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座談会 その1 [座談会]


(座談会)
来るべき精神分析のために

(2009/05/29 岩波書店)

・十川幸司
・原 和之
・立木康介

はじめに

(立木)
 昨年(2008年)、十川幸司さんの『来るべき精神分析のプログラム』(講談社選書メチエ)が出版されました。前著『精神分析』(岩波書店、2003年)で書かれていたことをより深く踏み込んで構築されたという部分はあると思いますが、大変インパクトのあるご本で、僕は、もしジャック・デリダ風の言葉遣いをしてよければ、応答すべく呼びかけられている気がしていました。それで、その応答の機会がどこかにないものかと思っていたところ、『思想』で座談会の企画が持ち上がり、ほかでもない十川さん、そして『ラカン 哲学空間のエクソダス』(講談社メチエ)などのご著書があり、ジャック・ラカンやミシェル・フーコーなどの翻訳も手がけられておられる原和之さんにお集まりいただくことになりました。今日は精神分析の歴史を簡単に振り返った上で、十川さんのご本を中心に現在の精神分析と臨床実践の問題を検討し、「来るべき精神分析」を展望できれば、と考えています。

 十川さんの理論の基本線は、自己を一つのシステムとして捉えるということです。それは感覚、情動、欲動、言語の四つの回路から構成され、それらの回路とのカップリングにおいても機能している。その自己というシステムが、コミュニケーションを通じて社会のシステムとつながる中で、さまざまに変化していく。そのとき自己の回路が病理的に作動すると、社会的にも病理として認知されるような諸現象が生じる。しかし、他方では、自己がコミュニケーションのシステムを持っていることが精神分析にとっての掛け金です。精神分析も社会的なコミュニケーションである以上、分析家はみずからの自己システムを通じて、患者の自己システムに働きかけることができる。それまで病理形成的に作動していたシステムを病理解除的に作動させるチャンスを精神分析の臨床が与えうる、ということです。このようにシステム論的な観点で多くの部分が構築されている点が、十川理論の大胆で新しい点だと思います。

I 歴史篇

<現状の概観>

(立木)
 この十川さんの理論を位置づけるためにも、まずは歴史的なパースペクティヴの下で精神分析をふりかえる作業をしておきたい。

 ここ二、三〇年のあいだに、精神分析と精神分析を取り巻く精神医学や心理臨床の分野で起こった変化や転換を考える大きな出来事として、1980年にDSM-III(『精神疾患の分類と診断の手引き』第III巻)というアメリカ精神医学会の診断マニュアルの改訂版が出されたことが挙げられます。そこでは「ヒステリー」という診断が消え、「神経症」というカテゴリーが解体されてしまった。これはとても大きな出来事だったと思います。精神分析は神経症と歩みをともにしてきました。それがアメリカの精神医学で解体されてしまった。このことは、おそらく、アメリカの精神医学の中で精神分析の影響力が弱まったことと関係しているのでしょう。僕はラカン派、とりわけフロイトの大義派(ECF)の状況しか知りませんが、僕がフランスに留学した1994、5年頃だと、ECFの分析家たちのあいだにはまだ、DSM-IIIのもたらした変化などどこ吹く風、という感じがありました。

 DSM-IIIで神経症概念が解体されたあと、それに取って代わるかのように、一方では、症状がより局在化された形で現れる摂食障害のようなトラブルが増えてくる。他方、1980年代には特にボーダーライン(境界性人格障害)が大きかったと思いますが、各種の人格障害が目立ってきた。北米では同じ時期に多重人格障害がよく報告されるようになりました。それは北米に限った現象で、ヨーロッパの臨床家は1990年半ば頃までほとんど多重人格障害を見たことがない、少なくともフランスの精神分析家たちは多重人格障害の患者にまるでお目にかかったことがない、という状況でした。ですから、ECFの分析家たちは、その時期まで、しばしばこういう言い方をしていました。「多重人格障害はDSM-IIIを中心とするアメリカの精神医学界が抑圧したヒステリーの回帰だ」と。エリック・ローランあたりまでが冗談めかしてそんなことを言っていたように記憶しています。

 ところが、1990年代後半になると状況が変わってきて、フランスの分析家たちも自分たちが臨床で相手にしている患者さんが今までと違ってきているのではないか、という感触を持ち始める。それがはっきりとした形で出てきたのが、1998年にECFの大きな会合で精神病の問題が扱われた時でした。ジャック=アラン・ミレールが「普通の精神病(psychose ordinaire)」というタームを掲げて、それがまたたくまにECFの中で広まり、今では普通名詞のように、あるいは診断名のように使われています。明らかに神経症ではない構造をもつ主体なのに、はっきりと発症した精神病にも見えない。シュレーバーのようなパラノイアや古典的な統合失調症(分裂病)のタイプにもあてはまらない緩い形、精神病の状態がいわば「普通に」生きられているように見える主体の問題は、妄想や幻覚といった具体的な病理現象というより、おうおうにして、ある種の社会的不適応、つまり社会の中に場所をもてないという形で現れてきます。こうした患者さんに分析家が接する機会が増え、たちまち臨床の前景を占めるようになってきた。20世紀から今日まで、ずっとそれが続いています。実はECFでは今世紀初頭から、制度の中での精神分析の実践を見直そうという動きが始まったのですが、それと呼応し合う形で現在の臨床の中に「普通の精神病」が踊り出てきたというのは興味深いですね。非定型とは言わないまでも、古典的な神経症と精神病の構造的な差異を揺るがすような現象だと思いますが、「普通の精神病」はポスト神経症時代の臨床の中心的な概念になってきたと思います。

 ただ、フランス全体、ラカン派全体の状況で言うと、ECFが「普通の精神病」という形でポスト神経症時代の臨床の中心に精神病をもってくるのに対して、シャルル・メルマンらのALI(国際ラカン協会)は「倒錯」という概念を前面に出してきました。最近では、ジャン=ピエール・ルブランという分析家がミレールの二番煎じで『普通の倒錯』(2007)という本を出した。彼らは心的経済全体が以前と同じようには動いておらず、抑圧の経済から享楽中心の、享楽を見せびらかすような経済へ移った、という議論をしています。このようにポスト神経症時代の主体の支配的な構造を精神病と見るか倒錯と見るかによって、フランスの二大ラカン学派の主張が分かれているのは注目に値します。

 もう少し事実を挙げておくと、先ほど制度の中での分析が見直されていると言いましたが、そこでは当然のことながら、古典的な分析の進め方を見直さざるをえません。いや、これは単に制度の中での精神分析的実践だけではなく、いわゆる「純粋精神分析」、つまり精神分析家の再生を行う分析にもあてはまることです。ECFでは、症状の「意味」を読み取る従来のセマンティックな作業から、プラグマティックな作業に、つまり、語用論的とは言いませんが、「症状使用論的」な作業に分析のあり方が変わってきたという認識が今では一般的です。症状の「意味」よりも、症状が現実界あるいは享楽との関係でどういう役割を果たしているかという点、つまり症状の機能が問題になるわけですね。

<精神分析の危機>

(立木)
 これらの現象の共通分母として、ここでは「抑圧」の問題を考えてみたい。フランスで起こっていることを見ていると、抑圧というものが精神分析の前面から後退しているように感じられます。僕が留学した1990年半ば頃、すでに、僕の師匠であるピエール・ブリュノが、パリ第八大学精神分析学科のDEA論文のテーマとして「無意識」や「抑圧」を取り上げる学生がとみに減っている、と言っていました。しかし、僕が精神分析の歴史を振り返るときによく引き合いに出す1914年の「精神分析運動の歴史のために」で、フロイトは抑圧こそが精神分析の基礎柱だと述べています。実際フロイトが神経症の治療から精神分析の理論を組み立てていくとき、最初に碁盤に打った手が抑圧の理論だったといってもいい。神経症の病因論においてセクシュアリティが不可欠な役割を果たしていること、ただしそれは抑圧されたセクシュアリティであることをフロイトはまず発見したわけです。

