです。どの学派もその学派なりのステレオタイプな思考パターンを持っています。その点に対する批判的な視点を失ってはならない。

(立木)
 僕は十川さんのご本全体を通じてナルシシズム批判があると思うんですよ。

(十川)
 病者においても、いわゆる健康者においても、ナルシシズムは自己が創造的に生き始めるために最終的に克服する課題となるものと言えるでしょう。

(立木)
 別の言葉で言うと、自己の可塑性を高めることだと思います。だから、十川さんはニーチェを引いて、分析の一つの目標は成熟に向かうことだと……

(十川)
 いや、「成熟」というと誤解が生じてしまう。「健康」のほうがいい言葉ですね。

(立木)
 要するに、可塑性の高まった状態のことですよね。ナルシシズムは可塑性を失わせる、というモチーフが全編に流れている気がします。それが精神分析にも返ってきて、精神分析のナルシシズムはやめよう、何々学派みたいなナルシシズムはもうやめようと、そういうメッセージが込められているんじゃないかと思うんです。十川さんの反ナルシシズムが明らかになったところで、そろそろお開きにしたいと思いますが、十川さん、最後に一言いかがですか。

(十川)
 やはり分析家の仕事は、患者の話を最大限の注意を払って聞いて、そこに生じていることを正確に読み取っていく作業にしかない。その際に頼るべきものは何一つないわけです。自分の過去の経験も理論も役立たない。しかし、そこから何か解決法が生まれてくる。解決法が前もってあったわけではなく、セッションの中で生まれてくる。この経験が分析家の思考や経験のあり方を変える。別の言い方をするなら、分析家のスタイルを生み出していくわけです。このスタイルは人に教えることはできません。せいぜい理論として理解してもらう程度のことです。このようなスタイルを構成していくことを、ビオンやラカンは一生涯かけて、何度も修正を繰り返しながら行ったのです。そのようなスタイルこそが精神分析という実践を動かす原動力であり、それが続くかぎり、精神分析は生き残っていくのではないでしょうか。

(2009年5/29、岩波書店)


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