 同じ論文で、フロイトは他にも精神分析の基本概念を挙げています。「抵抗」、「転移」、そして「子供のセクシュアリティ」ですが、この三つは抑圧と直接にリンクしている。抵抗とは、抑圧されたものが想起されそうになる時に自我が自分で待ったをかけることです。転移も、フロイトは最初から症状と同じものとみなして、抑圧されたものが回帰してくる一つの契機と考えていました。そして、子供のセクシュアリティは抑圧されたものの内容です。だから、フロイトが挙げている四つの概念すべてが最終的には抑圧に行きつく。まさに抑圧は精神分析理論の中心だったのです。ところが、どうも今はそうではないように見える。神経症概念が解体されてしまっただけでなく、まるで神経症的な症状形成のメカニズムそのものが成り立たなくなってしまったかのように、神経症が臨床の中心から退いてしまった。これは裏を返せば、抑圧を中心にした心的経済がもはや重きをもたない状況が現れているということです。

 しかし、こうした状況は本当に1980年代に始まったのでしょうか。抑圧ということで言えば、そもそもラカンには抑圧についての固有の理論が存在しません。ラカンに従って抑圧を定義しようと思えば、可能性は主に二つです。一つは「シェーマL」で、想像的なコミュニケーションが象徴界のコミュニケーションを遮る、つまり無意識の、大文字の他者からのメッセージが主体に届かない、というものですね。もう一つはソシュールのアルゴリズムを転倒させた、分子にシニフィアンが、分母にシニフィエがある図式で、ラカンは分母と分子を隔てる横棒を「意味の抵抗のバー」と呼んでいます。この図式は基本的にメタファーのそれと同じです。ラカンは症状をメタファー(隠喩)で説明するとともに、症状とは抑圧されたものの回帰だというフロイトの考え方を前面に押し出していますから、メタファーの構造は抑圧の構造と同じものと言ってよいと思います。しかし、これ以外にラカンには抑圧を理論的に説明したものがないのです。しかも、シェーマLの図式は、セミネールの第五巻(1957-1958年)あたりで、つまりラカンが「欲望のグラフ」の構築に乗り出すに及んで力を失うことになり、メタファーの図式も「対象a」が出てきた時点でいわば廃れていく。だから、ラカンの理論で現実界の問題がいっせいに出てくるとき、抑圧の概念は事実上ほぼ打ち捨てられたようにさえ見えます。

 さらに言うと、実はフロイトでも「死の欲動」が出てきたあと、抑圧の相対的な理論的重要性は減少していると思います。フロイトは例えば死の欲動の抑圧ということは言っていないのではないか。死の欲動については「抑圧」という言葉を使いにくいと思ったのか、そういう箇所は見たことがありません。自我が死の欲動から身を守る時には抑圧と異なるメカニズムが働く、とフロイトは考えていたのです。ということは、実は第一次世界大戦後から、抑圧はもう精神分析の実質的な中心ではなくなっていたのかもしれない。それが1980年代の神経症の解体を受けて、前面に出てきただけなのかもしれません。

 とはいっても、精神分析はやはり抑圧理論に依存していたわけで、例えば神経症と精神病と倒錯を構造の違いとして分ける時にも抑圧理論は大きな役割を果たします。精神病は抑圧とは違う図式で説明される。倒錯もそうです。だから、今はそういったカテゴリーそのものが揺らいでいる。十川さんの今度のお仕事はこうした状況に呼応していると思うんですね。抑圧に関しては、ご本の113頁、コミュニケーションの形の話のところで、コミュニケーションが受け取った形、そこから生まれるコミュニケーションのシステムをフロイト的な意味で「無意識」と呼ぶことができるとおっしゃったあと、「これはフロイトの無意識概念を、抑圧といった問題系からではなく、システム論的観点から捉えなおしたものである」という一言を挿入されている。これは大変重要な点だと思います。抑圧を中心とした議論からシステム論へ、という転換がはっきりと描き出されている。1980年代以降、精神分析が経験している大きな変化の中で、提出されるべくして提出された新しい理論だと感じます。つまり、精神病、神経症、倒錯というカテゴリーや構造的な分類が立ちゆかなくなって、精神分析の枠組みが大きく揺らいでいる時に十川さんの理論が現れたと思うんです。これはわれわれにとって大きな希望の光、いや啓蒙の光と言えるかもしれません。

(原)
 精神分析そのものが解消してしまいかねないような危機についての診断を立木さんがしてくださいましたが、確かに抑圧理論の立ちゆかなさはすでにフロイトから始まっていて、それがフランスでも白日の下にさらされたのが1990年代だったということかもしれません。そうした長いスパンをもつ変化を西洋の思想のコンテクストに位置づけようとする場合、おそらくミシェル・フーコーの議論が一つの手がかりを与えてくれるのではないかと思います。

 精神分析の営みをフロイトをもって始まるものとし、フロイトによる切断を強調するのが一つの支配的なスタイルだったわけですが、その中でももう少し大きな歴史的パースペクティヴの中に位置づける努力が、例えばアンリ・エレンベルガー(エランベルジェ)によって力動的な精神医学の歴史(『無意識の発見』原著1970年、木村敏、中井久夫監訳、弘文堂、1980年)という形で行われていました。これはあくまで精神医学の系譜の中で精神分析を位置づけようとしたものですが、フーコーはもう少し違ったところからこの問題にアプローチしています。フーコーはある時期に、彼のいわゆる「思考の歴史」を考えるにあたって抑圧の枠組みそのものを捨てたところがあって、それがはっきり表れているのが1976年の『知への意志』(渡辺守章訳、新潮社、1986年)です。1970年に来日した時の講演では、まだ西欧の狂気の歴史を「排除」というタームほ使って位置づけようとしていましたが、78年に再来日した時にはもう完全に問題系が変わっていた。そうして抑圧は大事ではないのだと言うことによって初めて、フーコーは精神分析を西欧思想史の連続性の中に位置づけることができたのです。

 この試みに対する評価としてはいろいろな立場があります。例えば『知への意志』が発表された直後、フーコーはジャック=アラン・ミレール、アラン・グロリシャールといった Cahiers pour l'analyse (ミレール、グロリシャール、アラン・バディウら「パリ高等師範学校エピステモロジー・サークル」が1966年に創刊した雑誌)の人たちと座談会をしている(『同性愛と生存の美学』増田一夫訳、哲学書房、1987年)。フーコーはその冒頭で「自分が提案した遊びに付き合ってくれた人は、あなたたちが初めてです」という言い方をしていますが、ミレールの発言には、あくまでフロイトにおける切断を強調しようとする立場が見える。フーコーがやろうとしているのはその切断を否定することだとミレールが捉えていて、それに対する彼の批判的な立場がやり取りの中にはうかがえます。いずれにしても、精神分析を西欧の思考の中に解消してしまうのか、あるいはそこにある特異性を認めるのかということが、その時点ですでに問題として提起されていたのだと思います。

 西欧の思想史の中で精神分析を考えるとき、次に手がかりとなるのは『主体の解釈学』(1981-82年)(『ミシェル・フーコー講義集成11』廣瀬浩司・原和之訳、筑摩書房、2004年)というフーコーのコレ―ジュ・ド・フランスでの講義でしょう。この中でフーコーは「自己への配慮」という長大な歴史的スパンをもつ問題系を構想して、いくつかの時期を区別しているんですね。西欧の歴史では、「汝自身を知れ」の命法に代表されるような自己の認識と並んで、自己への配慮が古典古代の時代から重要な役割をもっていて、そうした自己への配慮と哲学の構想が少なくともデカルトまでは密接に結びついていた、とフーコーは述べています。しかし、デカルトを転回点として--といってもこの言い方には彼自身、大きな留保をつけていますが--そうした結びつきに大きな変化が生じた。この変化をフーコーは、「霊性」(スビリチュアリテ)と「哲学」を対立させる形で定義した上で、「霊性」から「哲学」へのシフトとして理解しています。フーコーの言う「霊性」とは、真理に到達するには自己を変容させなくてはいけないという立場でさまざまな実践を行う活動です。これに対して彼は「哲学」を、真理への到達がもっぱら認識を介してなされるとする考え方として規定します。そして、古典古代からデカルトまでは「自己への配慮」と「自己の認識」という二つの軸をもっていた思考の営みが、デカルト以降、認識のほうにシフトした。「霊性」から「哲学」へのシフトが生じた。つまり、自己に変容を加えなくても認識によって真理に到達できるという考え方が一般的になってきた--このような整理の仕方をしています。

 その上で、フーコーはデカルト以降の歴史の中で、特殊な地位をラカンに与えている。つまり、ラカンは主体と真理の問題を分析知の中から立ち上げる形で初めて結びつけた、主体の真理の問題を立てたのはハイデガーとラカンだけだ、という強い断言をしているのですが、これは、いったん認識のほうにシフトした哲学が徐々に自己への配慮に回帰するようなファクターを持ち始めた、という流れの中で理解できるように思います。『ラカンと哲学』(原著1984年、高橋哲哉他訳、産業図書、1991年)の著者として知られているアラン・ジュランヴィルというフランスの哲学者がいますが、彼は2000年の『実存知としての哲学』で、19世紀以降、他者に対して開かれてあることを重要な契機とする哲学が登場したことを強調しています。ジュランヴィルが念頭に置いているのは、まずキルケゴール、それからハイデガー、レヴィナス、そしてラカンなのですが、彼はこの哲学を、自己は単独で成立するのではなく他者との関わりで成立するという根源的なヘテロノミ―を含む哲学という意味で、「実存の思想」と呼んでいます。そこでは他者を前にして、認識には一定の限界が課されることになるわけですが、その中で、認識だけでなく主体における「出来事」を問題にする流れが出てきた。これはつまり、哲学がかつて霊性と呼ばれていた契機を取り戻しつつあるということではないかという気がするんですね。

 そうした変化の中で、今度は19世紀の終わりにある出来事の学として登場してきた精神分析と、新たに霊性に接近するような出来事の契機を取り込むようになった哲学とのあいだで、競合とは言わないまでも、両者の位置づけをどうするかという問題が出てきたのではないか。実際、フロイト自身も、精神分析と哲学はまったく別個のものだと考え--ただし、彼が考えているのはある特定の、体系を構築するような哲学だ、という限定はつきますが--、その区別を際立たせようとしたことがあって、この関係は大変慎重に扱われてきました。しかし、実際にはディスクールとしての近接という状況が生じてきている。他方で、19世紀以来、宗教的なものを参照しながらみずからのうちに霊性という契機、ある種の自己変容という出来事を射程に収めた哲学の潮流が出てきたとき、哲学の側からも、その流れと関わりで精神分析を改めて位置づけることが必要になってきているのではないでしょうか。

(十川)
 今、お二人から、まったく違う角度の論点が提示されたと思います。お二人ともラカンのテクストの優れた読解者であり、そのお仕事からは刺激を受けております。私自身、精神分析にコミットするようになったのはラカンという強いドライブがあったからですが、現在の自分の理論的立場をあえて言うならば、ウィルフレッド・ルブレヒト・ビオン(1897-1979)に代表される対象関係論が最も近い。したがって、今回の本を書く際にも、対象関係論がベースとなっています。先ほど立木さんが私の構想の骨格をまとめてくれましたが、立木さんが注目なさったのは自己論のほうで、私はその一方に対象論を置いています。本の最初のあたりで自己システムの作動を論じる際に、対象についての細かな記述をしたのはそのためです。ただ、対象論においては独自の視点を打ち立てることができなかったという点が自分でも不満に感じているところです。

 まず原さんの問題提起についてですが、原さんがスピリチュアリティという点を問題になさったのは、私が今度の本で、ある種の自己への配慮や自己変容を論じているからだと思います。確かにフーコーは精神分析をスピリチュアリティの点から批判的に取り上げていますが、原さんが言及なさらなかったことの一つに、フーコーがそれを教団と結びついた形での自己鍛錬、自己変容と結びつけている点があります。古代の哲学が教団をもったように、ラカン派も--マルクス主義もそうだと思いますが--教団を持った、というのがフーコーの精神分析に対する批判でした。確かに精神分析は教団というか、運動組織という性質をもっていて、その点を無視して精神分析を考えることはできない。

 スピリチュアリティについては最近いろいろな人が論じています。例えばジャン・アルーシュは、フーコーの発言に応答する形で一冊の本を書いています(Jean Allouch, La psychanalyse est-elle un exercice spiritual? : reponse a Michel Foucault, EPEL, 2007)。アルーシュによれば、真理に到達するために主体がいかなる変容を経由すべきかということを問題にするかぎりにおいて、精神分析はスピリチュアリティと結びついている。しかし、そのスピリチュアリティは宗教的なものとは異なり、むしろ宗教に危機を及ぼし、宗教のセクト的なものに穴を開けるものだとアーシュは強調しています。

 それからクライン派の中では、ネヴィル・シミントンというビオンの影響を受けた分析家が『精神分析とスピリチュアリティ』(原著 1994年、北村婦美・北村隆人訳、創元社、2008年)という本を書いていて、はっきりと「精神分析は成熟した自然宗教である」と言っています。こういうことを分析家が言うのはリスクがあるわけですが、彼はあえてそのような言い方をしています。シミントンが言う「宗教」には二つあって、単純な区別ですが、原始宗教的な側面と成熟宗教的な側面です。フロイトが批判したのは救済のような意味合いを込めた原始宗教--この定義はシミントン独自のものですけども--であって、成熟宗教のほうではない。クライン派の文脈に組み入れるなら、この原始宗教的な側面は、宗教的心性がいまだ妄想分裂ポジションにある状態であるのに対し、成熟宗教的側面においてはそれが抑鬱ポジションに達していることを意味しています。精神分析の営みも、抑鬱ポジションをワークスルーすることによって、成熟宗教における魂の状態と同じ境地を目指している。そういうニュアンスで「自然宗教」という言葉を使っていたと思います。ラカンは精神分析とスピリチュアリティを徹底的に切り離して考えていましたが、最近になって両者を近づけて考える人が--多数派ではないにせよ--出てきているようです。

 それと、先ほどの「抑圧」についての立木さんの話ですが、抑圧という概念は、確かにフロイトがみずからの理論を組み立てていく初期の段階で中心となっている概念です。それは『防衛-神経精神病』(1894年)や、そのころにヴィルヘルム・フリースに宛てた手紙などを読めばよく分かります。そして、この時期に、フロイトはヒステリー、強迫神経症、パラノイアといった精神疾患の病因と症状の機制を、性的外傷を受けた時期、外傷の受け方、抑圧の様式などといった視点から分類しています。これは病因論まで含んだ、非常にスケールの大きい疾病分類です。フロイトは一般には神経症の研究者と捉えられがちですが、彼が全精神疾患を射程に置いた理論の構築を目論んでいたことには注目を向けておきたい。その後、この分類に、不安神経症、倒錯などが組み入れられ、先ほど立木さんが話された神経症、倒錯、精神病という三つのカテゴリーが定着する。この三つのカテゴリーは、精神分析の隆盛期に診断のカテゴリーとして広がり、アメリカの精神医学も長いあいだ、この三つのカテゴリーを維持していた。ところが、フロイトのこのような疾病分類は、検証することができない仮説を前提に置いています。それゆえ、その前提となる考えを共有しない人にとっては、この分類は、実にいい加減なもののように見える。1970年頃のアメリカでよく言われていたのは、アメリカの精神医学は精神分析の影響を受けたせいで、診断学に関しては20年くらい他の国に遅れてしまった、ということでした。その焦りはDSM-IIIに結実することになります。その際に依拠したのが、フロイトと同時代人でありながら、総論的な疾病分類を作り上げたエーミール・クレペリン(1856-1926)です。クレペリンの方法とは、症状の記述と膨大な症例の観察に基づく分類です。そこにはフロイトのような仮説が持ち込まれていないため、、より客観的で科学的であるようにも見える。しかし、フロイトの仮説の是非はともかくとして、現在、フロイトとクレペリンのどちらがより普遍性をもっているかといえば、いまだに抗争中というのが実情ではないでしょうか。このことは精神疾患を分類する作業の難しさをよく示しています。

 さて、今話したのは、抑圧および防衛の疾病分類的な意義についてですが、抑圧という概念の治療論的な意義について言えば、今、この概念を正面きって使う分析家は、自我心理学に属する分析家の一部を除いて、ほとんどいません。無意識的なものを上から押さえつけるという、抑圧という概念がもつイメージが臨床感覚にフィットしないということもあるでしょう。さらに、クライン派の「投影同一化」という概念が浸透したことも大きい。投影同一化という機制は、フロイトが抑圧という概念で説明したことを十分に覆うだけではなく、この概念のほうが、精神病も含めた広い範囲の精神疾患の防衛機制を説明することができます。また、精神医学の領域では、解離というメカニズムが、現代的な主体においては、抑圧よりもよく見られる防衛システムとして捉えられる傾向にあることも、抑圧という概念が背景に退いていった要因となっています。

 精神分析の歴史的な流れについて、立木さんの話に若干の補足を加えておくと、現代アメリカの精神分析の状況を表すものとして、『アメリカにおける今日の精神分析』という本が2006年に出ています。アーノルド・クーパーがアメリカを代表する30人の分析家の主要な論文を集めたものです。その30人の分析家がベストと思う自分の論文を選び、その理由も併記してまとめた論集で、これを読めば、ここ50年くらいのアメリカの精神分析の状況が分かります。その最後に書かれているのが、国際精神分析協会の会長でもあったロバート・ウォーラーステインの「ひとつの精神分析か、あるいは多数の?」という論文です。これは現状を俯瞰する論文ですが、精神分析は理論的には多様化する一方、セッションにおける相互作用に焦点をあてるという点で一つの収束点をもつ、と彼は書いています。このような観点は現代の臨床における一般的な考えですが、この本を読むかぎり、やはり精神分析の新たなパラダイム変換はなくなってしまっているという印象を受けます。結局、フロイトの理論で残っているのは中立性や転移解釈などの技法的なところだけで、フロイトの理論の画期的な更新はメラニー・クライン(1882-1960年)、ビオンで終っている、というのが現状ではないでしょうか。

 フランスでは、2001年にRevue Fransaise de Psych-analyseが、「現代精神分析の動向」という特集を組んでいます。2000年頃にはこういう本がたくさん出版されました。そこにドナルド・W・ウィニコット(1896-1971年)の流派に属する、クリストファー・ボラスという人が「フロイト派精神分析の敗退」という論文を載せていて、精神分析家を養成する制度--先ほどの言葉を使うなら「教団」--を批判しています。もはや多くの人々は高いお金を払って精神分析家のもとに行く価値はないと考えるようになっている。その最大の原因は、何よりも分析家の養成制度が、フロイトの治療論の本質--彼はそれを患者側の自由連想と分析家側の「平等に漂う注意」の創造的な結合に見ています--を伝えることができなくなっているからだ、と彼は書いています。

 さらにもう一つ挙げておくと、『100年後』(1990)というフランスの代表的な分析家のインタビューがあります。その中で印象的なのは、「今、精神分析はどういう状況にあるか」という質問に、ジャン=ベルトラン・ポンタリスが「精神分析は何をやっているかといえば、精神分析家をどんどん作っている。それしかしていない」と言っているんですね。つまり、患者を治療するのではなく、「分析家が分析家を作り、その分析家がまた分析家を作るシステムができあがっていて、分析家の再生産のシステムに変わってしまっている。純粋な患者はいない」ということなのです。実際、立木さんもよくご存じのように、フランスは精神分析家の数が非常に多い。

<精神病理学の消滅と精神分析>

(十川)
 ここで話を少し自分の方へ向けると、私は約10年ほど教育分析を受けて、その後10年は自分のキャビネで患者を診るようになっています。今はほとんどの時間を分析治療に費やしていますが、もともとは精神病理学の仕事をしていて、今も基本的には、精神病理学と精神分析の二本立てで、ものを考え、臨床を行っています。この二つは私にとってどちらも思考の糧となる重要なものです。しかし、精神病理学と精神分析は、一般的にはあまり相性がいいとは言えない。精神病理学のほうでは、精神分析を「精神病を神経症化して理解しているだけで、その本質を把握していない」と言って拒絶反応を示し、精神分析のほうは精神病理学を「治療には役立たないただの理論」と言って見向きもしない。これらはもちろん表層的な批判ですが、まったく見当外れとは言えないでしょう。

 精神病理学は病者の生きていることの全体を考える学です。そこでは、まず患者という存在を把握することが重要であり、治療はそこから導き出される、という発想がある。一方、精神分析は何にもまして治療学です。先に述べたフロイトの疾病分類に関しても、治療的観点に基づいた分類になっています。フロイトは言うまでもなく最初の精神分析家ですが、最初の精神病理学者だった--当時そのような学はまだなかったのですが--と考えることができます。彼の思考方法は、精神分析的であると同時に精神病理学的です。むしろ、この二つの学に区別がなかった、と言ったほうが正確ですね。この二つの学は、その後、主として取り上げる対象疾患の違いによって--つまり精神病理学が精神病をフィールドとし、精神分析が神経症を治療対象にすることによって--分岐していきます。しかし、ハロルド・フレデリック・サールズ(1918-)やハリー・スタック・サリヴァン(1892-1949)など精神病を治療対象とした精神分析家もいて、精神病理学も彼らの仕事から多くのことを吸収していきます。いずれにしても、この二つの学が相互交流を失っていったことは、両者にとってあまり実りのあることではなかったように思えます。

 さて、精神病理学と精神分析を考える上で、ここでラカンに焦点をあててみます。ラカンはその知的遍歴を精神病理学者として始めています。学位論文の『人格との関係からみたパラノイア性精神病』(宮本忠雄・関忠盛訳、朝日出版社、1987年)は、見事な精神病理学の論文です。しかし、彼は、そのあいだも精神分析家としてのトレーニングを受けていました。そして、その後は、もっぱら精神分析家として理論を打ち立てていったのです。このラカンの言説には、精神病理学と精神分析が鮮やかな形で共存しています。このような共存は、クラインやビオン、ウィニコットなど20世紀を代表する他の分析家には見られません。彼らの理論は、どう読んでも精神分析の理論です。一方、ラカンの理論は精神病理学の言説である一方、精神分析家の言説でもある。これはフロイト以降の精神分析の歴史の中では珍しい言説です。ラカンが日本に導入されたのも、精神病理学の理論としてでした。とりわけ精神病の理解の方法としてラカン理論が参照された。このような偏った輸入の方法が可能だったのも、ラカン理論のエッセンスに精神病理学的な思考方法があるからです。一方、クライン派の理論が、精神病の治療に関する議論であっても、精神病理学の側から注目されないのは、その理論に精神病理学的な思考をほとんど読み取ることができないからだと思います。

 とはいえ、ラカンの理論をもっぱら精神病理学の理論として取り扱うのは間違っています。それはフロイトの理論がそうであるように、基本的には治療論なのです。ラカンを理解する上でしばしば忘れがちなのは、彼が少なくとも50歳頃までは、古典的な分析のトレーニングを受け、またみずからそのような分析治療を行っていた分析家だった、ということです。その経験の上に彼独自の理論がある。この点は絶対に忘れてはいけない。この経験こそが彼を分析家にしたのだし、またこの経験が彼の奇抜とも思える理論展開の核となっている。しかし、多くの人は、彼の基礎となる経験を飛ばして、いきなり1953年以降のラカンからその理論を理解しようとするれために、ラカンの本質を見誤っているように私には思えます。

 では、そのラカン理論が治療論として優れているかというと、こう言うのも何ですが(笑)、それはどうかな、と思ってしまう。私の個人的な感想でも、ラカン派の臨床は、症例の面白いところを部分的に取り上げるのはうまくても、全体的には雑駁(ざっぱく)な印象を受ける。特にあの沈黙が極端に多く、解釈が少ないセッションの仕方には疑問を感じます。あれだと単に、自我心理学のセッションの時間設定を少なくしただけのものになりがちです。一方、ポスト・クライン派と呼ばれる人たちの臨床は、分析治療のきめ細かい流れや、そこで働いているダイナミズムの把握が卓越しています。また、症例全体の理解や解釈の方法も素晴らしい。私はこの派の臨床をスーパーヴィジョン体験でしか知りませんが、そのインパクトは強烈なものでした。私が対象関係論に注目し始めたのも、そのような経験がもとになっています。

(立木)
 日本のラカン受容、精神分析受容の中で精神病理学の果たしてきた役割はとても大きいと思いますが、精神分析は本当の意味で根づいてはいないし、病理論で終わっていて、治療論はほとんど入っていないというのも確かです。しかし、いずれにせよ、日本で最初にラカンについてまともな成果を出せたのは精神病理学をやっていた人たちだと思います。それまで現象学的精神病理学のアプローチで分裂病を理解しようとしていたけれども、手づまりになって困っていたところへ、「構造」という概念とともにラカンが入ってきて、彼らはいっせいに飛びついた。しかし、今、日本で精神病理学も死に絶えつつあるというのは深刻な状況です。

(十川)
 精神病理学も1980年までは現象学的な精神病理が中心でしたが、90年代に入ると医学モデルに依拠するようになります。患者には生物学的な脆弱性があり、それが心理学的、社会的要因によって発病するといういわゆる、bio-psycho-social model ですが、こういう発想は生物学的研究ともなじみがいいし、また医学としての社会的役割を果たすことができる。こういうモデルから引き出されるのは、病気をいかに早期に発見し、治療するかといった人間ドック的治療観です。そこで扱われているのは病気であって、個々の病者の生ではありません。90年代以降の精神病理学がどこか浅い印象を与えるのも、病気を扱う医学の一分野になっているからでしょう。

(立木)
 とりわけ統合失調症の精神病理学が最近静かですね。内海健さんの『「分裂病」の消滅』(青土社、2003年)でも示唆されていましたが、スキゾフレニアを「統合失調症」と訳すようになって、単にタームの問題だけではなく、スキゾフレニアの臨床そのものが変わってきたということがあるんでしょうか。あるいは、より広く精神病臨床全体が変わってきたということでしょうか。先ほど神経症の解体という点を強調しましたが、フランスで「普通の精神病」という概念が出てきた背景には、もちろん精神分析の側の変化もあります。フランスの場合、とりわけラカン派にとって、精神病のパラダイムはパラノイアでした。つまり、シュレーバーですね。もちろん、シュレーバーのような人は昔もたくさんはいなかったと思いますが、ラカン派は1980年代までシュレーバーを精神病論のモデルにしてきたわけです。ところが、今やそれとは別の形で精神病を考えざるをえなくなった。それはやはり精神病の臨床像が変化してきたからでしょう。日本の精神病理学はパラノイアではなくスキゾフレニアが引っ張ってきて、安永浩や木村敏といった人たちが燦然と輝くような業績を残してきました。僕が学生の頃にはまだ木村敏が京都大で教鞭を執っていましたから、学生はみんな『分裂病の現象学』(弘文堂、1975年)なんかを読んでいました。あの頃の日本の精神病理学はレベルが高かったですね。それと比べると、ここしばらくはちょっとさびしい感じです。

(十川)
 そこには軽症化の問題が絡んでいると思いますね。精神病理学の知的情熱を突き動かすのは、患者がもたらす謎や問いかけです。そういう謎と、かつては多くの精神科医が格闘していたのが、今は相当感度を上げないと謎の存在さえ読み取りにくくなっている。したがって、思考のドライヴがかかりにくい。また、統合失調症や鬱病にしてもこれほどまでに軽症化し、非定型化すると、本質を考える前に、まずはその領域を明確にするという分類作業が先になってしまう。少なくとも1980年頃の精神分析には、疾患というものに対する共通の前提があったと思います。その前提の下で精神病理学的な議論が可能だった。しかし、今はその前提が崩れてしまっています。

 先ほど「普通の精神病」および「普通の倒錯」という話をされましたが、「普通の精神病」という概念が出てきた背景にも、軽症化という問題が関わっているのではないでしょうか。また「普通の倒錯」は文化との関係におけるセクシュアリティの変容でしょうが、こういう「倒錯」は日本のサブカルチャーでは話題に事欠きません。ところで、精神分析の側からこういう概念が提起されるようになったのも、フロイト以降の精神病、神経症、倒錯といった疾病分類では、もはやうまく病理を考えることができなくなった証拠とも言えるのでしょうね。

(立木)
 そうだと思います。しかし、その一方で、こういう事情もあります。ポンタリスがフランスでは分析家の再生産が中心になっていると論じているというご指摘がありましたが、ラカン派はまさにそれを自覚的にやってきました。ラカンはつまるところ「精神分析とは分析家の再生産だ」と言った人ですから。1990年代までは事実上それが彼らの活動の中心になっていて、「キャビネでの分析」至上主義みたいなものがありました。ところが、それに対する反動とまでは言わないけれども、反省が世紀の変わり目頃に出てきて、もう少し限定された枠組みで行われる治療、とりわけ各精神保健施設での精神分析治療にも光をあてよう、ということになった。そうすると、分析家が精神病的な現象を示す患者さんと頻繁に接していることがはっきりしてきて、たちまちラカン派の臨床の中心に精神病が躍り出た、という流れもあるんです。

(十川)
 一見、健康な人に思えたのが、セッションをしているうちに、精神病的な病理を濃厚にもった人であることが分かるのは珍しくありません。これは古くは「潜伏性精神病」と呼ばれ、その時点で分析治療を中止し、薬物治療に変えるといった方法がよくとられていたようですが、現在は多くの分析家が--若干の治療方針を変更する場合はあるにせよ--キャビネで十分に分析治療が可能だと考えているのではないでしょうか。私もそのような患者を何人か診ています。

 ところで先ほど精神病患者の変化という話をしましたが、精神分析に来る患者も時代とともにずいぶん変わっています。フロイトでも初期に診ていたヒステリー患者と、晩年に診ていた患者とではその間に大きな変化があります。しかし、全般的に言えるのは、フロイトの時代と比べて、今は患者がみずからの生を物語る能力がなくなってきている、ということです。このような現象も病理の軽症化と何らかの関係があるのかもしれません。フロイトの患者たちは物語る能力に長けています。そして、その語りが、患者が秘めた病理に向かって収束されていきます。一方で、現代の患者たちは--ヒステリー患者は貴重な例外です--みずからの生を散漫とした形で、明確な歴史もエピソードも作ることなく生きているように思えます。そういう患者たちの語りは、病理の所在がはっきりせず、また語りが病理の核心に向かうことがない。こういう患者側の変化も精神分析の衰退の一つの要因になっているように思えます。つまり、生が希薄化、断片化していて、しかもそれらが言葉によって歴史化されていないため、言葉を治療手段とする分析治療が鋭角的な手ごたえをもったものとして機能しない。もちろん分析家の側にも責任はあるでしょう。分析家は、患者の側の変化を敏感に感じ取ることなく、いまだに硬直した理論で分析行為を行っています。患者の生のあり方が変わってきたなら、それに即して分析家は新しい臨床を始めていくべきなのです。それがほとんどなされていないのが現状なのです。


II 理論篇

<情動について>

(立木)
 そろそろ理論篇に移りたいと思います。僕が十川さんのご本でまず取り上げてみたいのは、情動の問題とセクシュアリティの問題です。十川さんは欲動が大事だというご意見ですが、最初に情動にも触れておきたい。情動の問題は前著『精神分析』でも大きく扱われていて、それを読んだとき、情動こそが十川さんの構築なさりつつある新しい精神分析の中心になるのかな、という印象をもちました。十川さんが言われる情動というのは「エモーション」のことですか。

(十川)
 いや、「アフェクト」です。

(立木)
 そうですか。それならなおいいのですが、ラカンの言う情動とは、身体がシニフィアンの媒介なしに現実界にアフェクトされることです。その状態のパラダイムは「不安」ですが、それ以外の形で情動にアプローチするのはなかなか難しい。フロイトに遡っても、欲動の代表として「情動」と「表象」が分けられていますが、いずれもきちんと扱えていない感じがします。とりわけ情動の問題をそのものとして取り出した個所がほとんどない。もっとも、不安の場合だけは別ですが。ラカンに戻れば、身体がシニフィアンの媒介なしに現実界によってアフェクトされる。現代思想的な言葉を使すなら、「触発」される。それに対して十川さんの場合は、システムとしての自己が他者のコミュニケーションに触発されるという点が重視されています。十川さんは、子供が両親の会話に耳を傾けていたり、子供が寝ているところで両親がコミュニケーションをしている状況--十川さんは「原風景」と呼んでおられます--に注目なさっていますが、子供はそこまでまさにコミュニケーションにアフェクトされ、触発されている。そこから自己のコミュニケーション回路が徐々に形作られ、情動調律というプロセスを通じて情動的なコミュニケーションが始まっていくわけですね。コミュニケーションとしての情動。そこに焦点があてられています。

(原)
 私もそういう形で情動が理解されているという印象をもちました。ただ、情動のレベルと言語のレベルをきっぱりと分けておられますが、それらは一体となって機能している部分が強いのではないか、という気がしたんです。

(十川)
 それを「カップリング」と呼んでいます。

(原)
 そのカップリングを、一方の作動が他方の作動を引き起こす形で理解する。そのとき、ラカンであれば、おそらく言語という枠組みの中で情動の問題も考えることができる、と言うのではないかと思います。その二つのレベルを分けることが理論的にどういう含意を持っているのか 、うかがいたいのですが。

(十川)
 こういう構想のアイデアは具体的な臨床経験から浮かんだものです。例えば、自由連想において、患者の言語の動きと情動の動きには明らかなずれがある。それゆえ、分析家のほうも、言語という水準と情動という水準の二つのレベルで耳を傾けなくてはいけないことが多い。このずれがもっと明らかになるのは解釈の場面です。明らかに正しいと思われる解釈を行っても、患者は知的に理解するだけで、情動的にはほとんど反応しない場合があります。しかし、それが別の場面では、患者がその言葉を情動を巻き込んだ形で理解し、心的変化が起きることがある。これは従来、抵抗や解釈のタイミングの問題として考えられてきた事柄です。確かに、そういう場面もあるでしょう。しかし、抵抗や解釈のタイミングといった観点からでは、とても理解できない局面のほうが圧倒的に多い。そこから次第に、言語と情動を分けて理論化したほうが臨床的な現象をより的確に把握できると考えるようになったのです。

(原)
 お話をうかがっていて、「言語」ということで何を了解するか、そしてその言語と情動の接点と言いますか、界面をどういうふうに設定するかが問題になってくるという印象をもちました。ラカンが「言語」という時には、この言葉を非常に一般的に、第三者が介在するような主体の他者に対する関係という意味で用いているように思うんです。確かに、この第三者が揺るぎなく関係を媒介する場合、それは言語学で規定されるような言語のイメージに近づくわけで、セミネール初期の言語の了解はまずこの側面を強調しているわけです。ただラカンは同時に、そうした介在が揺らいだり、生成途中だったりする場面についても、第三者の介在が独自の様態をとる場合と考えて、あくまでそこに言語を見ようとするところがある。例えば子供が両親のコミュニケーションを傍らで聞いているのは、ある種の三項関係ですよね?

(十川)
 確かに三項関係と呼べるかもしれませんが、そう言ってしまうと抜け落ちてしまうものがあります。ここが私の構想の中核になる点だと思うので改めて説明しておくと、乳児が両親のコミュニケーションを傍らで聞いているというのは、自己経験の原型となる一つのモデルなんですね。乳児は両親のコミュニケーションに入っていない。それが次第に情動的な反応を示すようになり、言語的コミュニケーションも行えるようになる。最初はコミュニケーションの「外部」にいた乳児が、いつのまにかコミュニケーションを形成するようになっている。その際、重要なことは、子供は言語という構造化された場所に入るのではなく、コミュニケーションという謎と力に満ちた場所に入るということです。したがって、この場所で生じるさまざまな力は子供に傷を与える。また、コミュニケーションの場に入るということは、ある時から入って、あとはその「内部」にいる、といったものではなく、どのように入ったか分からないし、コミュニケーションを生み出し続けなければ、その「外部」に位置することになってしまいます。また、この原初の疎外経験は子供の空想の形式も決定しています。フロイトの「原風景」、クラインの「結合両親像」といったいくつかの外傷的な空想は、このモデルで説明することができます。

(原)
 ラカンですと、言語はあくまで枠組みとしてあって、不安などの情動はその機能ないし機能不全の効果という形で位置づけられると思うんです。要するに、十川さんはそれを独立したレベルとして設定されている。

(十川)
 ラカンは、主体と真理の次元を媒介するものとして言語を想定しています。ところが、対象関係論の立場だと、主体は情動を通して人間のより深い現実に到達する、という考えがあります。この観点からすれば、情動が、主体が真理に達するのを防げるということはない。むしろ、情動の関与なしに真理という次元は出てこないわけです。ラカンの「現実界」とビオンの「О」(originの略)はよく比較対照されますが、前者が言語を媒介にして、言語を超えた次元を表しているのに対し、後者は情動と密接な関係をもっています。

(立木)
 これは僕の印象ですが、ビオンの「ベータ・エレメント」(特に子供や精神病患者において、思考が物のように感じられたり、空想が事実のように語られたりする時の強烈で生々しい経験。自我はそれを外部に排除することによって身を守ろうとする)はラカンの概念に置き換えられません。僕はベータ・エレメントというのは、つまるところ情動のプリミティヴな断片のようなものではないかとぼんやりと考えていて、そこを取り込もうとなさっているのが十川さんの情動論ではないかと思うのですが、そのように理解してよいでしょうか?

(十川)
 私の構想はビオンの理論とは厳密な対応関係はありません。あえて対応させるならば、ベータ・エレメントは、感覚の回路が病理形成的に作動することによって生じる感覚対象のことです。

(立木)
 とすると、べータ・エレメントはむしろ情動と切り離して考えた方がよいのでしょうか? 赤ん坊が死の恐怖を極めて具体的に、というのはつまり、あたかも物のように経験している。ただし、断片的な現実として。赤ん坊はそれを外部に投げつけることしかできない。つまりそれに意味を与えたり、それを理解できる体験としてまとめあげたりはできないわけですね。そういうプリミティヴな経験を情動の次元に関係づけてしまうのは僕の勝手な読みでしょうか? ビオンの場合、情動はアフェクトではなくエモーションになるのでややこしいですが。

(原)
 逆にエモーショナルなエレメントの方がまとめあげる役割をもっていると思うんです。

(立木)
 ということは、情動はむしろ「アルファ・エレメント」(自我が夢や思考の素材として用いることができる心的要素)の次元から入ってくる、と考えるべきだということですね。方向性をもたず、主体を圧倒してしまいかねない感覚、つまりベータ・エレメントを、主体が外に投げ出すことしかできないとき、それを聞き取り、包み込んで、もう少しまとまりのある情動的なもの、アルファ・エレメントに変えて主体に返してやる対象が存在しなくてはならない。この対象の機能をビオンは「アルファ機能」と呼んだわけですが、それによってアルファ・エレメントが夢や思考の材料として使えるようになるわけですね。ゆくゆくは主体自身がこのアルファ機能を内在化しなければならないのですが、これはクラインの言う「抑鬱ポジション」のビオンによる翻訳でしょう。そういう図式は分かるのですが、僕がどうもすっきりと概念的に消化できないのは、やっぱりベータ・エレメントなんです、こういう概念を取り出してみせたところにビオンの真骨頂があるのでしょうが、これはラカンの理論には翻訳できない。もちろん、僕は何でもかんでもラカンと対応させたいと思っているわけではありませんが。

(十川)
 ベータ・エレメントは対象aと等価なものと考えることもできますよね。

(立木)
 僕はそう断言する自信がないんです。現実的なものとの関係はプリミティヴな様相と言えるとは思いますが。

(原)
 情動は、自己を作動させる基本的な条件になる他者とのコネクターにあたる部分、それを介して他者へのアクセスが確保されている部分だという、おおまかな理解でよろしいでしょうか?

(十川)
 はい、おおまかには。

(原)
 そうしたアクセスが成立する初源的な場面として、両親のコミュニケーションを傍らで聞く主体という状況を考えていらっしゃるのは、私にはとても新鮮でした。十川さんが先ほど言及されたように、フロイトの議論ですと、こうした状況はいわゆる「原光景」として、不安を生ずるような外傷的な体験として主題化されるわけですが、十川さんはむしろこれを「コミュニケーション・システムへの参入」の場として積極的な価値を認めようとされている。ある意味で、「原光景」概念の再編、というよりそれが本来持つはずの広がりを回復することがここで目指されているのではないか、という印象をもちました。

 「他者」ならぬ「他者たち」に対峙する主体という状況は、たぶん否定的にも肯定的にもなりうる両価性をもっている。この不安定な両価性を考えようとするとき、フロイトにしてもラカンにしても、情動をまず否定的な側面、例えば「不安」といった側面で捉えた上で、それに動機づけられる形で他者との関係を可能にするような知的構築物が登場する、という転回のドラマを想定することで、これを時間的に分節化しようとしているところがあります。例えば兄弟の誕生、これは父母とは別の形の「他者たち」の成立ですが、これを契機に生じた「子供はどうして生まれてくるのか」という疑問に答えるために、子供はいわゆる「幼児の性理論」を案出するのだ、とフロイトは言います。ラカンが初期の、パラノイアをめぐる議論の中で見出した認識論的な機制も、またおそらく鏡像段階も、同じ「情動」から「言語」--と言っていいように思うのですが--へ、という問題系に連なっているように見える。何よりもセミネールの中で何度か言及される、(拡散し、回避不能な)「不安」から(一つの対象に集中し、そのかぎりで対処可能になる)「恐怖」へという過程の記述は、同じような回避ないし防衛のロジックに従っています。

 ここでビオンに戻りますが、ビオンにもそうした側面がなかったでしょうか。つまり、彼はある混乱した状況、ベータ・エレメントに最初のまとまりを与える営みを、クラインの言う「妄想分裂ポジション」と「抑鬱ポジション」のあいだの出来事(これをビオンは「Ps⇔D」という記号で表します)として位置づけるわけですが、この営みをビオンは同時に、アンリ・ポワンカレ(1854-1912)の「選択された事実」の話を引用しながら、かなり主知主義的な、科学における営みのようなものと結びつけて論じようとしていたと思います。そういった形での情動と言語の接続というエレメントは、十川さんの情動の理解の中にあるんでしょうか?

(十川)
 ビオンが「選択された事実」という用語で何を表現しようとしていたかという点については様々な理解ができると思いますが、未知のものを考えているうちにまとまりが生じて、一つの概念が形成されるということであれば、まさに患者の分裂した経験をまとめ上げるのは、情動や言語の役割です。ところで、「選択された事実」とは患者側だけに生じる出来事ではなく、分析家側にも起きる出来事と考えるべきでしょう。原さんの質問から少し話がずれるかもしれませんが、私の理論構想の最初の段階にもそのような出来事は生じていました。例えば自己システムを考える時に、感覚、欲動、情動、言語という四つの要素を取り出したのは、私の治療経験から引き出された「選択された事実」です。そして、その相互の関係の理論化も、臨床経験の中で思い浮かんだことです。しかし、これを一度形式化してしまうと、その形式自体が経験を拘束するものになってきます。それゆえ、この形成された「選択された事実」は、改めて取り壊す必要があるのです。

(原)
 たぶん、かなりラカンのバイアスがかかったビオンの読み方になると思うのですが(笑)、ビオンが「選択された事実」を参照するとき、確かにその参照は二つのレベルにまたがっているように思うんですね。まず一つめのレベルは、今十川さんのおっしゃったような分析主体に相対する分析家の思考、いわば理論化のレベルで、『精神分析の方法I』(福本修訳、法政大学出版局、1999年)でポワンカレが明示的に言及されている第23章では、まずこのレベルでまとまりの創出という出来事が考えられているように見えます。ただ興味深いことに、「選択された事実」を例に示された出来事は、分析主体における象徴形成ないし記号の成立を考える文脈でも参照されていている。このあたり、福本修さんによる解題(同書、246-251頁)を参考にしてお話しているところですが、ひょっとすると私のほうで読み間違っているかもしれません。ただ、ビオンがこれら二つのレベルで起きていることを多かれ少なかれ相同的なものとして考えているとすると、この一見知的な操作に見える「選択された事実」が「情動」と不可分なものとして扱われているところがとても面白いと思うんです(「選択された事実は、情動的経験すなわちまとまりを発見したという感覚の情動的経験の名前である)(同書、88頁)。これを介して分析家の理論的な営みと分析主体の情動的な経験が重なり合う。「選択された事実」の出来を要請するような情動が一方にあるとすると、他方でその出来によってもたらされる情動もある。もちろん、その後者の情動も、単にポジティヴな「アハ体験」のようなものではない、曲折を孕んだものであるわけですが、いずれにしてもそうした変容の手がかりにして情動と言語の「カップリング」という事態を考えていいんでしょうか。ラカンの議論とビオンや十川さんの議論との接点になりそうなところなので、ちょっと聞いてみたい。

(十川)
 ビオンが患者の経験の中に見ているまとまりの出来事は、一般に「洞察」と呼ばれている体験に近いものだと思います。洞察とは、もちろん単に知的な作業ではなく、情動的経験です。そして、ビオンの場合、洞察という過程は、基本的には妄想分裂ポジションから抑鬱ポジションへの移行の過程です。ビオンの理論は、きわめて単純化して言うなら、フロイトの経験をPs⇔Dという軸から読み直していく試みと言えるでしょうこのPs⇔Dというのが、ビオンが常に立ち戻る参照軸です。このような参照軸は各学派によって異なっています。また、理論化の方法も学派によって大きく違っています。ビオンの理論化は、ラカンと比べるなら素朴なものです。ポワンカレを引用しても、そこに深い哲学的な含蓄はない。したがって、原さんが今言われたような言語や情動という問題について議論するにしても、それぞれの学派間に共通する土台を作ることが難しいため、なかなか議論が噛み合わない。

(立木)
 情動はコミュニケーションに関わる。コミュニケーションに関わる回路は情動と言語だけとされていますが、情動は本来的にコミュニカティヴとなものだと考えてよいのでしょうか?

(十川)
 コミュニケーションといっても、システム論におけるコミュニケーションは、主体が行うコミュニケーションではなく、コミュニケーションが行うコミュニケーションです。これは議論の前提です。その上で、先ほど挙げた四つの要素を見るなら、感覚や欲動はコミュニケーションを行わない。一方、言語や情動はコミュニケーションを行う。おそらく人間だけがこのような誤解と暴力に満ちたコミュニケーションを行う動物ではないかと思います。人間と動物の境界をどこに引くかというのは、きわめて難しい問いですが。少なくとも今言った意味での言語的コミュニケーションは動物にはないでしょう。しかし、情動に関しては、一般的な意味でのコミュニケーションはもちろん、システム論的な意味でのコミュニケーションも動物は行っているのではないでしょうか。

(原)
 言語を介して情動のレベルに働きかけるというテーゼは、ご本の中に繰り返し出てきますが、それがなぜ可能なのかについては、どうなんでしょうか? 二つの切り離されたものがあって、一方が他方に働きかけるイメージにどうしてもなってしまうのですが。

(十川)
 どうして可能なのかと聞かれると、なかなか答えるのは難しい(笑)。言語と情動が最も緊密に結びついているのは、ヒステリー患者です。ヒステリー患者は、みずからの無意識を自由連想によって物語る驚くべき能力をもっています。そして、その話に対して解釈を加えると、その解釈が情動を巻き込んだ形で患者の症状にまで届く。フロイトが『ヒステリー研究』で取り上げているのも、ヒステリーのこのようなメカニズムです。ヒステリー患者が少なくなってきたという話はよく聞きますが、実際少なくなったのは派手な症状を呈するヒステリー患者であって、ほとんど無症状で、一見ありきたりの悩みを抱えているヒステリー患者は今でも数多くいます。そういう人の治療では、言葉の力というものを明確な手ごたえをもって実感できます。

(原)
 それはつまり、言語は常に情動を巻き込んでいるということですか?

(十川)
 強迫神経症者では言語と情動の連動は低い。こういった言語と情動の連動の程度は、神経症選択の問題と深く結び付いています。

(原)
 ただ、連動の程度が低いからといって、言語を介しての働きを諦めて別のルートを探すというわけではないんですね?

(十川)
 もちろん、そうですね。技法的な工夫を凝らすことはできるでしょうが、基本的に言語を通して情動に働きかけていくしかないですね。

(立木)
 でも、分析家がどう働きかけるかを考える時には、分析家の側で情動も作動しないといけませんね?

(十川)
 まずは情動を受けとめ、そこで考える。考えるということは情動的行為です。

(立木)
 「信頼」と「不信」というタームで言えば、患者の回路が開かれないと、どうやっても・・・・・

(十川)
 他者との交流が生じない。インターコース(象徴的水準での性交)が起きないので、新たなものは何も生まれない。

<欲動について>

(立木)
 欲動の問題で僕にとって重要だったのはセクシュアリティの二重性という点です。十川さんは、幼児のセクシュアリティと成人のセクシュアリティは違うとおっしゃっていますが、これは実感としてとてもよく分かる。患者さんの話を聞いていると、それまでわりと現在の日常に近いことが語られていたのに、突然ぽっかりと切り離されたように、子供の頃の快楽の体験が、それも生(なま)の欲動体験に近いようなジュイサンス(享楽)の経験がふと告白されることがあります。連想の中で出てくるのですが、明らかに異質な何かとして入り込んでくる感じです。現在の問題から出発して、そうした幼児期の生々しい、官能的とも言える経験へと患者さんに一貫した話をつないでもらうのはものすごく難しいと思っていただけに、十川さんが二つのセクシュアリティという形で定式化された問題には強く関心を惹かれました。幼児のセクシュアリティと成人のセクシュアリティのいちばん大きな違いは何ですか? 社会化されているかどうか、社会的なシステムにつながっているかどうか、というところでしょうか?

(十川)
 成人のセクシュアリティは社会の変動と密接に結びつきながら、何が正常で何が異常か、という規範性をもちますよね? ところが、幼児のセクシュアリティは、そういう規範性から比較的自由で、生物学的というか、欲動の作動自体によって生じるものです。といっても、欲動の作動自体が養育者との関係から影響を受けるわけですから、ここにすでに社会的なものの萌芽は入り込んでいる。どのような人のセクシュアリティも、この二つのセクシュアリティから形成されています。幼児のセクシュアリティが前景に立っている人は多形的な「倒錯」関係をもつことがあり、また成人のセクシュアリティが過度に規範的な人はその「正常性」こそが何らかの症状を生み出すことがあります。

(立木)
 「倒錯的」と「多形的」を分けていらっしゃいますね。印象的だったのは、正常な人でも欲動の現れ方が倒錯的である場合は、多形的な倒錯者より病理的ではないか、とおっしゃっていたことです。これはどういうことか、もう少し具体的にお聞きできますか?

(十川)
 例えば正常な性関係というものを想定している人は、けっこういますよね? けっこうは……(笑)いないかな?

(立木)
 いや、けっこういると思います。

(十川)
 セックスを何回すべきだとか、あるいはセックスレスはいけないものだとか、何歳に結婚して何人子供を産んで、といったマスコミが作り出した性規範を鵜呑みにしている人たちがいますよね。あれは一種の倒錯と言える。広い意味でのね。

(立木)
 分かります。

(十川)
 本来はどういう形であってもかまわないわけですよね。多形的でいいんです。それは可塑性が高く、自由度に富んだ状態です。しかし、その可塑性を失うと、セクシュアリティは病理的--私の言葉で言うと「倒錯的」--になる、ということです。フロイトは幼児のセクシュアリティを「多形倒錯的」と形容しましたが、病理を生み出すものは「多形」ではなく「倒錯」のほうにあるのです。

(立木)
 倒錯というのは要するに可塑性の貧困化だから、ということですね。ところで、幼児のセクシュアリティと成人のセクシュアリティが異なるシステムだとすると、エディプスにはそのあいだを仕切る役割があると言えるのでしょうか? ご本ではエディプスが最初に登場しますね。

(十川)
 エディプスという概念は、各学派によってその理解が異なり、混乱している概念ですがねエディプスの本質は何よりもセクシュアリティを構造化するものだという点を強調しておきたいと思います。エディプスはまず幼児のセクシュアリティに一定の形を与える。そして、性の潜伏期のあとに、自己は社会的な規範を取り込み、規範との関係においてセクシュアリティが形成されていく。このように規範によって作られるセクシュアリティが成人のセクシュアリティですが、これは社会の性規範の変動にともなって大きく変わっていきます。立木さんは以前「新たなる心的経済とセクシュアリティの運命--フロイト、ラカン、メルマンとともに」(『I.R.S.』第五号、日本ラカン協会、2006年)という論文で、現代の社会では「若者」のセクシュアリティが社会の規範になっていると論じられていましたよね? それは、成人のセクシュアリティのあり方が大きく変わってしまったということではないでしょうか?

(立木)
 そうですね。よく言われるように、社会の規範力が弱まっているということとも関係するのでしょうが。ALIの分析家たちは「集団転移の衰退」という表現を使います。集団転移というのは、理想が共有されている状態、みんなが多かれ少なかれ同じ価値観に従っている状態のことです。ジャン=フランソア・リオタールの『ポストモダンの条件』(小林康夫訳、書肆風の薔薇、1986年)を思い出すなら、最大公約数的なメタディスクールが社会の中で成立している状態だと言ってもいい。今日、そういうものがなくなってしまったことが、われわれの心の仕組みにいろいろな影響を与えているのではないか、というのがメルマンたちの見方ですね。例えば、フランスでは、アドレサンス(フランス語で思春期から20歳頃までの時期を指し、日本語の「青年期」に近い)の問題がここ数年ですっかり社会問題化してしまった。僕の理解では、アドレサンスというのは、幼児のセクシュアリティから成人のセクシュアリティへと移行する、というか、そのあいだで行きつ戻りつが繰り返される時期のことです。今の社会は、そういう時期にいる若者を自我の理想として立てているところがある。最近、あるGAPのお店で60代くらいの女性が我が物顔で買い物しているのを見ましたが、要するに60代の女性もGAPの服を着る、GAPの服を着たいと思うように、アドレサンスが自我の理想として機能していると思うんです。そこにはある種の固着が働いていて、誰もがアドレサンスにとどまろうとする。つまり成長をやめてしまう。このことの意味は重大です。アドレサンスで立ち止まるということは、まさにセクシュアリティが行きつ戻りつしている状態で落ち着いてしまうことだから。セクシュアリティの揺動(ようどう)が永続化されてしまう。そんなところに性的な成熟などありません。

(十川)
 立木さんは、「若者というのは最近出現した人種である」というアラン・フィンケルロールの言葉を引用されていましたね。みんなが若者で、若い者勝ちという規範が現在では普遍化してしまっている。したがって、そこでは老いは否認すべき事実でしかない。若者も老人もいずれも生成していくものでありながら、老いは欠如体としてしか考えられていない。

(立木)
 そうですね。

(十川)
 当然、各個人のナルシシズムとも深く結びついた現象ですが……。

(立木)
 老いというか、老いた自分というのが多くの人にとって対象aの役割を果たしていると言えるのかもしれません。『アンコール』のセミネール(1972-73年)で、ラカンは対象aの機能を「三人の囚人のソフィスム」に出てくる黒いシールの機能に重ねていますが、あれです。つまり、自分がそれであってはならない、ということで、主体を結論へと急きたてる対象ですね。もっとも、「老いた自分」という対象aは主体をある種の退行へと急きたてるのでしょうが。その場合、主体はどうしてもイマジネールに依存せざるをえません。つまり、「若い自分」というイメージですね。そういう意味では、それはナルシシズムの問題だし、逆に言うと、ある種のナルシシズム抜きには成り立たないメカニズムです。

 さて、もう一つうかがいたいのは欲動と現実界の問題ですが、今回のご本では「現実界」という言葉はほとんど使われていませんね。

(十川)
 今回の理論化の参照軸はフロイトであって、ラカンのことはあまり意識していません。したがって、ラカンの概念を用いるつもりはありませんでした。ラカンの現実界という問題系は、私の今の理論化の作業の中では、欲動の回路形成の問題とほぼ重なっています。立木さんも『精神分析と現実界』(人文書院、2007年)で、「ラカンはフロイトの欲動論を明確に意識して現実界を概念化している」と書かれていますね。これは私も賛成で、現実界の概念は欲動の概念で代置可能であるゆえに、別に現実界は必要ない--必要ないと言うと少し言いすぎかもしれないけど(笑)--、たいていのことは言える、と考えています。

(立木)
 ラカンの場合、1964年に一度は現実界としての欲動に接近するけれども、そのあと「享楽」というタームがいわば欲動に取って代わってしまって、問いの本質が見えにくくなってしまっているところがあります。享楽というのは何よりも欲動の満足のはずだからそこで問われているのは本当は欲動のことなのですが……。

(原)
 フロイトでは、いわゆる二大欲動である「生の欲動」と「死の欲動」、それから部分欲動という二つのものが同じ「欲動」というタームで語られてしまっているところがありますが、十川さんが「欲動」とおっしゃる時の欲動概念をフロイトの二つの欲動、つまり生の欲動と死の欲動のレベルと関連させると、どういうことになるんでしょうか?

(十川)
 それはフロイトがかなりあとになって使った欲動の概念ですよね? 私が論じているのはもっぱら『性理論三篇』(1905年)の欲動論で、のちの生の欲動と死の欲動は、厳密には欲動の問題ではないと思いますが……。

(原)
 ただ、死の欲動に関しては言及されていますよね?

(十川)
 死の欲動については、記憶や時間の問題系の中で取り扱っていて、欲動の問題とは考えていませんね。

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